12月31日
0時を過ぎたからもう新年だ。
民間人は年越しにパーティをやるもんらしい。公安の人間に季節の行事なんてねぇからな。ハンジの奴も年越しパーティとやらは公安に入ってからはじめてしたと言っていた。
0時になった時はナマエとイザベルがクラッカーを鳴らして、ファーランがシャンパンの栓を抜いた。そっからは俺とナマエ以外の全員が飲んだくれだ。
ナマエは今、俺の膝の上で寝ている。起きたら出発だ。今日はナマエの自宅に向かう。
パーティの途中、ナマエが俺の誕生日を聞いてきた。12月25日だったと言えば、誕生祝いをしたいと言い出した。どうしても家に帰らなければ出来無いらしい。
あまり外をウロつくのは得策じゃねぇが、ハンジの方も資料をまとめたいとか言っている。ナマエが望むなら、そうさせてやりたいと思う。
今日は、そうだな……楽しかった。
薄暗い朝。新しい年の朝。数日ぶりに帰って来た自宅に入った瞬間、ナマエは項垂れた。
「あー……忘れてた。そうだった」
室内は散々荒れに荒れていたのだ。公安特殊三課のミケ達がナマエを拘束していた所に、リヴァイが煙幕も放ったから。
「まずは掃除からだな」
「そうだねぇ。ちょっと掃除しないと、普通には過ごせないよね」
窓も何枚か割れているし、リビングは散らかり放題。
「掃除は俺に任せろ。ナマエ、お前は」
「サンドイッチ、作ろうか?」
返事の代わりに、リヴァイが微笑む。
「昨日は年越しパーティだったでしょ。今日はちょっと遅れてリヴァイのバースデーパーティだから。とびっきり美味しいの、作るね!」
「いつものがいい。それが、食いたい」
荒れた室内を除けば、普通の恋人同士が休日に過ごす朝そのものだ。こんなに落ち着いてナマエの家に訪れるのは初めてなのに、リヴァイは勝手知ったる様子でリビングにモップをかけている。
ナマエは庭に出て、食べれそうな野菜を見てまわる。数日水やりもしていないが、時期が幸いしてか枯れたりしているものは少ない。若いほうれん草やルッコラ。プランターの細いニンジン。食べる分だけを少しずつ摘んでいく。
(あのライムもまだいけるかな……)
庭のテーブルの側には、背の高いライムの木がある。細い枝の間に、絵の具の緑が落ちたような丸い実が揺れている。倉庫から150センチほどある高い脚立を引っ張りだして、ナマエはライムに手を伸ばした。
(リヴァイはライム好きかなぁ)
ペリエに浮かべて飲むと美味しいのだ。夜お風呂からあがったらリヴァイにも飲ませてあげようと思いつつ、いくつかのライムを採る。
「オイ、何してる」
「リヴァイ。そっちは?」
両手を腰にあて、いささか心配そうにナマエを見上げるリヴァイ。
「掃除は終わった。ついでに窓も直した」
「え、早いね!」
「ライム、貸せ。そういうのは俺がやる。傷にも障るだろうが」
「あはは。そんなに心配しなくても大丈夫だよ」
お約束な一連だ。例に漏れず、ナマエはリヴァイにライムを手渡そうとした瞬間、大きく体のバランスを崩した。
「ファーランが言っていた通りだな」
傾くナマエの体をリヴァイが受け止められない筈がない。計ったかのようなタイミングでナマエに手を伸ばすと、ナマエの両足はちょうどリヴァイの腰のあたりを挟みこみ、リヴァイは満足げにナマエを抱っこする形になった。
「どういう意味?」
「こういうことだ」
リヴァイが鼻頭をつんと突き出すと、ナマエも鼻先を合わせて、そのまま唇を重ねた。
「綺麗になった家の中、見るか?」
「見る見る!リヴァイって、掃除得意そう」
「苦手ではねぇな」
ナマエを抱っこしたまま、リヴァイはリビングに向かう。人よりも随分力が強いので、ナマエを抱き上げるくらいなんでもない。
「あは。視線がたかーい!」
「俺に対する嫌味か?それは」
「リヴァイが抱っこしてくれてるからだよ。あはは!コアラになった気分」
