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小話
2021/08/31 10:00


 どこぞの漫画家が言っていた。自分の作った話を他人に見せるのは尻の穴を人様に晒すようなもんだと。言い得て妙だ、正にそんな感じである。当時の俺はそれに大いに賛同した。己の作品を見て欲しいなんて下半身を露出して快感を覚えるような方々とおんなじじゃあという認識だったので。決して世の作家様が変態だなんて言わない。あくまでも自分にだけに当て嵌る見解なだけだ。
 えーとつまりはそんな羞恥の塊のものを友人が持っている現状に理解が追いついていなかったわけで。
 
 助けて欲しい。
 
 
 
 
 
 
 
【 1 】
 
 
 
 
 
 
 ちりん。
 
 風鈴が鳴る。夏だ。紛うことなき真夏である。
 みゃんみゃんと蝉が鳴き、茹だるような暑さが昼も夜も問わず村の人達を襲っている。だのに皆ぴんぴんと畑、田んぼやら虫取りに勤しんでいる。なんなの田舎の元気なじいちゃんばあちゃんちびっ子達は。
 同じく田舎から出たことない筈の田舎っ子だった俺は直ぐにぱったぱたと倒れる虚弱体質。いや、あの人達が逞しすぎるんだって。いいことだけどさ。
「・・・・・・」
 溶ける。
 喉が乾いた。暑すぎて声も出ない。この時代に扇風機一つで真夏を乗り切ろうとしている方がおかしいだろ。今は不在の同居人に恨み言を述べたい。爬虫類のような眼の彼は低体温動物だから平気なんだろうか。メカニック好きな癖にアナログ好きとかやめて欲しい。
 (でもなぁ・・・、)
 広さだけはある家を冷やすのは大分難しい。隙間風から冷気も出ていきそうだし。冬とかは逆に凍死しそうになるけど。
「また伸びてるのかコラ」
「・・・・・・こりょ」
「誰がこりょだ」
 唐突に声が降ってきた。
 じっとりと滲む汗が眼に入りそうになるのを無視して目線をやる。縁側からやってきたのは田舎にそぐわない金髪碧眼のイケメンだった。汗だくベタベタの俺とは違って、さらさらの金糸が眩しい。目を細める。小脇に抱えているのは、ボヤけた視界でもわかるシルエット。スイカだ。流石わかってるなぁ、口に出すのも億劫だから声はださないけど。
 そして当たり前のように上がってきたコロネロがスイカ以外に持参したものに、綱吉は止まった。
(いやいやいやいやなんで)

「──コロネロくん」
「・・・なんだ、気色悪ぃな」
「それって、」
「家康の庭から持ってきた」
「ぐっじょぶ」
 じゃなくて。
 殊更似合わない、四角い紙の束のことなんだけど・・・。あぁ、とコロネロは綱吉の言いたいことを理解したのか何でもなく答える。
「ティオッテモの書斎から借りた」
「・・・・・・なんで。お前、興味とかないじゃん」
「なんとなくだコラ」
 なんとなくで俺の羞恥心を抉らないでくれまいか。
 今まで活字のかの字も知らない様なコイツが、脳みそ筋肉だなんて言われてる幼馴染みがなんでいきなり。最初はジャンプとかにしろよ頼むから。
 紙質から色の具合、劣化した時どうなるかまで気にして毎度印刷していただいてるので一目でわかってしまった。しかも処女作。デビュー作とか怖くて何年も見てないパンドラの箱じゃないですかやめてください。
 鉄アレイではなく本なんて持ってどうしたのと引きつった顔で聞けば、さらりと言う。
「なんか、気に入った」
「────へ、へぇ」
 
 え、もう読んだ後?
 なのに俺んちに持ち込んじゃうの?
 
