『もしもの時は日記帳を探してくれ』

ケニー・アッカーマンらしい荒々しい字体で綴られたメモの意味が、ナマエは何度読んでも理解出来無かった。あの楽園を出る際、リヴァイには見られないよう、こっそりと手渡されたメモ。

(でも……そろそろ、私も前に進むべきなのかな)

意味はわからない。けれどケニーと一度連絡を取って、ナマエもすっぱりと忘れる努力をした方がいいのかもしれない。

気まずい夕食の席から一夜、ナマエは朝早くにリビングに起き出した。既にイザベルとファーランの姿はない。ひょっとしたら、隣の自宅の方へ帰ったのかもしれない。キッチンの水切り籠には丁寧に洗われた食器が並んでいる。

言い過ぎたかもしれないと思えど、そこは付き合いの長い従妹同士。また夜になれば、きっといつもの空気になるはずだ。

朝の紅茶を淹れるよりも先に、リビングに置いてある固定電話を手に取った。レトロなダイアル式の電話を膝に乗せ、ソファの上に座り込む。

(よし!)

メモの隅にはケニーに繋がるらしい電話番号もあった。こういうのは勢いが大事だと己を鼓舞しつつ、ナマエはダイアルを回す。

コール音が1回、2回、3回……8回目。

「よう!ようやく電話してきやがったな!」

相手をわかった口ぶりに、ナマエは一瞬だけ息を呑む。

「お……お久しぶりです」

「久しいなぁオイ。さっさと連絡してこい、馬鹿野郎」

「色々……あったもので」

「そりゃあ俺だって知ってる。なんだお前、フラれちまって」

「ち、ちがっ!」

「違わねぇだろうがよ。お陰でリヴァイはこっちに帰って来た。記憶が戻って、クシェル……母親に会いにな」

リヴァイの中にあったおぼろげな母親との記憶。それを思い出したので、度々ケニー達の所にも顔を出しているらしい。母のクシェルは大層喜び、親子関係も叔父と甥との関係も良好だとケニーは言う。

「そうなんだ……それは、よかったな」

本心からナマエはそう思った。リヴァイのことを大切にしている人が、彼とまた自由に会えるようになることは喜ばしいことだ。

「で、お前ェは。日記帳はわかったか?」

唐突にケニーが本題を持ちだした。

「それ!あの、メモの意味がわからなくて。それだけ教えてもらったら、私も一区切りつけようと思って」

「あぁ?わからねぇで俺に電話してきたのかよ嬢ちゃん。日記帳ってのはあれだ。俺があいつに贈ったモンだ」

「おくった?プレゼントってこと?」

「それに端末を仕込んでおいてな。あの日記帳はリヴァイがチビの頃、もともとクシェルから貰ったモンだった。忘れてただろうけどよ。でもどこかで大事にしてるなら、リヴァイは日記をつけてるんじゃねぇかと思ってだな」

「それが……私に何の関係があるの?」

「もしリヴァイが日記を書いてやがったら。それもあいつの記憶のうちだ」

初夏の湿った空気と、若草が育つにおいを孕んだ風が、ナマエの頬を撫でる。電話を膝に置いたまま窓を見やれば、まだ朝早いというのに真っ黒な日陰が見えた。空にかけて、緑と青のコントラストが眩しい。

ケニーの言う日記帳は今、リヴァイのメンテナンスルームにあった。

マイクロチップを取り出すオペを行った時、リヴァイの持っていた私物(といっても日記帳と自動拳銃くらい)は箱に詰めてまとめられていたのだ。

「あ。ハンジさん!これ、リヴァイさんの物じゃないですか」

梅雨も明け、空気が乾いて来た頃合いを見計らったモブリットがモップがけをしていた。偶然に、発見した所だった。

「本当だ。逃走中に使っていたものだろうね。彼が覚えているかわからないけれど、届けてあげようか」

以前のリヴァイの部屋は地下の薄暗い所にあったが、今は違う。ハンジやエルヴィンらが暮らす、日当たりの良い単身寮へと移り住んでいた。

廊下の窓も大きい。開け放たれた窓からは、ナマエの頬を撫でたのと同じ風が吹き込んでいた。

「リヴァイ!今いいかい?忘れ物を届けに来たんだ」

「クソメガネ。ノックをしろと言っている」

笑ってはぐらかしながら、ハンジはモブリットが見つけた箱をリヴァイへと突き出した。もちろん、身に覚えの無いリヴァイは、怪訝そうにハンジを睨む。

「マイクロチップを取り出すオペの前に、貴方から預かった物なんだ。確認頼むよ。重さからして武器らしきものもあるから、ちゃんとエルヴィンに申告しておくれ」

「……ああ」

じゃあ、と言ってハンジは踵を返す。取り残されたリヴァイは、デスクの上に箱を置いた。

(何だ)

小さな段ボール。蓋を開くと、どこか冷たい匂いが鼻をつく。置き去りにしてきた、冬のにおいだ。

(自動拳銃デザートイーグルと……本?日記?)