リビングは申し分無い程掃除が行き届き、割れた窓は炭酸飲料が入っていた古い木の箱を崩して応急処置がなされている。前よりもお洒落に見えるのはリヴァイのセンスだ。
ナマエがリヴァイを褒め称えると、リヴァイも悪い気はしないらしく、得意げにナマエを抱っこしたまま家の中を回る。時折立ち止まり、キスを交わす。
「そろそろご飯にする?」
「ああ。頼む」
キッチンに立つナマエを、リヴァイはカウンターに頬杖をつきながら見守った。そんなに見られているとやりにくい、と困った様に笑うナマエを見て、リヴァイは無表情を極める。ナマエは声を立てて笑い続ける。
出来上がったのは結局いつもの野菜のサンドイッチ。最初にリヴァイがこの家に訪れた時と同じく、大きなプレート皿にのって。
「ちょっと寒いけど、庭で食べる?保温のポットに紅茶つめて」
僅かに瞳を大きくしたリヴァイが頷く。なんだか大きな子供みたいだと、ナマエは思った。
赤いギンガムチェックのテーブルクロスに温かな紅茶、サンドイッチ。冬の空気は冷たくて厳しいけれど、陽射しは穏やかだ。
「一度やってみたかった」
「ん?何を?」
「こんな風に庭先でサンドイッチを食う生活だ」
リヴァイは大きな口を開けてサンドイッチにかぶりつく。頬が幸福で膨れる様は、作ったナマエも幸せだ。庭の野菜の話題でも会話がはずむ。何がいつ採れるとか、ニンジンが甘く出来たとか。意外なほどに。
「……美味かった。満足だ」
カップのふちに指をかけて紅茶を傾けると、リヴァイはそのままナマエの頬にキスを1つ贈る。ご馳走さまとありがとうを込めて。
「夜……は、ケーキも焼こうか?遅くなっちゃったけど、バースデーパーティなんだし」
「いや、それより風呂だな。掃除で汚れちまった。ケーキはベッドの中でもらう」
「リヴァイのえっち」
「あ?何考えてんだ?」
「そのジョーク、おじさんみたいだよ」
2人は同時に吹きだした。ここ数日で、リヴァイはよく笑うようになった。
手早く食事の後片付けを済ませると、午後になっていた。リヴァイがバスタブにお湯を張り、リビングで寛ぐナマエを、また抱き上げた。
「一緒に入る?」
「そのつもりだ」
リヴァイの腰に足をまきつけ、肩に手を置き、ナマエは何度も軽いキスをする。合間に鼻歌を口ずさみながら。脱衣所からは熱い湯気が漏れ出して、2人の温度も上げていく。
「……そりゃ、なんの歌だ?」
歌詞も曖昧なほどの、ふんわりした鼻歌。
「ジェット機に乗って、彼が出掛けて行く歌。いつ帰れるかわからないから、残して行く恋人にキスしてくれって言ってるの」
「ジェット機に乗るならお前も一緒だ」
リヴァイが勢いをつけてナマエを持ち上げたので、腕の中でナマエの体が小さく跳ねた。笑い声のような悲鳴を上げながら、そのままバスルームまで一直線。ころころと、鼻歌の余韻を冷たい廊下に巻き散らしながら。
ナマエの腕の怪我があるので湯船は浅い。国立公園のバンガローの時と同じように、向かい合わせでバスタブに浸かった。もっとも、ナマエの家のバスタブはバンガローよりずっと狭いので、膝頭がぴったりくっついている。
「……楽しいね」
折り畳んだ膝の上に、顎の先を乗せたナマエが呟く。ちょうどバスタブの真ん中で、2人は両手の指と指を絡めていた。
「ああ。悪くない」
「ねぇリヴァイ……今日は私の話しを聞いてれる?」
リヴァイの眉が怪訝に釣り上がる。遊ばせていた指先同士が、ぴたりと動きを止めた。
「良くねぇ話しだな」
「ううん。良い話しだよ」
「……なんだ」
ナマエはリヴァイと絡めていた手を持ち上げて、リヴァイの手の甲にキスをした。ありったけの愛しい気持ちを込めて。
「エルヴィン団長の所に帰って、マイクロチップを取り出して欲しいの」
「エルヴィンと会ったのか?」
ナマエが頷いて見せると、間髪入れずにリヴァイは「言いくるめられやがって」と呆れた風に言う。
