また荻原が暇だって言うから帰宅部のミーティングをした。M市駅近くの古本屋チェーン店でぐだるだけである。何階建ての広い店内の一角のCD棚を欲深な僕はまたも徘徊物色していた。邦楽トの棚にさしかかり、二度見し、どこから出たのか分からないような奇声を不意にあげる。棚の隙間に、敬愛する彼らのCD、まさかの掘り出し物、千円が眠っていた。僕は迷わずレジへ直行。稀少なる彼らDrive to Plutoの痕跡に僕はいくらでも支払える。世間一般には、これを信者と呼ぶ。
 文庫本百円棚に立っていた荻原を探しだし、買った買ったと自慢する。良かったじゃんと荻原は言う。荻原も本を一冊だけ買った。
 外へ出ると北風が吹きすさび、僕達はマフラーに頬をうずめる。ポケットに手を突っ込んで猫背に歩く。どこかモスかマックに入ろうと考えたが、この午後の時間は結構混雑している。おとなしく電車で帰ろうかと僕達は猫背で駅まで歩く。五組の某野球部員はT市からチャリ通らしいと荻原から聞く。僕達帰宅部は快適で有意義な寄り道を目的としているのでそんな芸当はとても出来ない。急行を数分前に逃してしまって、やってきたのは各駅停車だったけど、その代わりに座って帰れる。電車はゆるやかに発進する。僕はCDを取り出して見る。荻原がのぞき込む。

「アルバム?」

 僕も、クエスチョンマークを浮かべる。

「見たことない、っていうか、知らない」

 そう言いながらアルバムのタイトルらしき文字列をググる。すぐさま詳細を知る。

「コンセプトミニアルバム『ひよこ』、だって」
「ひよこ?」
「ジャケットの絵のことなんじゃね?」
「ほんとだ。まんまじゃん」

 なんだか分からないけどとってもかわいいファンシーな絵柄で、ひよこが片足上げて行進しているイラストだった。
 僕は検索結果を読み上げる。

「『全六曲からなるミニアルバム。対になる二曲が三セットあって六曲』……評判は分かれてる。ストーリー仕立てになってるらしい」

 空いている車内、僕らの向かいに座る人物はいなくて、窓に流れる景色が見える。もう景色が青暗いと気付いた。説明しがたい、暗い青色。住宅地の風景をすっぽりと覆いかくして立ちこめる空気だ。夕方から夜に変わる、その境界の青が滲んでく。

「暮れるの早いなあ」と思わず呟く。
「これぐらいの明るさが好きだなあ」
「あっという間に過ぎちゃうけど、キレイだよな、こういうの」
「『宵』だね、それとも『黄昏』かなあ」
「たそがれってもっとオレンジっぽい感じだと思ってたけど」
「宵って方が青っぽいよね。たそがれって字に黄色が入ってるからオレンジなのかな。
 ともかく、あたしはこれが好き」

 確かに荻原には青空よりも、夕暮れの紺の方が似合うだろう。
 刻一刻と外は暗くなり、マジックミラーになった窓に並んで座る僕達が写る。僕は跳ねた髪をなでつけた。
 食べる? と言われて粒ガムを貰って口に含んだ。この暗さは、朝焼けを見たあの時に似ている。あの時は四時頃に日の出を見た訳だけど、今なら六時にまだ日が昇っていないから、日の出をもっと楽に見られるだろう。いや、でも寒いか。布団から出たくないもんな……。
 日の出を見たのもずいぶん前だったと思い返す。朝が夕方になるまではあっと言う間だし、夕方が夜になるのもあっと言う間だし、夜もあっと言う間に日付が変わって、あっと言う間に朝になるのだろう。
 でも時々手違いみたいにランダムイベントがあるのを僕は知っている。僕が知る限りランダムイベントは白昼には起こらない。今まで起こったのは夜明けと夕暮れ時だった。昼よりも夜の方があやしい。均衡が綻ぶのは夜なのだろう。夕方や朝の時刻というは、夜の要素を含んでいるから、不測の事態も起こるのだろう。ありふれた朝のはずだったのにと、いつかの手違いを恨んだこともあったけど、結局、あの日見た朝日のお陰で僕はセレスタに近づけたのかもしれない。
 今朝だって、

「変な夢を見たんだ」

 夢の話なんて一番つまらないと分かりつつも、荻原は「どんな?」と返事してくれる。

「目が醒めたんだ。まあそれも夢の中だったんだけど、夢の中のオレは醒めたって思った。そしたら、部屋の中にオレが6人居るんだよ」
「6人?」
「分裂してるって設定だったんだ。見渡したらオレが6人居て……あれ、そういうことは、オレ含めてオレは7人居たのか」
「7人の、夏生」荻原がはやし立てる。うるせえなと僕は返す。
「で、まあ、オレが6人増加してる訳じゃん。だからどうしようかなーって悩んでたら、そいつらが、
『違う人生を歩みたい』
って言い始めたんだ。旅に出たい、とか、音楽をやりたいとか、俳優になりたいとか、宇宙に行ってくるとか言い出して。みんな部屋を出ていって、結局オレひとり残っちゃったって夢。
 そしたら、気付いたら場面が変わってて……夢って、意味分かんない場面転換するじゃん?」

