mm | ナノ



小話
2012/07/24 23:23


 元から鬱陶しい長さであったが、更に不格好になった頭をした旧知が何事か説教を説いていた。
 相も変わらず煩わしい、鼻に付くようなこの世話焼きの癖は直らないらしい。
 アイツがそれに耐えているのにという『アイツ』というのが誰なのか。そんなことは聞かずともわかるとでも思っているのだろうか。どうやら未だに自分を仲間だと思ってくれているらしい。これ程有難迷惑な話もない。

 奴が、この世を一番憎んでいる筈の奴がそれに耐えているのに。

 口を開いた男の言葉が重みを増して滲み出た。
 俺達に何が出来ると言ったその声に、何と返したのか。記憶があやふやなのは、年を取ったからなのか。そんな価値もないものだったからなのか。どちらにせよ、奴の声は自分には聞き取り辛いものであるには変わりなかった。







【 朧月 】








「・・・・・・・・・・」

 妙に眼が冴えていた。元から浅くなっていた眠気というのが呼びに来ない。月は当に真上から斜めに傾いでいる。慣れた夜目に辺りの様子が窺えるが、凪ぎもしない水面はひそりとも騒ぎもしない。月光に淡く照らされている雲が鈍くぼやりと反射しているだけだった。
 その所為か、矢鱈と幼少期から、片目を失う前の事、つい最近の出来事までがぱらりぱらりと思いだされる。嘗て傍らで肩を並べていた馬鹿が言っていた言葉が脳裏を掠めたのもそんな惰性からだった。別にどうということでもない、そんなことは当にわかっていたことを言われた。それくらいやつもわかっていて口にしたのだろうが。だが、気に食わなかった。昔からと言ってしまえばそれまでだが。
 勝手に壊せばいいと簡単に言う。しかしそんなものは口だけだろう。大切なものとやらが出来てしまったアレには。それが悪いとは言わない。ただ、変えると口にした、つまりはもう肩を並べることはないと公言したと同じだったというだけだ。それをアレは気付いているのだろうか。
 こちらには変える気など初めからない。この世が瓦礫になる様を見るまでは死ぬ気もない。それだけだ。
 松陽先生が望んでいる?どうしてそんなことが言える。何故わかるのか。随分知った口を聞くものだ。もうこの世にいないあの人の言葉を軽々しく口にすること自体が不快だった。あの人の言葉はあの人だけのものだのに。

 数年経った今でも尚。
 眼にこびり付いて剥がれぬのだ。落ちぬのだ。
 この身体の胸部にべたりと付いたまま決して変わらぬ不変となった。眼球が渇いて赤くなるまで見続けた。焼き付けるように認めた。
 あの、最後まで変わらず水面のように穏やかだった表情を。それがそぐわぬ血に塗れたことを。
 誰も口を聞かなかったあの時間。無力しか感ぜられなんだ。

 田舎で、餓鬼に己の生きる道を諭した、示した。
 それだけだ。過去の誰もがやってきたことで、何故あの人が裁かれなければならなかった。




 ―――無価値の屑が気紛れに下した戯言一つで。




 認めない。そんな羽毛のような軽さの存在ではなかった。あれ程優しい、慈愛に溢れた人が、何故。
 何昼夜幾度も幾度も繰り返し問い直しても答えは同じで。
 どんな罪があったというのだ。 

 知らず握った欄干が音を立てた。離せばぱらりと一部が零れる。
 分離し、棘となり、ぶつりと刺さった木片が、存外軟い皮膚を吹き破っている。たたと軽い音を立てて畳へと滴った。鉄錆色が藺草へと染み込んでいくのを眺める。汚ない色である。不思議な程に痛みなどはなかった。ただぼやりと熱さを感じるだけだ。
 それに喉が鳴った。あの時のことを寸分思い返すだけでこうだ。
 だのにどう忘れろと?
 あの時からお前は動けていないだけなのだとヅラは言ったが、それは違う。
(俺ぁ、端から動く気なんざねぇんだよ、)

 誰がもうあの人のいないところに行くものか。誰があの人を易々と奪い息をするこの腐った地に根を張るものか。
 先生がそれを望んでいない?そんなことはわかっている。だがもう誰が何を言おうとあそこから退く気など進む気など毛頭ない。畦道に何が転がっていようと顧みる気もないのだ。
 ただ衝動のままに餓鬼の癇癪のように物を壊すことでしか鬱憤を晴らせないのだ。いや、晴れることなどもうないとわかっていても。それしかもう、出来ることなどない。する気もない。ヅラや銀時とは違って、それしか考えることが出来ない。考えたくもないのだ。
 あの人の思想を未だに護り、尊ぶ奴等を素直に賛辞よう。自分にはとても出来ぬ所業だ。自分にはもう護りたい人がいない世界が有ることが、耐えがたく、反吐が出ることでしかない。新地に変えてしまった方が、いっそ清々するだろう。
 無為な腐りかけの塵に発破をかけることの何が悪いのかと笑えば、きっと奴等は黙って行く手遮ろうとするだろう。
 それでもいい。もう止まることなどない。アイツ等とも何れ遣りあうことになるとわかっていたし、なにより路が違ったことに随喜した。それはつまり、あの人の意思を受け継ぐ己の分身が有るのと同じこと。侍がまだ滅んではいないことの二重の証明にも、師が間違ってはいなかったことにもなる。
 
