STORY | ナノ

▽ 七月と黒 参


自分で言うのもあれだけど、ニサカは結構強い。
でもやっぱり強さにはそれなりの理由がある。
ニサカは生粋のハイカラシティ生まれのハイカラシティ育ちだ。
両親は子どもをそのまま大人にしたようなインクリングで、幼いニサカを置き去りにして常にバトルに遊びに行ってるような奴らだった。
それ故にニサカが家でお留守番してなくても気付かれない。よくこっそり抜け出してバトルの観戦をしていたものだ。
バトルに参加してもいい歳になった頃、動きとか視野とかは大抵身に付いていて、気が付けばA+カンスト。いわゆる上位勢になっていた。
だからニサカは諦めてしまう奴がよく分からなかった。
ニサカにはそれなりの経験がある。ハイカラシティ生まれって結構珍しいらしいし、外から来たインクリングがはじめてバトルに参加して全く出来ないのは当たり前だし、練習すればニサカのところまで来れるんだから、何故そこで諦めて、自分で成長を止めてしまうインクリング達がよく分からなかった。
なーんて口には出さない。それで揉め事になっちゃったこともあるし。
まあそれはさておき。
ニサカは強い。だから、弱い奴をキャリーするのは、当たり前だよな?
バトル面でも、精神面でも。



「あーもうわっかんねえ! これでいいだろ。生活の役に立つし」
「一人暮らしをはじめた娘を心配した親の仕送りじゃないのよ。サプリメントはナンセンスだと思うわ」
「僕達にプレゼントのセンスを求めるのもどうかと思うけど」
ハイカラシティの中心部から少し離れたところに建つデパート。
うるさいと周りが視線で訴える中、俺達チームクロメはデパートの中にある店をあちらこちらとまわっていた。
名誉の為に言っておくが普段周りの迷惑を気にせず大きな声を出している訳ではない。エンギは出しまくっているが。当のエンギは、今ここにはいない。
このデパートはハイカラシティの中で唯一建てられたデパートであり、ここに来ればなんでも揃うんじゃないかと言われるくらい食材から雑貨品まで色々と揃っている。食材は他でも買えるが俺もサプリメント等を買う為によく利用している。少し遠いのが玉の傷だが、それでも足を運ぼうと思えるほど便利なデパートだった。ただ大きい建物なだけに犯罪もないわけではなく、念の為にとブキは入口で預けられる形になっている。普段持ち歩いてるブキがない分身軽で、あちこち見て回れるので買い物に一役買っている。
俺達チームクロメが何故揃ってここに来ているかというと、ここにはいないエンギの為だった。一人になりたい時もあるだろうとエンギを追いかけようとするケイを止めたが、それでもじっとしていられないらしく、それなら自信を取り戻すお手伝いがしたい、となにか元気になれるものはないか探しに来たのだ。
しかしまあ、これがだいぶ俺達に苦戦を強いていた。いかんせん俺は誰かに物を送るなんてほぼした記憶がない。ケイが提案したのだから多分いい案があるのだろうと思っていたのだが、当のケイも、一緒に来たカザカミも俺と同じだったのだ。私達とっても息が合ってるわね、なんてケイは微笑んでいたが、この圧倒的敗北感はなんだろうか。
「こういうのなんかどうかしら」
そう言ってケイが手に取ったのは固そうでふわふわしてそうなお菓子が入った袋だった。いや、これはお菓子なのだろうか。ピンク色をしていてどちらかというと飾り物に見える。
「マカロンだね」
覗き込むようにしてカザカミが言う。余談だがカザカミはインクリングにしては珍しく背が低いのでこうやって背伸びしないと不便な時が所々あるようだ。本人には口が裂けても言えないが。
「でもマカロンって好み別れない? エンギが好きとも限らないけど」
「エンギは可愛いものはなんでも好きなのよ。きっとマカロンも気に入ってくれるわ」
一つ決まりね、とケイはマカロンを手にレジへ向かって行った。お菓子で正解だったらしい。世の中色んな物があるものだ。
ケイの後ろ姿を見送っているとつんつん、と背中をつつかれた。言わずもがな犯人はカザカミだ。くすぐったくて不機嫌な目を向けるが、カザカミは真面目な表情で。あれ、と目で訴えている。
カザカミの視線の先を辿ると、そこには、スイレンが立っていた。目が合うなり目線を下に向ける。偶然とも考えられるが、ここはガールが好んで来そうな洒落たショップである。スイレンが自分からこの店に入って来るとは考えにくい。つまり俺達と会おうとしていたのか、それとも。
下を見たままスイレンは溜め息を吐く。そして観念したとでも言うようにこちらに近付いてきた。
「こんにちはー」
「てめぇ…!」
近付くスイレンの胸ぐらを掴む。スイレンは特に驚くことも抵抗することもなかった。
「どの面下げて俺達のところに来た」
「自分あんたさんになにかしました? 身に覚えがねーのですが」
「俺達じゃねぇ。エンギだ!」
俺が怒鳴り散らすと、スイレンは一瞬目を泳がせた後、ああ、あのシャプマ使い、と思い出したようだった。
あれだけ傷付けといて忘れるとは。いじめっこはいじめたことを忘れるとはこのことだなと思った。どれだけ他人の気持ちを踏みにじれば気が済むんだ。
「確かに色々と言いましたがあんたさん方には関係ねーと思うのですが。何故そこまで怒ってるんです?」
「エンギはチームメンバーだしフレンドだよ。関係なくなんかない」
「フレンドとはいえただの他人。よくそこまで感情を傾けられますね。自分には考えられません」
スイレンは俺の手を払うと破れちゃったらどうするんです、とフクの皺を伸ばすように払った。まるでこちらの言うことなんか微塵も興味がないように。
「当然のことを教えてあげたまでです。世間で地雷だと言われてるブキを持っている以上、それなりの強さと精神力を持っているのが当たり前。それがなかっただけじゃねーですか。それに」
「お話の途中失礼します」
その時だった。この店の店員だろうか。いつの間にそこにいたのか、俺達の傍に店の制服を着たインクリングがそこにいた。
キョロキョロしだしたかと思うとスイレンを見て驚いた表情の後頭を下げ出す。突然のことにスイレンも眉をひそめる。
「申し訳ございませんお客様! お客様が当店にお預けしたブキが盗難に合ってしまいまして…!」
「……はぁ!?」
「本当に申し訳ございません! 必ず支払いますので…お、お客様!?」
店員が頭を下げ必死に謝罪しているのもお構いなしに、スイレンはどこかへ走って行った。そのスイレンの行動に驚くものの店員も後を追い掛けていく。なんだかシュールだった。
「店に預けたもん盗まれるってあるんだな」
ぽかーんと二人の後ろ姿を見ながら一人言のように言った。
「一応…。でも盗まれることなんてほぼないと思うよ。預かるのってブキだけだし。盗まれてもブキのお金と謝罪料渡せばいいだけだし」
なのにスイレンってばなんだか必死だったね、と既に興味が失せたらしく帰ってくるのが遅いケイを探しだした。
確かに、と思った。ブキという物はやはり使い続ける以上メンテがいる。それがめんどくさくて劣化する度に新品を購入する奴もいるくらいだ。しばらくメンテをしなくてもいい新品が買えて、プラスお釣りまで出てくる。逆に喜ぶインクリングもいるんじゃないだろうか。仮に思い入れがあったとしても盗まれてしまえばこのハイカラシティでは戻ってくることはほぼないのだ。気持ちを切り替えるしかない。それを考えてこその謝罪料なのだろう。このデパートの悪評をほとんど聞かないのもこれらが一つの理由だと思われる。
そう考えると確かにスイレンの行動は異常だ。俺より長いことハイカラシティにいるだろうに、その気持ちの切り替えが出来ないように見えた。なにより常に無表情でまるで人形の用なスイレンが見せたあの悲しみとも焦りとも見えるあの表情。あれは、まるで。
「おまたせ」
あれこれ考えていると、先程までエンギへの贈り物を購入に向かったケイが帰ってきた。
「遅かったね」
「レジが混んでたのよ。それで私の番が回ってきた時ちょうど故障しちゃったみたいで」
グッドタイミングよね、とケイはくすくすと笑う。いや、笑い事じゃないぞそれ。
「なぁケイ」
「なにかしらフッチー」
「あんたは自分のブキが盗まれたらどうする?」
突然の俺の質問にケイはきょとんとする。しかしすぐにいつもの表情に戻り、
「当然取り返すわ。地の果てまで逃げようともね」
そう即答した。



