玄米サラダ




じめじめとした梅雨独特の空気は、まだ部屋に居座っていた。

ぽー……と窓の外を眺めているソフィの様子がおかしい。

側にある彼女が大好きなお菓子には、一切手がつけられていない。

それに、名前を呼んでも上の空。

アスベルはシャーペンを置き、教科書とノートを閉じた。


「ソフィ」

「……何?」


ぼんやりと顔を向けてきたソフィの額に触れる。

かなり熱い。


「体がダルかったりしないか?」

「ダルい……? わからないけど、コレ食べたくない」


ソフィは中身が減っていない袋を指差した。

そう言えば、彼女は朝食も昼食も残していた。


「ソフィ、出かけるぞ」

「出かける? どこへ?」

「病い……」


そこで気づいた。

彼女の保険証がないことに。

つまり……。


「……アスベル?」


黙ってしまった彼を気遣うように、ソフィはポンポンと頭を叩く。

返事をしないでいると、段々強くなっていく。

慌てて彼女の手首を掴んで止めさせた。

さっき勉強していたことが、すべて飛んでしまう。


「ソフィ」

「何? ちゃんと聞こえてるよ?」

「こういう時の管理人さんだ!!」


ソフィはあからさまに嫌な顔をした。

あの人に関わるくらいならベランダから飛び降りてやる、と嫌悪を宿した瞳が脅してきた。


「……わかった。病院へ行くから」

「……」

「病院は嫌がらないでくれよ」

「……」


渋々彼女は頷いた。

財布と鍵と携帯電話という少ない荷物で家を出る。


「アスベル、どうしたんだ?」


管理人室の前を掃除しているマリクとばったり出会ってしまった。

ソフィは素早くアスベルの背に隠れる。


「あ、えと……ソフィが風邪をひいたみたいで……」

「風邪!? 大丈夫か!?」

「だ、大丈夫です。今から病院へ行くんで」


背中に隠れたソフィからの攻撃に、アスベルは素早く話を終わらせた。


「オレの知り合いを紹介してやろう」

「……はい?」

「古い友人が闇医者をやっていてな」


堂々と言って良い内容なのだろうか。

それともただの冗談か。


「腕は確かだ。それに料金も安く……」

「是非紹介してください!」


書いてもらった地図を片手にアスベルは辺りを見回す。

そう遠くないはずだが、まだそれらしいものは見えない。


「アスベル……」

「どうした? もしかして、ツラいのか?」

「違う。あそこ……」


ソフィが指差した先を追う。

そこには、『ベッセル病院』と書かれたやたらファンシーな看板。

住所と名前を確認すれば間違いないのだが、入ることを躊躇ってしまう。

ソフィの様子を見れば、出来る限り早く医者に診せたい。

アスベルは息を吸い込んで、合言葉だと教えられた台詞を口にした。


「プリン・ア・ラ・モード! マジカルチェーンジ!」






この沈黙が恥ずかしい。

ソフィが心配そうにアスベルを見ている。

『頭大丈夫?』と尋ねる瞳。

言っておくが、アスベルがマリクから合言葉を聞いた際、ソフィも側にいた。

アスベルが言いたくて言っているわけではないことは、わかるだろう。

それだけはわかってほしい。


「それは……マリクしか使えないはずの、不思議呪文……!」


扉が開き現れた男は白衣を着ており、おそらく彼が『闇医者』なのだろう。

……白衣の胸ポケットについた名札に猫のマスコットと『かーつ(ハート)』と書かれている点が、果てしなくアスベルを不安にさせるが。


「えと、管理人さ……マリクさんに紹介されて来ました。彼女が風邪をひいたような――」

「流行りの風邪だな。心配することはない」


チラリと視線を向けて一言。

そのまま、カーツは建物の中へ……。


「って、ちょっと待ってください」

「何だ。今忙しいんだ」

「ソフィのこと、ちゃんと診察してください!」

「えー……」


子どもが駄々をこねる様に似ていた。

めんどくさいと呟かれた声が聞こえた。


「お願いします」


ぺこりと頭を下げる。

ソフィもアスベルの隣で頭を下げた。


「彼女を診ることと、月9の再放送とどっちが大事?」

「何聞いてるんですか」

「やはり、月9か。今日の放送は彼女がついに告白する場面な……」

「ソフィを診てください!」


何度か頭を下げれば、ようやく診察をすると彼は言った。

ただし、月9の再放送が始まるまでという時間制限つきで。

カーツは玄関先に椅子を出し、ソフィを座らせた。

『え? ここで診るの!?』というアスベルの無言のツッコミは、カーツの眼光に撃ち落とされた。

さすが、闇医者。


「ほら、口を開けろ」


大きく開いたソフィの口に何かを放り込む。


「……イチゴ?」

「正解だ。行くぞ」


どうやら飴玉を彼女の口に入れたらしい。

そして、次の瞬間。

カーツはソフィの頭を右手で強打した。


「えっ、俺、目撃者!?」


と思わず言ってしまうような犯行の瞬間だった。


「風邪を早く治すためのツボを押した。これで少しはマシになるはずだ」

「は、はぁ……」


医者らしい行動は何一つなかった。

アスベルはいつ彼を(殴って)止めようかと考えていた。

よくわからないことがしばらく続くと、どうやら診察は終わったらしい。


「ほら」


差し出されたのは、一枚の紙。


「それ持って、角の薬局で薬もらえばいい」

「……ありがとうございます」


カーツはアスベルとソフィを追い出すように扉を閉めた。

鍵もしめた。


「ソフィ、大丈夫か?」

「うん。少し楽になった」

「本当か?」

「ちょっと舌噛んだだけで、他は平気」

「……そうか」


カーツに紹介された薬局『きめら』は、シンプルでごく普通の薬局だった。


「こんにちは」

「はい」


棚を整理していた女性が顔を向ける。


「えと、これを」

「処方箋ね。……あなた、カーツに診てもらったの?」

「あれは、診るとは程遠い行為でした」


女性はクスクスと笑いながら、恐ろしいことを言う。


「運が良かったのね。もしごく一般の医者がするような診察を受けていれば、あなた達この世にいないわよ」

「……」

「冗談なんだから、本気にしないで」


さっきの瞳は確実に本気の目だった。

アスベルの中のブラックリストに『カーツ(少女趣味)』が追加された。


「お待たせ。これを毎食後に3粒飲んでね」

「粒は嫌い」

「大丈夫。120ccの水(氷水・熱湯不可)で薄めれば、飲みやすいわよ」


女性はウインクして見せたが、薬の飲み方として何か違うような気がした。


「ソフィ、ちゃんと薬を飲まないと、しばらくお菓子禁止だからな」

「!! ちゃんと飲む!」


午前中よりは元気になっていることに安堵した。

食べたいと思えることは大切だから。


「お大事に」


柔らかな微笑みに見送られ、二人は薬局を後にした。

数日後、アスベルが風邪をひいて寝込んだのは、また別の話。

タイトルと内容に一切の関わりがないのも別の話。






E N D



2010/07/01
移動 2011/02/07




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