「違う。エルヴィン団長と話したこともあるけど……違うの、リヴァイ。私ちゃんと、リヴァイと恋がしたい」
そこからナマエは、リヴァイに口を挟ませなかった。何度も、自宅へ帰ってくるまでの時間に何度も。頭の中で練習したのだ。
「アッカーマン一族とか、覚醒とか……そんな運命にがんじがらめにされたリヴァイじゃなくて。リヴァイが一番に、リヴァイ自身を大事に出来るようになって。それから……余裕があったら、私の事、好きになってほしい」
すぐに返事は無かった。
リヴァイは「傷に障る」と言って、早めに湯船から出る様にナマエを促した。ナマエの体をバスローブで包み、ドライヤーで髪を乾かし、パジャマに袖を通させた。無言ながらも、一つ一つの動作は優しさに満ちて。
ライム入りのペリエに口をつけ、並んでベッドに腰掛けてから。ようやく、リヴァイが口を開いた。
「忘れちまう。俺が人間兵器でなくなると……お前のことを」
ナマエは首を横に振る。
「きっとどこかには残ってる。だって一緒に過ごした時間は本当にあったから。私は、絶対に忘れないから」
「……エルヴィンはここへ来るのか」
「明日の朝、ね」
そうか、と言うリヴァイの声は消え入りそうだった。
ストーブを切ってしまったので室内は冷たい。リヴァイはベッドの中に、ナマエを引っ張り込んだ。
「笑える話をしてやろうか」
「急にどうしたの」
ふいを突かれたナマエが笑う。空気が、ほどけたみたいに。
「人間兵器だなんだとさんざ言われてる俺にな、怖いものがあったらしい」
「本当に?」
2人は抱き合い、リヴァイは自然とナマエの頭の下に腕を滑り込ませた。正しい位置に、体が収まってゆく。
「何だと思う」
「えぇ……何だろう。うー……」
しばし考え込んでから、ナマエはぱっと顔を上げる。上げた拍子にリヴァイの鼻の先に唇があたったので、リヴァイはすかさずキスも一つ。
「わかった!ティーカップの取っ手が取れてしまうこと!」
「ハズレだ」
ばっさりと言い切るリヴァイに、ナマエは不服そうに頬を膨らませる。当たりそうな気がしないのだ。
「ナマエは当てられねぇな」
「ね、何なの?」
「お前だ」
「へ?」
「お前のことだ」
ナマエの腕の傷を、そっと撫でるリヴァイ。その動きで、ナマエはリヴァイの言わんとすることを察した。
ナマエが傷つくこと。それが何より、怖い。ナマエだって同じだ。リヴァイに対して、同じように思う。それが愛するということだから。自分じゃない他の誰かを大切にしたい。それには自分自身も大切にしなければならない。
「守るものが出来ると弱くなっちまう。人間兵器としちゃあ、もう終いな頃合いだ」
「違う。リヴァイは弱くなんかないし、終わりでもない。ここから先は、リヴァイが自由に選んでいいって。エルヴィン団長も……そんな風に言ってた。これからなんだよ。でも、今のままじゃ駄目だから」
もう、お別れしないと──
音にならないサヨナラが2人を包む。在るべき形は、隙間無く抱き合う今の形なのに。どうしようもないこの矛盾は、リヴァイが望むべき未来に賭けよう。その先の結果は誰にもわからない。
(今日だけは絶対に、泣かない)
明日の予定や、今日のおやすみは言わなかった。ただ、抱き合い。互いを撫で、ベッドの中を暖めた。
緩やかな漆黒に身を任せ、朝を否定しながら眠りにつく。
1月1日
ナマエが眠っているうちに行こう。エルヴィンの迎えがきたときナマエが泣きでもしたら、堪ったもんじゃねぇ。
ごめんな。
最後のキスは俺が勝手にしていくしかねぇ。それすらも忘れちまうんだ。ひどい話だな。
ゆっくり休んでくれ。ナマエも目が覚めたら、俺のことは夢だと思えばいい。夢だったと思ってくれ。
勝手だな。でも、どうか
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