ザムザさんは静かに飲んでいて、考え事をしているようにも見えます。ザムザさんも疲れちゃったのかもしれません。『げんき?』「おれ?」頷きます。「どうだろうなあ」
『つかれてるなら 出かけない方がいい?』
「出掛け方によるんじゃないか」飲み干した缶を重ねます。「たのしい疲労ってあんじゃん」
「楽しい疲労」
「だからたのしいことしようってセレスタが」
 言われて、驚きましたが、わたしは頷きました。帆来くんも少し驚いたようでした。
「何が好いですか」と帆来くん。「僕に出来る事なら」
「君があそびに行きたいところじゃないのか?」
 あきれたみたいにザムザさんが言います。色んなところにとぼとぼ着いて行く帆来くんの姿を想像しました。真面目だからなあ。きっと。慰安旅行で疲れちゃうタイプだ。
『ほらいくん いきたいとこ』
 書いて、少し考えて、『どこもいかなくてもいー』と足します。家でも、近場でもあそべます。彼は考えます。ゆっくりと声に出します。
「映画?」
 映画!
 わたしは笑ってみせます。
「でも僕はまだ本を読み切っていない」
『まつ』
 待ちます。いつでも。
「でも、別に未読でも良い筈なんです。……そうですね。早く行かなくては」
 彼の喋り方はゆっくり思案しながら、慎重にぽつぽつと声に出す感じ。雨の降りはじめに似ているかもしれません。
『いつ?』
「一番早くて来週の水曜日か金曜日。あとは土日」
『水』
「水曜日」「……で、良いですか」
「いーよ、あんたが船長だ」
「水曜日」
 彼は呟きます。「水曜日」
『夜?』
「レイトショーです」……「だから夜」
『レイトショー』
 小劇場なんだって。わたしは言ったことがない。
『すごくたのしみ』
 紙に書いて見せます。帆来くんもかすかに頷いたみたいです。夜の電車に乗って映画に。
『おしゃれしてく』
『ちがうのきてく』
「おまえもちがうの着なよ、せっかくだし」
「……いや……」
「ものは試しだろ、ねえ?」
『みたい』!
「本当に、そんなに持っていないし……」
『えらぼ』『えらびます』
「そーだよ。いつ消えるか分かんねえだろ? 今のうちに楽しみなよ」
「……何ですかそれ」
「いや、だから、見えなくなっちゃうかもよ」
『なにそれこわい』
「ほんとだよ」……と、ザムザさんは少し、まじめな冷やかさを帯びて言います。
「明日にでも見えなくなっちゃうかもしれない。見えないどころか、跡形も無く消えるのかも知れない。それはおれにも分からない。つーかおれが分かってたらちゃんと逃げてるっつーの」
「逃げられるんですか」
「知らん」と言って、少し間があいて、帆来くんを小突いて、「君には早いけどな」
 わたしは?
「別に予言はできないんだけど。……まあ、ちゃんと、今、しっかりしてれば平気じゃねえの」
 そしてため息みたいなあくび。「酔った」と宣言して、空き缶たちを片付けました。
「帆来くんワイン好きかい」
「自分じゃ買いません」……「安くはないし」
「たまには安くないの飲もうよ」ってザムザさんは言う。けれどもふたりが飲むのはきっとずっと後になるんだろうなって思います。願い事は、ちゃんとあと何日か数えられる願い事しか叶わないんじゃないかと思ってしまいます。もしくは今日にでも叶うこととか。
 遅くなったから今夜はこっちの家に泊まります。最初からこうするつもりでしたが。
『あしたの夜は帰ってきますか』帆来くんに見せました。
『タンスチェック』
 それに合わせて、わたしも着ていきます。せっかくですから。帆来くんは困った風に見えます。
「本当に大したことはないんですよ」
『だいじょぶ』
 でもわたしは、帆来くんはいつもの白黒でも格好いいと思う。
『おやすみ』
「おやすみなさい」
 彼とは6時間のお別れ。ザムザさんは、今日はベッドで寝るそうです。結局ソファも使っています。ザムザさんなりに小さなルールを決めているんだと思います。わたしも今日は寝室で寝ます。
 リビングの電気を消して、暗くなる、眠りに就く家。短い一日は今日もおしまい。急になにかがざわついてさみしくなる気持ちがしました。今日できなかったことが悲鳴を上げているのかもしれない。眠りに就けば明日は来るけれども、名残惜しいのが離れない。
 毛布を整えて(自動ベッドメイキング)「おやすみ」って言ったザムザさんに、わたしは手を叩いて聴こえない声を掛けました。思考はまとまりません。けれども思いつく限り、今すぐ誰かに言いたかったんです。聴いてくれるだけでいいんです。彼ならきっと。
『どこかに行くとかなにかするとか、そういう約束をするのは、あしたがくるのを約束しているの? あしたはちゃんとくる? 数をかぞえてちゃんと待ってればたのしいことがあるって信じないとだめ? あしたもちゃんとわたしたちがいますようにって、消えちゃわないようにって。わたしたち、自分で決めた線に沿って前へ前へ進んでるみたいだし、たぶんまったく行くあてのないまっさらな未来が広すぎて怖いんだと思う。でもあしたにでもみんな消えちゃうかもしれないって……』
 彼はきっとまっすぐわたしを見ていました。
「……ごめん、長くて分からない」
 わたしは首を振ります。二度目はいらない。『ごめんね』
 ベッドに潜りこんで、部屋の明かりを落とします。丸くなる。暗闇の中ではわたしは何も語れない。
 ため息をひとつ置いて、消えてしまった人が話しかける。
「今度、教えてあげる。必ず。今度っていうのはね、機を見計らってだ。忘れたわけじゃないんだよ。誰も彼も」
 わたしは頷きます。ちゃんと見えたかな。
「だから、おやすみ」
『おやすみなさい』


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