ベッドから抜けだすのは大変だった。
室内のエアコンディンションが完璧で、乾いた肌と肌は寝覚めにも軽やかに触れ合い、いつまでもシーツの上に引き留めようとした。しかし2人の旅はまだ始まってもいない。シャワーを浴び、再びバイクへと跨ったのは、すっかり午後になってからのこと。
「服を調達しねぇとな」
ため息交じりにリヴァイが言う。改めて明るいお陽様の下でナマエを見ると、その恰好はなかなかひどいものだ。
「そう、だね。すぐに家には帰れそうにないし……このままはちょっとね」
着の身着のままで飛び出して来たナマエ。部屋着のショートパンツは、大型バイクに乗るには褒められたものでは無い。
リヴァイはタブレット端末の地図アプリを起動する。ちょうど進行方向に大型のショッピングモールがあった。
「先を急ぎてぇが、寄って行くか」
「お願いします」
あぁ、と返事をするようにリヴァイはナマエにキスをする。ちなみに、朝からすでに数えきれないくらいキスをしている。挨拶よりも頻繁だ。
モーテルを出てゆるやかな山間が続き、郊外へ出ると目的のショッピングモールは見えて来た。だだっ広い山を切り開いた中に、突如現れる巨大な建物。広大な土地故か、モールの周囲はひたすらに駐車場が広がっていた。
「わぁ!」
思わず歓声を上げてしまう。ショッピングモールの隣では、ちょうど移動遊園地が開催されていたのだ。冬のこんな時期には珍しい催しである。モールの入口と移動遊園地の入口は連なっていて、カップルや家族連れがマフラーに顔を埋め、皆一様に浮足立っている。
「服買ったら、少し寄って行くか」
モールの駐車場にバイクを停めたリヴァイが、いつもの無表情でそう言う。
「いいの?」
「行けば、お前が喜ぶだろうからな」
今度はそう言って笑うのだ。ナマエも笑って見せ、リヴァイの腕に巻き付いた。
「ありがとう!これって、初デートかな」
「デートか……いや、それはそれでちゃんとする。これはノーカウントだ」
「あはは!」
指を絡めて手を繋ぎ、モールの中を歩くナマエとリヴァイも、行き交うカップルのうちの1組だ。
目的の服はすぐに見つかり、ナマエは動きやすいスキニータイプのパンツと分厚いパーカーを選んだ。リヴァイもいつもの仕事着の上に羽織るパーカーを購入する。さぁ、外の移動遊園地に寄ってみようか。少しお腹も空いて来た──そんな時だった。
「チッ」
リヴァイが小さな舌打ちを零し、ナマエの腕を引いた。
「え、リヴァイ?」
急に強い力で引っ張られたことに驚き、ナマエは足を縺れさせる。リヴァイはレストルームやドリンクの自動販売機が並ぶ薄暗い壁際にナマエを押しつけ、両手の中にナマエを閉じ込めてから「静かに」と人差し指で制止してみせた。
「……どうしたの?」
「誰かに見られてる。多分、公安の奴だ」
「追手ってこと?」
「気配の消し方がなってねぇ。俺の課の奴らじゃねぇな……公安特殊一課、か」
リヴァイはため息続きに、そのまま小さなリップ音を立ててナマエにキスをする。
「悪いな。移動遊園地はゆっくり回れそうにねぇ」
「ううん」
2人のいた場所のすぐ側には、屋外へ出る自動ドアがある。リヴァイは視線を這わせながら、ナマエの手を引いて外へと出た。まだ全力で走り出すまでも無い。小走りで、2人は移動遊園地の方へと向かう。
色とりどりの風船、小さなジェットコースター、緩やかに回る観覧車。
追手から逃げている2人に反して、移動遊園地の中は誰かしらの笑い声が溢れ、陽気な雰囲気だ。その間を2人は縫うように進み、ファンネルケーキの屋台の側で身を隠した。甘いケーキの香りが、緊張感を緩和させる。
「クソ……尾いて来てるな」
「バイクの所まで走る?」
「いや。多分そっちにも誰かしら配置されてる。ここで巻いちまう」
ファンネルケーキの隣は、クラシックなエンジやネイビーの幕が下がったサーカスのような屋台で、射的やボールで的を射抜くと景品が貰えるゲーム屋台だ。
リヴァイは姿勢を低くしながら、ゲームの屋台へと近付く。そしてカウンターになっている所からひょっこりと顔を出して、店主らしき男に多すぎる紙幣を押しつけた。
「しばらく借りるぞ」
射的用のコルク銃とボールゲームのボール。まさかこの状況で、ゲームを楽しむわけでもなく。
リヴァイがその場に座り込み、パーカーの下から細いペンを取り出したので、ナマエは隣に座って黙って成り行きを見守る。リヴァイはまず、コルク銃にコルクを詰め、ペンを使って可能な限り奥まで押し込んでいた。結構な深さだ。いくつかのコルクをてのひらの中に隠し、ボールをポケットに入れ、準備が整った所で颯爽と立ち上がる。
そしてライフルを構えるのと同じ姿勢でもって、まっすぐ銃口を向けた。ゲームの屋台の向こう側、レモネードの屋台の方へ向けて。
──音が違った。
さっきまで子供達がポンポンと音を立てて打っていたコルク銃は、空気を切り裂くようにして飛んで行く。
「……やっぱり一課の奴だ。うすらヒゲの野郎だな」
「うすらヒゲ?」
「こっちに気付いた。移動するぞ」
リヴァイがナマエの手を引いて小さく走り始める。と同時に、周囲に振動が伝わったかのように、数人が2人の気配を察して動き始めた。
「何人もいる?」
「ああ。バイクの辺りで張ってる奴らもこっちに誘き寄せる。全員がここに来たら、俺達はバイクで逃げる。シンプルな作戦だ。わかったか?」
「わかった!」
手を繋いで逃げ回る移動遊園地内。まるでゴールデンリングに手を伸ばす、メリーゴーランドに乗っているみたいだ。落っこちてしまわないように、ナマエは必死でリヴァイの手を握り閉める。その辺の木馬よりは、ずっとずっと頼もしい。
時折リヴァイは足を止め、ポケットに入れたボールを取り出して、公安の人間と思わしき方へ向かって投げて見せた。全力で投球されるボールはコルク銃よりも威力があって、スーツの男らは1人、また1人と移動遊園地の喧噪の中に倒れていく。
(9……10人は巻いた。公安特殊一課の班員なら大抵10人でチームだ。そろそろバイクに戻るか……)
その時だった。場内アナウンスを報せるけたたましいブザーが、ポップなBGMを切り裂いて響き渡った。
『リヴァイ、聞こえてるだろう?俺だ、ナイルだ。お前のおかげでこっちは仕事が増えてしまった。エルヴィンが待っている。いいか、エルヴィンが待っている!奴の名前を出せば、帰ってこれるんじゃないのか!』
リヴァイは目を見開いて、観覧車の隣にそびえるポールのスピーカーを見つめていた。
「リヴァイ……エルヴィンって、誰?」
耳には届かない電波音。それが聞こえるはずだった。聞こえると、リヴァイも思っていた。
「……あとで説明する。バイクに戻るぞ、ナマエ」
身を低くしながらリヴァイが呟く。ナマエは黙って頷き、2人は移動遊園地を後にしたのだった。
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