背中合わせにパイプ椅子がふたつ。
背中合わせに座る二人の人物。
手に本を持つ。表紙の無い本。
二人、頁を開き、朗読する。


 はじめに断っておくが、僕に先端恐怖症の気は無い。恐怖症というのは医師の診断が必要らしい。しかし恐怖症で医者に掛かったことは無いから、本当のところは分からない。そもそも先端恐怖症というのがどういうものかも把握していない。しかしここでは暫定的に、僕に先端恐怖症の気は無いものとして、物語をはじめるとしよう。

 枯れ枝を見るとそれが目に刺さってくることを考える。
 樹木や植え込みや路傍に落ちた枝を見つめているうちに、それが目に飛び込んできて、僕の眼球を突き刺すことを想像する。
 考えるというより想像せざるを得ない。僕は自動で無意識にそういうことを考えるらしい。
 眼球に野ざらしの枯れ枝が刺さったらどうなるか。痛むだろう。木屑が奥まで目に残るだろう。不衛生だろう。僕は泣くだろう。失明もするだろう。
 避けようの無い理不尽な理由で失明すれば僕はどんなに楽だろうか。
 苦痛に涙しながらうめきもがく僕を僕はすぐ隣で手も差し伸べずに眺めている。
 空想の血が目から吹き出す。赤く染まる僕。
 街を歩くたびに、枯れ枝を目にするたびに、すべての枯れ枝が僕を突き刺そうと腕を伸ばしているようにしか見えない。
 北風が吹き抜けて枯れ葉を巻き上げ、僕の眼球を今にも突き刺そうとしている。僕は目を瞑ってふらふら歩く。冷たい風に耳が軋む。痛む。涙が滲んでくる。
 僕は何を望んでいるんだろう。
 虐げられたいんだろうか。でも僕は本当は痛いのが苦手なんだ。実は包丁を見るのも得意ではない。
 被害者の自認があるのだろうか。それはちょっとメロドラマ過ぎて僕の好みに反する。
 罪の意識は無きにしも非ず。でも罪人を裁く存在がその辺の枯れ枝でいいのかと疑問が残るから、これも違うだろう。
 では、僕にこの空想を見せるものは何だろう。
 空想は自動で進む。映画のように止まらない。
 僕は考えるのを止めない。止めることは出来ない。
 客席にいる僕に映画を止めることは出来ない。


二人、同時に本を閉じる。
背中合わせに座っているのは、少年と男。
互いに振り返らない。


少年 あなたは、誰なんです?
男2 ……いいえ。
少年 「いいえ」じゃないですよ。僕はあなたが誰だと訊いたんです。
男2 僕は僕です。
少年 じゃあ僕も僕です。
男2 ですが僕はもう僕では無いのでしょう。
少年 じゃあ誰なんです。
男2 僕なのでしょう。


二人、導かれて、新たな頁を開き、朗読。



 主人公は僕です。


二人 (とっさに否定)いいえ。

二人 というか、あなたが主人公なんでしょう?

二人 (とっさに否定)いいえ、僕ではありません。


少年 「僕は僕ではない」と言いましたよね?
男2 はい。
少年 ということはあなたが主人公じゃないんですか?
男2 しかし結局僕は僕でした。
少年 と、言うと
男2 僕は僕でしかなかったのです。
少年 そんなの詭弁ですよ。僕だって普段はオレとか使いますけどオレはオレでありながらもオレの奥にあったのはいつだって僕でした。今だって僕はずっと僕です。オレじゃありません僕は僕です。
男2 仰ることがよく分かりません。
少年 ええ僕も言ってみただけです、意味なんてぜんっぜん分かりません。勝手に悩みを打ち明けますが僕は僕を使いこなせないんです。僕はオレではなく僕の筈なのに僕を人前で使えこなせなくってオレになってしまうんです。
男2 僕は僕しかありません。
少年 僕は僕になりたい……。


 僕はため息をついた。


二人、ため息をつく。



少年 身の上話をします。脈絡もなく僕はここに座っていました現在進行形で。手には一冊の本を持ち、僕は適当な頃合いで朗読します。たぶん同じような境遇の人が僕の後ろに立ってるんでしょうけど僕がそれを見ることは出来ません。
男2 ご説明ありがとうございます。僕は立っていません、座っています。手には一冊の本を持ち適当な頃合いで朗読します。僕の後ろに座っていると自白したのは同じような境遇であると自白した少年です。互いの姿は、見えていません。
少年 (挙手)質問。なんで“男2”なん
“赤い林檎は電気仕掛けみたいに床の上をころげまわってぶつかりあった。”
少年 話の腰を折るな! 新潮文庫66ページ一行目!
男2 また『変身』ですか。(新たな頁を見る)フランツ・カフカ著、高橋義孝訳。
少年 で、質問します。なんで、“男2”なんですか。僕が男1だとは思えません。すっ飛ばした男1はどこに行ってしまったんですか?
男2 電気仕掛けみたいに床の上をころげまわってぶつかりあった赤い林檎に殺されたのが男1でした。
少年 ……意味わかんねぇ。あなた、僕のことバカにしてるんですか?
男2 広い目で見れば僕だってバカにされている。
少年 誰にですか。
男2 言葉を交わしたことも僕は忘却させられる。
少年 だから誰に?
男2 明日にはすべて忘れている。
少年 ……僕は、明日には忘れている。
男2 (思索のためにやや間を空けて)提示された問題がすべて解決されると思ったら大間違いであることを僕は学んだ筈です。
少年 僕は?
男2 僕は。
少年 その僕は主人公なんでしょう。
男2 僕は僕だがその僕ではない。
少年 僕も僕だがその僕ではない。


二人 あなたなんでしょう?

二人 僕はあなたなのでしょう?


背中合わせのまま二人は椅子を立つ。
本が、膝から滑り落ち、ページがひしゃげる。



 あなたが、僕でしょう?


互いに振り返り、姿を見ようとする、瞬間、



暗転


いや、



停電


イントロのカウントが聴こえてくる。



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