01『泡立て器が宙を舞う(一面に生クリームをまき散らしながら)』
「先生!」
授業が終わり、生徒たちは帰ったはずだった。
明日の授業の予定をたて、その準備をしていたら、スバルが走ってきた。
「どうしたんだい?」
「いいから、ちょっと来てくれよ」
右手を力強く引っ張られる。
理由を尋ねても歩く速度を上げるだけ。
一体何事なのかとレックスの胸に不安が溢れた。
「母上のことなんだ」
レックスが想像してみたいくつかのことから、随分かけ離れた単語が聞こえた。
ぱちくりと瞬きをしたあとで、確認の意味を込めてその名前を繰り返す。
「ミスミさまのこと?」
「ああ。おいら達じゃ、ダメだった」
おそらく、スバルとキュウマのことだろう。
ミスミが何かをしていて、二人では止められなかった。
そこで、レックスを呼びに来た。
これで、間違っていないだろう。
二人にできなかったことが、自分にできるだろうか。
それなりの不安と緊張を携えて、レックスは鬼妖界集落を歩いた。
鬼の御殿内にあるとある一室。
スバルに案内されたのは、ここまで。
深呼吸して、気持ちを落ち着けて、戸を開ける。
目の前を何かが飛んだ。
「えと……」
出来上がった状況にレックスは苦笑を浮かべた。
それ以外のリアクションが浮かばない。
カランッ……と落ちたのは、泡立て器。
先ほど目の前を横切ったのは、これらしい。
「おお、レックス。どうかしたのかの?」
いつものような微笑みを見せる。
髪や服に生クリームがべったり。
レックスはタオルで彼女の頬についているソレを拭った。
「一体、何をしているんですか?」
「見てわからぬか? 菓子作りをしておったのじゃ」
この有り様は、間違いなく菓子作りの結果らしい。
テーブルを汚すだけならまだしも、こんな状態になることがあるだろうか。
室内をデコレーションする意思があったとしか思えない。
「あの、ミスミさま」
「何じゃ」
落ちた道具を拾い上げ、ミスミは顔を向ける。
どうやら、また一から始めるらしい。
このままでは、終わりが遠すぎるからレックスはその言葉を口にした。
「お手伝いします」
「おお、助かる。しかし、困ったのう」
「え?」
「レックスのために、バースデーケーキを作っておったのじゃ」
本当に困った様子ではあったが、彼女の心遣いが何よりも嬉しかった。
2011/03/08