浮気性×潔癖症
僕は潔癖症だ。
どのくらい潔癖症かというと家のドアノブをゴム手袋越しにしか触れないくらいに潔癖症だ。
大気中の他人が吐き出した二酸化炭素を吸うのがどうにも耐えられずに妥協案でマスクをつけて過ごす潔癖症だ。今この瞬間にも遮断しきれない他人の排泄物が自分の体に侵入してきているのかと思うと発狂して死にそうになる。
「お前俺とセックスする気あんの。」
目の前でへのへのもへじが意味のわからん戯言をほざく。このへのへのもへじは何の間違いか自称僕の恋人で僕も渋々ながらそれに納得している。僕はへのへのもへじの下品としか言いようのない下品な問いかけに無言で先程淹れたばかりのコーヒーをぶっかけた。へのへのもへじの顔に。
「あっつ!あっつ!ちょ、なにしてくれんの!?」
「お前が馬鹿な事言うから…。」
「あ、あれー?なんで俺が悪いみたいに!俺なんか変な事言ったー?」
「晃一死んで。」
「ひ、ひどい!」
「ひどいのはお前だ!」
僕は立ち上がって晃一の分のコーヒーを晃一の頭にぶっかけた。
「またもや!」
「お前が浮気するから!」
そうだ。全ての元凶は悉くお前にあるというのにその被害者面した腐りきった言い草が鼻につく!お前は僕に地に額をすりつけて謝るべきなのであってこうして対等に向かい合いコーヒーを啜るなんて百年早い!僕は机に置かれた晃一の手を見てどうにかしてその指を逆側に押し倒してしまいたいと心から思った。
「う、浮気?」
「なにそのアホ面。」
この期に及んでまだしらばっくれようと言うのか。僕は静かに新しくコーヒーが注がれたマグカップを手に持った。晃一が馬鹿みたいに慌てて両手を左右交互に振り僕に制止を呼び掛ける。
「い、いや!違うって!違うんだって!マジでわかんないんだって!」
「なんも違わねえじゃねえか馬鹿!なんなの?馬鹿なの?死ぬの?」
「あっつ!あっつ!ちょ、この人またコーヒーかけたあああ!」
晃一がそのへのへのもへじのような顔面を色々な液体でぐちゃぐちゃに汚して僕を見る。正直吐き気を催しても可笑しくないほどの不潔さだが仏と同等の心の広さをもつ僕はウェットティッシュを投げつけるだけで勘弁してやった。今世紀最大の思いやりである。
「謝るから、謝るからもうコーヒー掛けないでね、理生…。」
「何を謝るんだ?」
「わかんないけど謝るから…あっつ!ちょ、掛けないでって言ったばっかりいいぃ!」
「馬鹿め!何を謝るかもわからないで謝るなんて僕を馬鹿にしてるのか馬鹿め!」
お前のような馬鹿はこうだ!僕は容赦なく晃一の指を通常とは逆方向に力いっぱい押し倒してやった。
「い、痛い!ちょ、痛い!いてええええ!」
「なら思い出せ!思い出せ今すぐ!」
「ちょ、ま、マジで俺浮気とかしてねえじゃん!なんなのもおお!言いがかりいいい!」
「嘘をつけ嘘を!ならお前電車で見知らぬ女の子の隣に座ったり、大学で同じ講座の女の子とにこやかに会話したり司書のお姉さんに話しかけたりとかは浮気じゃないっていうのか、この人でなし!」
「う、浮気のハードル低い!そしてお前俺と大学違うはずなのになんでそんな事知ってるの恐い!」
「この浮気者おおお!全身塩素消毒してやる!」
「死んじゃう!」
とりあえず応急処置として熱湯殺菌しようとしたら晃一に抱きしめられて掲げていたポットを下してしまう。晃一の体から香る汗と体臭。誰にも触られていないことを示すその匂いに、僕は酷く安心した。よかった。まだ汚れてなかった。
「理生。不安にさせてごめん。」
「……なら、もう浮気しない…?」
「うん。しないよ。」
「じゃあ…許す。」
晃一が安心したように微笑む。僕もそれに笑顔で答える。右手をゆっくりと上げた。晃一の美形美形と持て囃される唯一の長所が不細工に歪む。
「ちょ、ま、り、理生。ゆ、許すって」
「それとこれとは話が別だ。」
僕はぽっとの給湯ボタンを押した。すんでのところで晃一が熱湯の直撃を避け全速力で部屋から飛び出す。
に、逃げただと…!?
「待てええええ!やましい事がないなら何故逃げる!殺すぞ!?」
「ひいいいい!だ、誰かぁ!殺されるうううう!」
し、失礼な!
誰が殺すか!