50801


 昨晩からの悶々とした心地が晴れない。違和感と言うべきか、釈然としないままであった。何故あの時、なにも疑わず「透明人間」に手を貸したのだろう?
 いや、確かに自分は疑っていたのだ。説明付かない怪異を理性でなんとか説明付けようとした。だがあの現場では理性は追いつかなかった。怪異はあまりに良く出来ていた。第一にろうろうと聴こえた声、恐らくスピーカーボイスではない。あの場にザムザと名乗った本人が居たことは確かだ。自動販売機の作動は、機械自体を遠隔捜査。浮遊のトリックは分からないが、浮遊手品なら世に幾らでもある。そして時は夜だった。暗がりの中に「ザムザ」本人が隠れる事も可能。そもそも、「ザムザ」は手品師(か、その集団)、飛躍するならば超能力、更に飛躍させ……本人の言う「透明人間」。しかし手品師(か超能力者)の自己顕示であるなら、何故あの小さな公園で、しかも僕を相手にしたのか、何故わざわざ透明人間を名乗り透明人間の演技をしたのか、疑問が残る。

 ともあれ昨日の接触だけでは「ザムザ」の正体は不明――と、今日はひそかにビデオカメラとボイスレコーダーを持参した。固形物への反応を見る為に、つまみと称してスルメ等。前日の約束通りに、冷やしたビール。表向きに言うならば、酒盛り。

 思えば僕はこのビールを持ち去る事だって出来た。何を律義に守っているのだろう。「ザムザ」の話に付き合わず無視を決め込むことも出来た。だのに僕は彼の話に律義に付き合い、名まで教え(ザムザなんて、その場で考えたような、明らかな偽名ではないか)約束を守りまた公園へ向かうのである。つくづくお人好しだだ。鴨だとも思う。笑いたければ笑えばいい。僕は笑い返さない。

 ポケットのレコーダーの電源を入れ、僕は玄関を出た。公園迄自宅から徒歩十分程。少々早く着くだろうが、透明人間はどうせ暇を持て余していることだろう。ビデオの電源を入れようと公園前の角で立ち止まる。するとまたも公園から男の声がする。しかし、それはザムザの声では無かった。酷く攻撃的な声、脅迫のように聴こえる。ただならぬ気配を感じ、僕はそっと覗き見た。

 街灯の下に男と少女が居る。まだ学生らしい少女を、男が追い詰めている。男はどうやら露出狂、しかし露出狂以上に卑劣な行為を行おうとしているらしい。

「……ちゃんはわざわざ来てくれたんだ……“覚悟”は、出来てるよねえ?」

笑みを浮かべ、男は少女に触れようとする。まずい、と直感した。ためらわず僕は飛び出した。

 そして僕に注目する者は無かった。
 僕が飛び出すと同時に、男が撥ね飛ばされたからだ。

 男は鳩尾を抑え、よろめき立ち上がる。表情は完全に怒りに満ち、

「……クソガキィ、大人を蹴ろうだなんて、いい度胸してんなァ? そんなに思い知らされたいのかよ?」

 しかし少女が反撃したようには思われない。男の言葉に返したのは、聴き覚えある男声だった。

「おい、クソ野郎。いい歳して女の子を襲おうだなんて、いい度胸してんなあ?
 ここが誰の公園か分かってるのか?」

 虚空から聴こえる声は低く囁いた。威圧する声に男は動揺を隠せないものの、とにかく平然を保とうとする。

「だ、誰の公園ったって、そりゃあ、オレの公園だよ! オレが悪霊様なんだからよぉ!
 こそこそしやがって、隠れてないで出てこい!」
「お前こそ、大事なものしまえ!」

 と、声が返される。聴くが早いか、鈍いうめき声をあげ男はうずくまった。
 ほぼ全裸の相手に対し一方的な攻撃。そろそろ過剰防衛の域に達している。男は完全に腰砕けになり、がたがたと震えている。

「ま、まさか本当に、居るだなんて……」

 暴力は僕の本望ではない。鞄からビデオカメラを取り出し、歩み寄る。なるべく事を荒げないように語った。

「先程までの貴方の行動は全て、証拠として録画しました」

うずくまり気勢を無くした男は、情状酌量の余地は無いが、何か気の毒なように見えた。

「この映像を僕が警察に提供するか、今自首するか。……僕は自首を勧めます」

 顔面蒼白の男は腰を抜かしながらも
「ぽ、ポタージュ様ぁぁ!」
と悲鳴を上げ、逃走した。その足は確かに交番へ向かっていた。

「あいつ、前全開のまま逃げてったけど、大丈夫なのか?」

 出し抜けに透明人間の声がした。

「……何とかなることでしょう。
 それよりも、貴方こそ立派な暴行ですが」
「いやあ……ちょっと歯止めが効かなくなって……。すごく腹立たしかったんだよ。あの男はおれの振りをして悪事に及んだ。それが許せなかった。……ただやっぱ、ちょっとやりすぎたかな……。
 そういえば帆来くん、いつから録画なんてしてたんだ?」
「初めからしていませんよ、すべてフェイクです」

 思わぬ所でビデオカメラを使用してしまった。今晩の撮影は見送りだが、ボイスレコーダーはまだポケットの中で作動している。ザムザは、僕の魂胆に気付いているだろうか。

 ともあれ、少女は無事だった。

「ああ、そう言えば……、お怪我はありませんか、お嬢さん?」

 少女は、先程の格好のまま縮こまっていた。可なり明るい茶髪と青い眼が目立つ。恐怖は特に見られないが、きょとんとした様子で僕を見上げる。当然だ。目の前に声だけの男がいるのだから。

 と言うか、声だけの相手に平然と会話をする僕の方が、少女には不審に見えるのではないか。
 少女だけではなく、あの男にとってもそうだろう。いつの間にか僕も怪異の仲間入りを果たしていた。

「突然済みません……大丈夫でしたか?」

月並ではあるが僕も声を掛けた。少女はどちらの問いにも答えないまま微笑み返した。その微笑みに敵意は無いらしい。少女はポケットから小さなメモ帳を取り出した。少女が、か細い丸文字で書くことには、

『いると 思ってた』


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