催花雨


 フワフワだ。顔の筋力が緩んでいく。もう少し、ここに沈んでいたい気もする。ほんのりと温かい、うん温い。ただ、なんか顔に違和感を感じて目を覚ます。ベタペタする。甘い液体に浸された綿でほっぺを突かれていた。思わず、ぎょっとして見遣ると小さな手が動いていた。ぷっくりとしていて白い桃のように愛らしい。ゆっくり視線を辿らせていく。目と目が合っても手の主は動じることはなく、頬に白い綿を押しつけようとしていた。灰色の目出し帽を被っていて感情は読めそうにない。その様子に少し恐くなって、その腕を掴んで止めようと試みるも意外と力が強い。
「や、やめて……やめてください! やめろってば!」
 声を荒らげても、お構いなし。綿から滴が散る。
「ざけんな!」
 もう加減なんて考えてる余裕がなくなって、力の限り押しやった。
「ピンっ
 甲高い奇天烈な悲鳴が上がって、真後ろに倒れる。あ、やりすぎたか。恐る恐る目を遣ってみた。目出し帽はからっぽで先に転がっている。ハッとして視線を流すと小さなおかっぱ頭の少女が頭を抱えて仰向けでいた。大きな薄紅色の瞳がまん丸と、そして潤んでいる。目尻も頬も桃色が注す。愛らしい。あ、頭を抱えているんじゃない。ぴょっこり伸びた赤茶色のふさふさの毛で縁取られた獣の耳を押さえていた。やっぱり、無理。
「可愛い、可愛い!」
 俗っぽい笑みとともに洩れてしまった。小柄な体を抱きしめたい衝動に駆られる。
「でしょう。かあいいわよね」
 第三者の声に我に返った。これは記憶に残ってる、気を失う前に振ってきた声だ。
「よかったよかった。この様子だと大事はなさそうだね。どう? なにかある?」
 ずいぶんとゆっくり、おおらかな話しぶりをする人だ。蒼が薄くて灰色に近い色の瞳。一つに編み込まれた濃い灰の髪。「あ、その前に」と一つ息をついて、転がったまんまの小さな獣耳の子を抱きかかえた。抱えられた子はその豊満な胸に顔を寄せる。ちょっとうらやましい。
「君もどうした? 鳴くようなことじゃあないだろう。そちらのお姉さんは何もわかっていないようだが、姉さんが扉の向こうで毛を逆立ててるぞ。それはもうものすごい形相でな。困ったことにはなりたくないだろう。オレも血生臭い現場は苦手だ」
 一言一言に大袈裟なまで相槌を打つ子供がまた愛らしい。
「ほら外にいる姉さんを安心させてこい」
 おろしてもらうと、ちょこちょこ駆け出した。扉の前までいってから振り返ってちょっこりお辞儀をして、ばたんと出ていった。
「さて、君に戻ろうか。オレはカリナ、君の名前を教えてもらえるかな?」
 にっこりとカリナは笑った。釣られて笑う。そう、安心して笑う。
「まず有り難う。えっと……わたしはクルス」
 ガタガタと動物の鳴き声が入り混じった奇妙な音がする、ちらりと視線を扉へ向ける。
「ああ、さっきのあの子はヴェラだよ。あっ恋しい? 待ってれば、すぐに戻ってくるよ。でもやっぱり可愛いっていいよね」
 笑みを深めるカリナ。
「それで君はなんであそこで立ち往生を? 旅人で間違いはない?」
「え? なんて答えたらいいんだろう。間違いはないというか、それたぶんわたし自身わかってないんですが……」
「それは一大事じゃないか?」
 黙って肯くしかなかった。名前はわかることがわかった。旅人なのだろうということも推測できている。その次は?
