「気を悪くしましたか?」

 嘘をつく私は、客人に嘘の気遣いをする。彼は「いいえ」と答える、それは全くの本当らしい。顔色一つ変えない。私なら、嘘でもほほえんでみせる。

「彼は現れませんね」
「全くです。どこをほっつき歩いているやら……」
「貴女の理論で言えば、彼は愚直ですか」
「とても愚直です。とても」

 事実と嘘と警告と真実と、ほんのすこしだけいだいたあこがれを交え、私は言う。ゆっくりと見据え、視線で、私は客人を突き刺す。

「人を殺す程に、愚直です」

 それでも貴方は彼につき合うのですか?
 かすかに首を傾げる、彼の目は何を見ているのか。

「貴女は彼を愛しているんですね」
「さあ、どうでしょう」

 嘘のまなざしで返す。これも嘘かも知れない。真実かも知れない。

「いいことだと思います」

 とてもいいことだと思います。
 褒められているのか貶されているのか分からないが、きっとどちらでもないのだろう。
 愛情にしたってこれは届く筈がないのだからこれは愛情ではない。と、私は自分に嘘をつくのかも知れない、というのも全て嘘で。
 ではどこまでが真実なのか。何が私の真実なのか。
 午後の太陽は曇りがちにやわらかく部屋に差し込み、ソファに転がる『異邦人』とはまるで違う。背表紙を上にしているからあらすじが目に入る。この男こそ、愚直に死んだのかも知れない。正直であることを選び、愚かにも人を殺し死刑になった。

「ムルソー」
「……は」
「そんな風に見えなくもないと、思いまして」

 喪服の男に指を差す。少し厭な顔をする、それは本音らしい。

「……違いますよ、ザムザじゃあるまいし」
「と言うと」
「……僕は帆来です」
「ホライ?」
「船の帆に、来る。帆来」
「本名ですか?」
「本名です」
「私は唐木田です」
「地名ですか」
「さあ、どうでしょう」

 ニッコリ、嘘でほほえみ返す。
 バタバタと外が騒がしい。隣人の主夫が買い物を終えて帰ってきたのだろうか。
 思いがけず、チャイムも鳴らさず玄関ドアが開く。上機嫌な様子の、この部屋の主。

「慎、遅いです」と言う私の文句は遮られた。

「愛、愛、居るんですねえ、透明人間。黒梨が言っていました。嫌がらせされたって」

 は?
 呆気にとられる私を余所に、彼は手も洗わずにケーキの残りをちぎって頬張った。それから改めて客人を見、待たせていたことも忘れたふうに何事もないように会釈する。彼ら、互いの名前を知っているのだろうか。

「ねえ、居るんですねえ、透明人間。僕も見てみたいです」

 見えないから透明人間なのではないか。否、その前に、突然何を言い出すかと思えば、透明人間とは。
 客人の顔をちらと見るがさして困惑した様子は無かった。それどころか、

「一泊二日程で貸し出しても良いですよ」
「本当ですか?」
「家事位ならやらせます」

 まるで平然と日常会話を繰り広げる。
 バニラクリームのついた指を慎は舐めた。「手を洗いなさい」と今更に諭す。彼は素直に洗面台へ向かった。全く世話の焼ける人だ。

「いつもこんな調子ですか?」

 こっそり客人が問いかけた。ええそうです、私は頷く。客人も成程と返した。

「うちもこんな感じですから」
「透明人間、ですか」
「いいえ、もう一人……二人ですね。世話の焼ける者三人で住んでいます。僕を含めて三人です」
「それは、大変そうですね」

 皮肉と同情と何かを込めて私は笑ってみせる。

「でも、さして大変ではありません」

 男は真実を言ったらしかった。
 テーブルに慎が着いた。服の裾で濡れた手を拭ったらしい。

「いい加減タオル位持ち歩いたらどうです?」

 しっかりして欲しい。貴方はとても世話が焼ける。当人はニコニコとしてテーブルから身を乗り出し、私と客人を交互に見て、嘘偽り無く笑うのだった。

「さあ、お話を始めましょうか」


『異邦人』アルベール・カミュ


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return / 0313 written by.yodaka
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