 固まったままのこちらに構わずさっさと上がり、手土産のスイカを冷やそうとしたのか冷凍庫を開ける。もちろん氷なんて気の利いたものはない。
 眉を寄せ、コロネロは代わりに裏から出ていった。川の方へ冷やしにでも行くんだろう。田舎の水は真夏でも冷たいから不思議だ。しかしすぐ様戻って来てから古ぼけたちゃぶ台に本を置いた。
「汚すなよ」
「・・・はぁ」
 川へ行くのに濡らすのも嫌だったのだろうか。近所の子供じゃないんだから本を雑に扱ったりなんてしないのに。
 当初の衝撃から少し立ち直って来たのか、本を眺める余裕ができた。
 うぅ、なんで、今更こんな羞恥の塊みたいなものを直視しなきゃならないんだ。じわじわと頬が熱くなる。初めて書いたその話は、溢れて仕方ない、アイディアとか想像が言葉足らずに詰め込まれていて。最後はまとめ切れずに在り来りたりな終わりをさせてしまったものだった。と、思う。
 当時は白かったのに、薄汚れて所々傷があるそれは、とっくに絶版になっているし、俺だって所有していない。おじいちゃんが持っていたのが奇跡だ。それくらい忘れたい酷い内容だった。気がする。
(正直、覚えてないけど)
 
 外でアブラ蝉が鳴いている。草だらけの中庭からは、外の様子はあまり分からなかった。コロネロが帰ってくる気配はない。気まぐれに旧友の吊るしていった風鈴が鳴る。
 どんな話だったっけ。曖昧過ぎて思い出せない。けど読み返すのも恐ろしくてできない。
 暫く微妙な面持ちで眺める。途中、喉が乾いていたことを思い出して、作り置きの麦茶を出した。グラスを二つ。花柄なのは確か母さんの趣味。あっという間に一杯飲み干す。水滴が付いたまま、拭いもしないで居間を見返した。
 白い本が沈黙していた。
 あれ、やっぱりおかしくないか。なんで覚えてないんだろう。いくら初めての拙い話でも、それは大切に書いた物語の一つで。書こうとして書いたものではなく、書きたいから書いた筈の話だったのに。いつのまにか、忘れたい過去になっている。
 恐る恐る、それに近づく。幾度か躊躇しつつも手を伸ばそうとするのに上手く身体が言うことを効かない。いつの間にか、暑さからくるものではない、じとりとした汗をかいていた。あついのに、さむい。逃げたい。なんで、
 
(・・・なんで、俺)
 
 
「ツナ」
「うひゃあ!」
 
 
 唐突にかけられた声に飛び上がった。心臓が全力疾走している。縮み上がったまま見上げれば、呆れたようにコロネロが見下ろしている。
「・・・なんだ、どうしたコラ」
「いや、あの、えーと、ありがとう?」
「はぁ?」
「ほら、あれ、西瓜。冷やしてくれただろ?」 
「あぁ?あんなんいつもだろ」
「だからさ、いつもありがとうっていうか感謝してるっていうか、」
「・・・・・・ツナ?」

 肩を掴まれて、訝しげに見つめられる。
 好きな筈のコバルトブルーの色が、ぼやけて見えない。見れない。
(・・・なんで、俺、)
 
 
 
 
 
 こんなに怖がってんだろ。
 
 
 
 
 

 
 
 震え始めた身体を、手で抱えた。
 
 
 
 
 
 
 ***
 
 
 

 
 