「ギュー」
 ほっぺを膨らませたヴェラが戻ってきた。カリナの隣まで駆けてきて彼女の太腿を打って、何かを訴えている。誰がみても不機嫌な様子だった。
「まったくこっちもどうした?」
 眉を八の字に下げてカルナはまたヴェラを抱っこした。
「クルスが先だぞ……うんうん、こうしてれば満足かい? あっそう」
 なんだかとても温かい絵図を見せつけてくれてる気がする。
「わからない、わからないことだらけだというと何もかも怪しくなってしまうなあ。名前は確かなのか? ほんとうにただの旅人なのか、と……ふむ」
「ただの旅人じゃあない線があるんですか?」
「さあね、オレもわからない」
 にっかりと笑ってみせたカリナの顔をヴェラがつねった。
「なにをするんだこの子は……はいはいよしよし。今日は気まぐれだね。ごめんごめん、クルスも悪いね」
 ほとほと困ったという雰囲気を出しながら、笑顔だ。
 キレイさっぱり忘れていたけど、荷物はどこだろう。上体を正して、いまさら辺りを確認した。部屋はさほど広いとは感じない。この一人寝がちょっと窮屈なベットでも四つ置いたらいっぱいいっぱいの大きさでむしろ狭いのではないか。荷物が隠れる場所などなさそうだった。ないのかな。
「あれ? カリナはあたしが旅人だと思ったから助けたの? そっちのほうが怪しくない? それって旅人とそれ以外だとなにかあるってこと?」
口を衝いて出た。しまった、これ結構失礼ではないかと思ったが、カリナは唐突なことにもニコニコした態度を崩さない。当の彼女よりもヴェラのほうが厳しい表情をしてこちらをねめつけている。
「そうだね。お互い様だねえ」
カリナは眉を八の字にしているけど、
「でも助けてあげたのオレだよね。そこは感謝してくれるよね?」
ちょっと言葉は高圧的になってる。そこは確かに事実だ、と力強く頷く。それだけじゃ満足した様子もなく、続けた。
「クルスのことちょっと、ほんのちょこっと信用してもいいかなって思ってるからちょっとした予防策は張ってあるってことだけは伝えておく。あー荷物は怪しかったから中身をすこーし確認させてもらってさあ、やっと気づいたんでしょう」
 ケラケラしてくれる。
「あ、そうそう荷物ね。あれで何かわかることあった?」
「やっぱり君は変わってるんだね。んーわかったこと? これもほんのちょこっとだけだ。おしえると思うかい?」
 ほんのちょこっと首を傾げ、
「たぶん……ほんのちょこっとならおしえてくれるんじゃない?」
 そこではじめてカリナの顔から表情が去った。ヴェラが心配そうに視線を右往左往させる。続ける言葉が見つからず、無言。沈黙が部屋に流れて、不穏な空気をどこからともなく招き入れる。いたたまれない。なんだかウズウズしてしまう。布団の中で小刻みに両膝が震えていた。
「君、大丈夫かい?」
 ぎこちない笑みで返すしかない――こうさせてるのあなたですよって含ませて。そのときだった、すとんとヴェラがカリナから離れてベットにパフっと頭から飛び込んだ。
「どうしたの?!」
「ありゃ」
「うぇーう」
 人様の困惑を余所にヴェラはよくわからない単語を繰り返して、布団に沈んだ。カリナは初めこそ少しだけ呆気にとられた様子だったが、なにかすぐに納得したらしい、ふむふむと興味深げに眺めている。
「うぇーぶ」
「これ、どうしちゃったんですか!?」
「ん? 変な虫でも見つけたらしい。まあ待て。すぐ駆除してくれるから」
 その言葉が終わる頃合いにプハッとヴェラは布団から顔を離した。そして、身形をパンパンと払い整えてからカリナに握っているナニカを差し出す。それは確かに黒い虫のようなものであった。
「君にくっついてたものかな。いや、違うな。君はちゃんと検分してるし……だったら、どこから湧いたんだ、ここに入り込めるとは思えんし……ああくそう、嫌だなあ」
 カリナは頭をかきむしる。実に気に食わないといった態で唇を尖らせて、その黒い虫のようなものをデコピンで一蹴した。それが消滅するときの刹那、氷の棘に覆われた玉が背中を転がっていった感覚がした。あとにじわりじわりと汗がくだる。
「ヴェラ、君は大丈夫かい?」
 ぶんぶん、縦に首を振る。視線を流して、
「君は?」
 マネっこ。大袈裟に首を振る。
「ああ元気そうなこって」
「……で、なんなんですか、まったく。嫌なのはこっちなんですよ!」
「ちょっと可愛いと思って手を出したのにとんだ奴だなあ。自分のことわかんないから始まって……」
 そこでカリナは大きく長い息を吐いた。
「どうでもよくないはいかんが、細かいところはもうどうでもいいや。どうにでもなっちゃえ」
 あくどいことを思いついたガキ大将のようなとびきりの顔で思いっきり吐き捨てるように言うカリナに圧倒されて、口をパクパクするしかなかった。視界の片隅でヴィラがただただ愛らしく小首を傾げていた。
 

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