pianoman(舞台裏)

 土曜の夜九時、劇場に程近い、薄汚れた虹色のオイルみたいなこの店。普段はもっとどんちゃん騒ぎだけど、今日はなんだか品が良い。そう言えば今日があの舞台の千秋楽だっけ。するとこの老人も俳優だろう。あんまり呂律の回らぬ口で、ぼくに昔の話をする。みんなが店の顔なじみだ。

 バーマンのJとはよく話す。気が利いているいい奴だ。あいつはぽつりと呟いた。
“俺はここでいいんだよ。どうせここから出られないんだ。まあ、もしもここから抜けだせたなら、俺も舞台のスターになれるさ。”
 結局カウンターから出ようとしないのをぼくはちゃんと知っている。

 そこにいるPは物書きで、物語に取り憑かれてる。そのくせ全然売れないもので、だからずっと独り身だ。Dは物語にはまるで関心無いけど、たまにPに会いに来ては新作を見せて貰ってる。曰く、Pの文だけは読めるらしい。酒を呑み交わして作者と読者は談義する。

 つまり三つの人種に分けられる。物語を必要とする客と、役者や作家みたいな表現者。そしてぼくたち、店の人間。舞台なんていう残念な絆でつながるわけだが、でもみんな酔いたいって気持ちは変わらない。誰だってたまに色んなことを忘れたくなる。だからこの店が必要なんだ。

 チップをくれた誰かが語る。顔立ちからして、役者だろう。
“なんでこんなところにくすぶってんだ? 君なら舞台にも上がれるぜ。”
 ぼくはにっこり答を返す。
“物語はひとを励ますだろう? でも物語を励ますひとはいない。だから、ぼくがあんたを歌うのさ。”
“それじゃ、誰がお前を励ますんだ?”
 それは言いっこなしだよってぼくは笑ってごまかした。役者は困ったようなはにかみ笑顔で、今度舞台に来てよと言った。たまには観客に甘んじなよって。
“歌ってくれよ、ピアノ弾きさん。今夜は何か聴きたいんだ。わかるだろ? 任せるからさ。……おれの知ってる歌は忘れちゃったから。”

 そうやって役者は目を閉じた。バーマンも演技者も観客も抱える孤独は変わらない。物語は孤独を引き寄せるから、そういう奴らを舞台は呼ぶ。ぼくらは舞台でつながっている。たまに舞台につかれた奴がこの店に酔いにやってくる。この店はそういう、舞台裏なのだ。

 なあ、君は誰なんだって、役者に訊かれたような気がした。奏でるぼくは聞こえないフリ。あんたが役者であるのと同様に、ぼくはただのピアノマンさ。
continue
2012.Jan.31 : 文字

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