「偶にはどうかな」
「・・・」
 
 その初老の男とは、歳がかなり離れていた。縁あって何度か訪問するような仲だった。特に何かするわけではないが、その男の血縁者である幼馴染み、沢田綱吉と似通った雰囲気が気に入っていた。綱吉の祖父であるというアイツとはえらい違いである。
 プラチナの髪と、茫洋とした無表情の男を思い出してしまい、首を振る。綱吉を溺愛している男の面影を思考から追い出してから、年嵩の友人の出してくれた茶を啜る。
「活字は苦手だコラ」
「そうだったね」
 知っていると柔らかく微笑むティオッテモに、ならなんでと問うと、なんとなくだよと返ってきた。なんだそれは。
 結局、「気に入ったのがあったら持っていきなさい」と、仕事に戻って行った彼は、第一線から身を引いた今でも助言を求める輩を相手にしてやっているのでそれなりに忙しい。幼馴染と似てお人好しなことだ。
 この後行く予定だった綱吉の家に向かおうとしたが、何となく部屋を見渡した。
 コロネロがいるそこは膨大な量の書庫だった。
 作家であり、蒐集家でもある友人の家は、大体が本で出来ていた。コロネロ自身は全く活字というものが理解出来ない人間であったので、本のことはよく分からないでいた。それを好むのは随分と変わった連中が多いなとは感じていたが。
 綱吉も本が好きだった。何故かこそこそと読んだりしているのは謎だったが。
(持っていったら喜ぶか?)
 
 既に土産に貰っていた西瓜はあるが、偶には嗜好を変えてもいいかもしれない。ずらりと並んだ書物を眺める。全て同じに見えるが、何となく端にあった内の目に止まった一冊を引き抜いた。
 
 白い冊子に書かれた文字に、目を瞬いた。
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 【 2 】

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 気が付くと、日が暮れかかっていた。
 コロネロはぎょっとした。時計を見れば針は予想していたよりも進んでいる。信じられない。
(まさか、そんなに集中してたのか)
 
 気付いてから、もう帰りのバスはない事にも思い至る。田舎のバスの数は少ないのだ。
 別段不便は感じていないが、今日ばかりは迷った。
 確か綱吉の同居人であり管理人の孫が今日はいないのだ。ほっとけば何日も食べないでいられる面倒臭がりなアイツが作れるとしたら麦茶くらいである。カップ麺さえ作るのを渋るのだ。仕事に集中している時は余計そうなる。
 やはり帰ろう。数時間歩けば着く距離だ。
 嘗てないほど動かずじっとしていた為か、強ばっていた身体を動かして立ち上がったコロネロは、不意に開かれたドアから覗いた顔に目を丸くした。
「あれ、コロネロ?」
「・・・・」
 来てたんだ、とにっこりと笑った男は、いつになく小綺麗だった。しかもなんだか無駄ににこやかである。空気が柔らかい。いつも不健康そうな顔で布団も引かずに畳に潰れているのが通常であるのに。しげしげと眺める。
「? 何か付いてる?」
「・・・・いや」
 自分の頬に触れる仕草、不思議そうな瞳。どれも見慣れたものだ、いつもの幼馴染である。
 
「・・・・・・・送ってく」
 ちらついた馬鹿馬鹿しい考えを打ち消す。慣れない活字を読んだからだろうか。やはり身体を動かす事の方が性にあっている。
「えぇ?大丈夫だよ。もう外真っ暗だし、泊まらせてもらおう」
「あ?」
「おじいちゃんには許可とってるし、コロネロ何処で寝たい?」
「・・・何言ってんだお前、いいから帰らねぇとバスが」 
 居心地が良かった筈の空間に息苦しさを覚える。室内の気温が下がったように感じる。それから逃れるたいようにドアノブに手をかけたコロネロの手首を、綱吉が掴む。
 
「コロネロ」
 
 マネキンに触れられたような、無機物のような温度に怖気が立った。思わず手を振り払う。ぶわりと汗が吹き出す。酷く寒い。心臓が鳴る、うるさい。うるさい。
 警戒した獣のような反応に、男はきょとんとした顔をしている。しかし直ぐにまた笑う。
「ダメだよ、今行ったら。危ないよ」
「──なに、言って、」
 
 やめろ、笑うな。コロネロは唸りたくなった。
 
「だって、死んじゃうよ?」
 
 男が部屋に顔を覗かせてから胸中に浮上して、直ぐに打ち消した言葉。
 
 舌先に出かかったものを飲み込んだのは。
 
 
「────お前、誰だ」
 
 
 眼を瞬き、また優しく笑った男に反応するように、手に持ったままだった白い書籍が冷たさを増したように感じた。
 
 
 
 

 
 
〈続〉

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