ぼんやりと記憶にあるのは、自動拳銃デザートイーグルをケニーから受け取ったことだけ。日記帳らしきそれを開いてみれば、リヴァイの字が羅列していた。

(こんなモン、書いたか?)

一番最後を見れば、1月1日で止まっている。いつの、1月1日?日記はそう多くない。12月25日に始まり、1月1日に終わっている。

「ナマエ」

12月25日の「サンドイッチを食ってる奴」から、ナマエという名前が連なる。

「ナマエ」

紅茶の取っ手が取れたこと。ナマエの従妹を捕まえた事。ナマエ、ナマエ。

「12月29日、俺はナマエを愛している」

声に出せばすとんと何かが落ちた。リヴァイの中に、足りなかったパーツが埋まるかのように。

リヴァイの人間に戻ってからの生活は全てが上手くいっていた。公安特殊三課としてのリヴァイ、メンバーや親や親戚に恵まれ、まさに順風満帆な人生。でもその中にぽつりとあいた穴。どこかに……冬の中に。置き忘れて来たものがある。

風が強くなる。夏が来る。柔らかな嵐を報せている。

──深夜の高速道路。安っぽいロック。古びたモーテル。移動遊園地。国立公園。賑やかな新年。

(ナマエ)

リヴァイが書いた日記は端的なものだ。ナマエを想って綴った言葉の数々。溢れて零れそうな愛しい想いや、後悔に近いもの。整理のつかない気持ちを、文字にしていた。

(俺がナマエを愛していたからだ)

最初から。あの庭先でサンドイッチを食べるナマエを見たあの日から。

(いつだ……それは)

心の中で何度も繰り返す。ナマエ。ナマエ。ナマエ。それでも彼女の表情だけが、ノイズがかかったみたいに見えない。声も聞こえない。どんな顔をして彼女は笑っていた?どんな風に泣いていた?

(クソが)

無いはずのマイクロチップが痛んだ。この痛みにも、覚えがある。きっと苦しかったのだ。胸が絞まってしまうみたいに。

リヴァイは立ち上がり、日記帳を腰に挟んでからバイクのキーを取り出した。ファーランからもらった鍵。どんなバイクだった?どこに停めてあった?わからないはずなのに、体は動きだしていた。

「リヴァイ!どうした?」

廊下を飛び出した所で、エルヴィンにぶつかった。血相を変えたリヴァイを見て、エルヴィンは何事かといつものポーカーフェイスを顰めていた。

「安心しろ、エルヴィン。今度はちゃんと帰ってくる」

「まさかお前……思い出したのか」

「わからねぇ。わからねぇけど、行ってくる」

そこに主語は無い。けれどエルヴィンにはわかった。そしてきっと、リヴァイなら大丈夫だと。

「気を付けて」

エルヴィンがリヴァイの肩を叩く。リヴァイは今一度、弾かれたように走り出した。

ファーランのバイクは12-3と書かれた門の前に停まっている。長い間放置されていたのか、カバーの上には砂ぼこりがたまっていた。ヘルメットは2つ。座席の下には、きっとファーランのウインドブレーカーが仕舞ってある。

(どうして……わかる)

冷えた腕。あのウインドブレーカーに腕を通した時。

バイクに跨ると喪失感がリヴァイを襲う。このバイクに乗る時は、いつもあったはずだ。背中に温かく、愛しい存在が。

(ナマエ)

エンジンをかけてハンドルを握る。行先は、わかっていた。ノイズがかかっていたナマエの表情が少しずつ晴れていく。

追い風が吹く。夏だ。冬はもう、終わった。

ナマエは庭先にいた。あの日、最後にランチをしたときのテーブルの上に、紅茶のセットを置いて。部屋の中のソファには、固定電話を投げだしたまま。

生垣のすぐ側にリヴァイがバイクを停めると、ナマエは顔を上げた。リヴァイがヘルメットを脱いで髪を振ると、ナマエとリヴァイの視線が絡む。

「リヴァイ……また、髪……癖ついてる」

「ナマエ。そういや、お前の泣いた顔を見るのはこれが初めてだ」


7月6日

随分日にちが空いちまった。

この俺がナマエのことを忘れていたからだ。信じられねぇが。

でもこの日記も今日で終いだ。明日は新しい日記帳を買いに行く。明日から、新しい俺達のことを綴っていく。

どうでもいいことばかりになりそうだ。毎日の、ナマエの作るサンドイッチの中身だとか、茶葉の種類だとか。

行った場所も記しておくか。今度はナマエも連れて国立公園に帰る。移動遊園地にも行く。ナマエがいらねぇというまで買い物させる。

汚れるのと散らかるのはいけ好かねぇが、またパーティとやらもしよう。何のパーティかは知らねぇが。

……そういうことを書いていく。明日からは、ナマエと一緒に。

悪くない。


▼ 最後の日記

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