 うんうん、と荻原は頷く。電車は二つ目の停車駅に止まる。特急電車に追い抜かれる。記憶をたぐり寄せながら夢の話をする。

「知らない男と喋ってるの。背中合わせに座ってるらしくて、一緒に本を朗読して、そのうちオレと相手が揉めはじめて……。結局誰なんだろうって、振り返った所で、なんかうやむやになっておしまい。後はもう覚えてない」
「知らない人と話した、ってことは無いと思うよ」

 二つ目のガムを頬張る荻原。

「予め知っている情報がないと夢は見られない筈じゃん? 7人ホズミんは、ホズミんがホズミんのこと知ってるからそういう夢を見たんだろうけど、知らない人に会うっていうのは絶対無いよ。たぶんどこかで見た人とか、芸能人とか、ゲームとか、いろんな情報が混ざってその人になって、混ざり過ぎて心当たりが無いだけでしょ」
「まあ、そうだろうけどさ」

 本気の推理を貰うとは思っても見なかった。荻原は結構楽しんでいるらしい。

「その人を探してみようよ。他にも、情報無かった?」
「そう言われても、その人の事を見た訳じゃないし」
「増えすぎたホズミんの一人ってのは」
「たぶんだけど、違うと思う。
 夢って出所が分からない確信があるじゃん。オレが増えた夢は『オレが分裂した』って確信があったけど、こっちは『知らない人がいる』って確信があったから、やっぱり知らない人だと思う」
「最近印象に残ってる人はいないの?」
「うーん……」

 高田氏ではなさそうだ。高田氏なら高田氏と分かる筈だし、姿を見られないなんていう暗示めいた事にはならないと思う。
 暗示、あの日の夢を思い出す。女性に泣きついた夢。あの人も知らない人だった。いかにも女性という印象の女性だった。あれはセレスタのイメージだったのかもしれない。
 今朝の夢の男も、いかにも男という男だった。ただの特徴の無い『他人』としての男。女性はセレスタだとしても、思い当たる他人は誰だ?

「会話の内容はぜんぜん思い出せないんだよ。話して、揉めて、終わっただけ。どういうことを話したのか、思い出せればちょっとは手がかりになるんだけど……」

 悩んでいるうちに乗換駅に到着した。C駅方面の次の電車は急行だった。

「あ」僕は、突然思い出す。
「どうしたの?」
「『変身』が出てた。オレ、それを朗読してたのかな?」
「課題図書の?」
「そうそう」
「ホズミん、けっこう読み返してるよね」
「訳分かんないじゃん、アレ。結局なんだったんだって読み返したけどやっぱりよく分からなかった」
「で、それが夢に出た、と……」

 他人の夢を真剣に推理する、名探偵荻原。真実は、いつもひとつ。
 ふと思い立った一言にハテナを覚える。真実はいつもひとつというのは一面的な考えではないか。出来事としての事実はひとつだろうけど、そのとらえ方や出来事に至る経緯はとても多角的で、名探偵一人で捉えられるものでは無いと思う。

「あ、じゃあこういうのは?」

 名探偵、閃きたり。

「相手は、ザムザだったんだよ」
「……はい?」

 変身の?

「そうそう。虫相手の会話だったから、最後振り返れなかったんじゃない? 人間のグレーゴル・ザムザの姿は分からないんだし。だから漠然と、男っていうイメージしかなかったんだよ」
「そういう事なの?」
「ホズミんの夢だからあとは知らないよ?」
「そうだけどさあ……そうなのかなあ……」
「本の読みすぎって事じゃない?」
「夢に出る程読んだのかあ……」

 急行はC駅に到着し、僕達は寒いホームに降りる。すっかり宵の青色は消え、街明かりで濁った黒い夜だ。これから自転車で帰らなければだから、きっと耳が寒さに痛むだろう。帽子やイヤーマフの購入を考えた。
 駅から続くレンガ橋付近は街明かりで眩しいけど、少し離れると街路樹と住宅地で、星明かりも結構見える。耳があまりに冷たくて、僕達は自転車を押して歩いている。見上げればまばらな星がまたたいている。星座の名前も忘れてしまった。
 星がまたたいている。それは、漫画で読んだのだけど、地球の大気がゆらめいているかららしい。宇宙の真空では均一だった恒星の光が、流れる大気を通過して見えるから、地上からはちかちか光って見えるという。つまり僕らは風を見ているという訳だ。遥か上空の透明な風を。

「空飛ぶ夢って見ないよなあ。オレ、たまに見るんだけど、あんまりうまく飛べなくって、だいたい途中で着地しちゃうんだよね」
「そう? あたしは飛べるよ。飛びたいって思ったら結構飛べる」
「なにそれすげえ明晰夢じゃん!」
「実は夢の続きも結構見れます」
「うわあ、うらやましいなあ、それ。オレも風をつかんで飛んでみたいよ」
「出た、詩人ホズミんだ」
「透明な風をつかむ夢、かあ」

 現実の夜の風はとても冷たい。寒いし腹も減ったし早く帰ろうと思うけど、もう少しこの下らない話をうだうだ続けていたかった。


fin.



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