帰って、二人は夜食に冷凍のご飯で茶漬けを作った。二人をソファから眺めていた。電車かバスに乗っている間、短い時間だったが鮮烈な夢を見た。久しく会っていない高校の友人らが現れた。その中に彼女もいたのだけれど、彼女は被り物をしていて顔を認めることが出来なかった。でも夢の世界は和気藹々として、僕は誰にでもとても明朗に語ることが出来たし、彼らも夢の中で互いにとても深く厳密な話をした。彼女は僕に会えて嬉しそうにしていた。夜の駅舎のホームの待合室の明るさの中に二人で座って、僕は彼女の好意を感じていた。きっと僕の方も好意を抱いていた。その場面が強く印象に残っている。駅員が面白いものを見せようと言って秘密の関係者専用のドアを開けた。その先がどうなっているかは知れない。
 目覚めて、しかし、都合のいい夢だと思った。でも夢とはいえ彼らに好意は抱けたから、僕は彼らに現実で会いたいのではないかと疑った。現実が脳に干渉し夢を見せるのだ。夢には夢なりの現実がある。彼女に会う夢を見た。

 僕は彼女に会いたいのではないか?

 然るべき箇所が繋がった気がして、驚いた。そんなことは、全く思いも寄らなかった。僕は彼女に会いたいのではないか?
 でもどうしてそんなことにも今まで気付けないのか? 本当に思いも寄らなかったのだ。盲点だった。
 感情鈍麻と誰かが言った。

 早く眠ってしまった方がいい。シャワーを浴びた。色々なことを考えていて、度々手が止まりとても時間が掛かった。南に何があったのか? 肝心なものが何も明かされていない。「もう帰ろう?」と言った女性。絡まる指。唇。「とても気分が優れない」砂浜と吐息。どうして海なんだと憤りたくなった。ロケ地は明らかに湘南だった。南に何があるというのか? 埒が明かない。とても疲れた。
 風呂上がり、アルコールを飲む気にはなれず緑茶を飲んだ。ザムザもそれに倣った。セレスタは買い置きのジンジャーエールを飲んだ。
「彼女を見ました」話さなければならない。
「二度見ました。スタッフロールと劇場のロビーで。役者として出演していたのか分かりません。劇中では気付きませんでした。それで、驚いて」
『ともだちが?』
 頷いた。
 セレスタが言葉に詰まる。「高橋」と伝えると、ノートをペンを差し出された。『高橋塔子』と書いて渡した。
『映画に』
「でも、同姓同名かも知れない」
『女優?』
「……趣味的なものですよ」彼女が出る筈がなかった。「小劇団には所属していましたが、大衆映画に出る程ではない筈です。それに彼女は留学していた」
「エキストラで一日だけ」とザムザ。「小金稼ぎ」
「エキストラがスタッフロールに載りますか」
「有給のエキストラもある。それこそ劇団員を使って。スカウトだってあるさ」
 いまいち信じがたい。
「で、その彼女らしき人が館内に現れた。驚いて追ったが追いつけなかった」
「でも、本当に彼女だったのか、今思い返しても、全く確信出来ないんです」
「でも衝動的だったんだ」
「愚かです」
「違う」彼は空になったコップにセレスタのジンジャーエールを注いだ。
「ふさわしい時期があるんだよ」そう語った彼の声音はとても注意深いものに聴こえた。身振りを伴わずとも厳密さは伝わる。
「話すことや行動のタイミング。ただ待てばいいものじゃない。ふさわしい瞬間を見出す直感も必要」
「それがとても難しい」
「いや出来る。あんたはさっきちゃんと衝動で追い掛けた。ちゃんと然るべき時には誰でも直感を働かせることが出来る。これは本当。
 誰だって出来るんだ。厳密にふさわしい時であれば」
 夜遅いせいか静かな論調で語る彼が自らに言い聞かせているようにも聴こえた。黙っていると「あるんだよ」と独り頷くように呟いた。僕は、いつか語らなければならない。今ためらうのはまだその時ではないからか、ただの逃げなのか。
『会う?』
 取りとめのないことを考えたり、あるいは何も考えず、茫然とする癖があるらしい。セレスタの問いに気付くのが遅れた。彼女は、反応の遅い僕に怪訝な顔をしたようだった。彼女に対し、迷い迷い頷く。
『会いたい?』
 分からない。
 会って……また取り乱すかも知れない。彼女は、会いたくないのかも知れないし、忙しいのかも知れない。会ってどうすればいいのかも分からない。……でも会わなければいけないと思う。……どういう話をすればいい? どうすればいい?
 自問しても答えはなかった。とても難しい。でも会わなければ。また考え込んで、身体が止まっている。決定打がどこにもない。
「……今日はもう寝なよ」
 全くその通りだった。恐らく頭が働いていない。
 自室に戻ろうとし、しかし、何も言えず、共同の寝室に入って目を閉じた。
 一旦横になるともう起きあがることが出来なかった。濤声が遠く響く。半覚醒状態をしばらく漂う。
 彼女が入って来た。僕の肩を叩いてそっと気付かせ、紙片を手渡し、隣のベッドに眠る。暗い寝室で文字を読み取りにくいが、それでも四つ折りにされた紙片を開く。曰く、

『もっと私のことたよっていい』

 それだけ確認すると、感慨に耽るよりも早く身体が深い眠りに落ちた。夢も見なかった。

 目が覚めた時、既に彼女の姿はなく、紙片もどこにも見付からなかった。本当に手紙を読んだのか、確信がない。居間の時計を見ると家を出るべき時刻を一時間以上回っていた。キッチンにザムザがいる。
「彼女は」
「もう行った」
 分かり切っていたことだ。着替えようと自室に向かう。
「休みなよ、今日は」
「着替えないと落ち着かない」
「首元緩くしたらどうかね」
 くたびれたコットンシャツにノータイとしたが、落ち着かなくて結局ニットタイを結んだ。襟元は少し緩めている。魚のタイピンは失くさないよう箱に仕舞って保管した。改めて礼を言いたかった。冷めた朝食を取りながらその旨を述べると、ザムザは「違う」と言う。
「支払ったのはおれたち半々だった。でも選んだのは全部セレスタ。タイピンを選んだのも魚にしたのも」
 僕は黙り込んだ。
「随分気に掛けてるんだよ、あの子も」
「……申し訳ない」
「おれに言ってどうする」
 どうしたらいいのか分からない。彼女が帰ったらもう一度必ず礼を言おうと思った。昨夜の手紙のことは分からない。彼女は映画を喜んだだろうか?
 昨夜中見なかった携帯を確認すると研究室からの着信があった。返答し、休養を申請した。話は早かった。既にそういう契約を結んでいた。今日病院はどこも休業日だが。
 この日は一日掃除だとかいう調整のために費やした。

 二日後高橋塔子から電話があった。


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