 あの日。あの人の閉じてしまった瞼をじっと見つめながら妙に冷えた思考の中で考えた。
 これからどう奴等を殺すか。何を先生は望んでいたのか。どうすれば欠片も肉片も残さず殲滅出来るか。意思を絶やさず継ぐには何をすべきか。
 

 どうしたら。


(・・・・・・・・・・とても足りねぇな)

 考え始めて至った答えは至極安易なものだった。
 先生の意思を継ぐこと。奴等を根絶やしにすること。これら二つは相反し、両を叶えることはならないだろう。しかし、どちらかを切り捨て諦めるには代償が大きすぎ、またあの人の一つ一つの言葉も尊過ぎた。

 ならば。

 
 つ、と視線をやれば立ち竦んで未だ茫然としている男と背を向けたまま微動だにしていない男が二人。
 どちらも種類は違えどあの人を慕い、尊び、共に奔走した奴等だった。
 てんでバラバラな方角を見て来た。同じ場所など見ちゃいない。どいつもこいつも好き勝手。同じ方向など見ていない。しかし同じものに導かれてここまで来た。
 根本は似ているのに決して交わることはない妙なもの。偶々交差した刻を共にしているもの。

 つまりは分身、半身とでもいうものか。己の酷い面を鏡で覗いているような気分になる馬鹿共だ。



 桂小太郎は融通の利かない糞真面目の馬鹿だ。
 先生の意思を継ぐことも忘れるわけがない。つまりはどっちに転がる可能性もある。だがこのまま例え追われる身になろうが黙っていずに、まずは奮起する可能性の方が高いだろう。伊達に腐れ縁を切れずにいた仲でもない。
 問題はこの、昔、先生が拾ってきた小汚い餓鬼だった。


 坂田銀時。


 今も汚い面のまま。ただただ走り、そして今はどうしていいのかわからず立ち竦んでいる。もう一人の、自分。
 そして、本当に、湾曲させども捻くれた眼線で見ようとも先生の意思を間違いなく受けたであろう、・・・・馬鹿な、甘い男。
 きっとコイツは先生の意思を継ぐだろう。そういう奴だ。
 なら、自分はこの汚濁に塗れただけになったこの世を壊すだけの馬鹿になろうか。
 そんな思考に至ってから、可笑しくて腹が震えた。

(・・・・・・・・・違ぇな、ただ俺が、)


 直接奴等の咽喉に喰い付き捩じ切ってやらねば気が済まない。それだけだ。
 この衝動を持ったままあの人の綺麗な思想を掲げることなどとてもできないだけなのだ。

 有難迷惑なあの行為からそれなりの月日が経った。
 相変わらず馬鹿をやっているとぽつぽつと耳に入ることから聞き知っていたが、最近。とうとう幕府にまで首を突っ込んだ。あれだけ回避していた癖に。
 アレの嫌がる顔が容易に浮かんで嗤いが漏れた。馬鹿が。
 全て忘れて何もかも捨ててしまう度胸もない奴が逃げ切れる訳がない。

 あの頃と変わぬ自分と、変わろうと足掻く馬鹿。
 自分が見ているものは変わっちゃいないが、奴は忘れたがらない癖に別なものも見ようとする。
 国の為だ仲間の為だなんだと剣を取った時も。そんなもんどうでもよかった俺と同じな癖に、それでも仲間を気にかけ果てには恐れられ、それでも尚仲間を背にしている間は踏み止まっていた。同じような視線を常に前を向けていた。探していた。見失った背中ばかりを。

 その握った剣。これの使い方を教えてくれた人だけを。
 俺達に武士の路、生きる術、それらを教えてくれた人だけを。
 悔しいことに、誰よりも、俺よりも、ずっとずっと強く。強く。望んでいた。
 あの人が無事に帰って来ることを。信じていた。教え通りに。


 しかし結果、この世界は俺達からあの人を奪ったという事実だけがごろりと眼の前に転がされただけだった。
 



 あの時はそのまま、先生が連れてきた時と同じように、またふらりと何処かへ消える気がしていたから。
 まだ探し足りぬという背を見送った。

 だが、もういいだろう。


「もう、この世界には喧嘩を売るしかあるめぇよ、」


 いつ腐り落ちるともわからないのだから、もう引導を渡してやるべきなのだ。あの人を奪った世界など。



「・・・・・・なぁ銀時、お前はこの世界を何を思って生きる」


 いつのまにやら陰り、朧となった月光に向かい、同じことを問うてみる。

 俺達から先生を奪ったこの世界を堂々と享受しのうのうと生きていける。それが不思議でならない。それが腹立たしくてならないのだ。
 でかいだけの刀が、未だ腐り落ちぬ鈍らの牙が、未だに鞘に収まらずにある。この砂を口に含んだような不快感がいつまでも消えないのだ。

 あの人以上に大切だったものがあるわけがないというのに。



 元は同じ穴の狢だ。
 この気持ちは奴以外の誰にもわからない。
 だがアイツはそれを知っている。だからきっと此方へと傾くだろう。

 それまでは、ゆるりと待とうか。





 欄干に寄りかかったまま、また瞳を閉じる。
 朧気な月光だけが、変わらず静かに辺りを照らしていた。




comment (0)