「何故いつもいつもひとの分を呑もうとするのですか」
「貧乏癖が根付いてるのかな?
あ、もしかしなくてもお前、回し飲みとか嫌いなタイプ?」
「不衛生じゃないですか」
「じゃあ、吊革触るのとか、鍋とか銭湯とか駄目だろ」
「別に、それは、平気です」
「え?」
「潔癖症ではないんです。他人が直接口を付けることに抵抗があるだけです」
「なんか、お前、面倒くさいな」
「そんな事を言われましても」
「まあまあまあまあ、では改めて、もう一杯……」
などと管を巻く間にドアベルが鳴って、セレスタだろう、と返事をしながら玄関へ向かうおれを、
「ザムザ君!」
家主は引き留めた。
「何だよ」
「貴方今、普通に出ようとしていましたけど、傍から見たら首の無いジャージ姿ですからね。忘れていたでしょう、透明だって」
「……ああ、うん、忘れてたねえ」
だっておれにはおれが見えるから。そう言ったら呆れの吐息をつかれた。形勢逆転の気がしてくやしい。
「僕が出ます」
「どうせセレスタだろ? 大袈裟なあ」
「隣人に見られているかも知れないでしょう? いくら家の中とはいえ、貴方はもっと警戒して下さい」
ピンポン、ピンポン、チャイムが連打される。あーあ、待たせている。悪意はないけど悪態をつく。
「分かったよ、ほら、待たせてんだから、さっさと出てこいよ、下僕」
「その呼び方は止めて頂きたい」
不承不承彼は戸を開け、予想通りに現れたセレスタを招いた。彼女もかんたんな室内着だった。宣言通りに枕を抱いている。小さなかばんに携帯やノートをつめているらしい。なんとなくさっきまでと違う雰囲気なのは、
「あ、そっか。コンタクトなんだね」
ジャージ姿のおれを見て、茶色い目でセレスタは頷いた。目配せのあと意味もなく誰からともなくハイタッチした。流れでセレスタは家主にもハイタッチした。更におれと家主もハイタッチした。すべて完璧なタイミングで成功した。このささやかな達成感はアルコールのせいだと思った。
「何だったんですか、今の」
セレスタは親指立ててスマイルを見せた。自分にもよく分からないよとどこか困って諦めた笑い方だった。まあまあ、と適当に取り繕い、
「明日もお休みなんだし、まだ寝ないよ、な?」
困って立ち惚けていた家主の肩をたたいた。
「何をしましょうか」
『トランプ?』
「ある?」
「あります。物置に」
彼は書斎に探しに行き、おれはそれぞれの二本目の缶を出した。セレスタは無炭酸のただの蜜柑水をグラスに注いだ。持ってきたのは何の変哲もない、マジシャンが使うようなトランプだった。かんたんに、ばば抜きをしようということになった。
「不正していませんよね?」
カードを配るおれに念押ししているらしい。
「不正するように見える?」
「僕の目に見えても見えなくても、貴方は不正しかねない質だと思ったので」
「まあ、でもそういうのって、袖や手にカードを隠すのが基本だから、逆に、今は出来ないよ」
『すける』
「そうそう。……と、順番どうする?」
『じゃんけん?』
「じゃあ、口頭で」
二人はグーを出し、パーと言ったおれの勝ちで、帆来くんの方を引いた。帆来くんはセレスタを引いた。セレスタがおれを引いた。三人しかいないからカードの回りが早く、すぐにセレスタが抜けてしまった。そうしておれと彼でジョーカーの奪い合いになり、何周もの間サドンデスが続いた。
「二分の一の確率に負けていますね、僕達」
互いに何度も二択を誤り続けた。相手の顔色やカードの並べ方のクセを読んだり、手札を覗いて笑っているセレスタを観察すれば正答は導かれる筈なのだが、この場にはそれほどトランプに真摯に取り組む者はいない。何よりもアルコールが進んでいた。
「ニケに嫌われてるんだよ」
と心にもない台詞で返答しながらカードを引くと、やっぱりジョーカーの絵札で、尖った帽子のモノクロ道化師がにやついている。どうせ二分の一なのだから、札を伏せて、自分でもどちらか分からないようにシャッフルした。
「永久に続くような気もしてきました」
彼は右のカードを取り、自分の一枚と見比べ、やはり札を伏せてカードを切る。
「このまま朝になっちゃったりして」
引いたカードはやはりジョーカーで、また、分からないように混ぜる。セレスタは身を乗り出してジョーカーのラリーを眺めていた。
「どっちだと思う?」と尋ねてみる。
『ジョーカー?』
「うん」
小首を傾げながらセレスタはおれから見て左を指した。なんとなくですよと言いたげな顔。家主も、どちらにせよ二分の一の確率なのだが、セレスタがジョーカーでないと言った方を、絵を伏せたまま手元に引いた。
「せえの、で見ようよ」
その瞬間に決まるのだから。掛け声と一緒にカードをめくる。
セレスタの予言は的中し、家主がクラブとダイヤの四を揃えて終わった。
互いに気の抜けた声をもらした。負けたことより終わったことの方が重要だった。
「セレスタの勝ちだね」
彼女はまたあいまいに笑った。
そうしてばば抜き二セット大貧民二セットを終えたが、ばば抜きは再びサドンデスにもつれこみ、大貧民はそもそも大貧民か大富豪か話が折り合わず、ローカルルールの調停にも手間取った(『イレブンバック』「何それ」)。
次第に遊びが尽きて缶も開け尽くして、飽きてソファによりかかって、身を預けて、結局今夜も何も変わらない。何もしない。並んで座っていた。
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