その後もデパート内のあちこちを回り、エンギへの贈り物を決めた俺達はデパートを出た。
「後は明日エンギのところへ行くだけね」
満足気に話すケイ。そこで一つ問題が生じる。俺はエンギの家に行ったことなんてないが、誰か行き道を知ってるのだろうか。
疑問に思っていると、俺の心を読んだようにケイが安心して、と俺の前に出た。
「エンギの家には一度遊びに行ったことがあるの。住所もメモしておいたから大丈夫よ」
見せつけるようにイカ型端末を弄るが、なかなかケイが見せることはなかった。
これはもしや。
「…おい、まさか」
「おかしいわね。文字化けしてるわ」
やはりだった。そう。ケイは極度の不幸体質。簡単に事が運べる訳がない。
「まぁ一度行ってるもの。きっと頭で覚えてるわ」
「その台詞に不安要素しかないの僕だけかな」
「安心しろカザカミ。俺もだ」
「大丈夫よ。例え覚えてなくても私達はフレンドなんだもの。いつか会えるわ」
ね、と笑顔で豪語するケイ。その自信はどこから来るんだ。というかせっかくの贈り物をいつか待ちなのはどうなんだろうか。
そんなやりとりをしている時だった。目の端で、緑のカラーが路地裏に入っていくのが見えた。本当に一瞬。はっとなってそちらを見るも既に姿はない。気のせいだろうか、しかし気になって仕方なかった。
これからどうする、とケイとカザカミは話している。そちらに意識を戻すべきなのだろうが、やはり駄目だ。
「悪い! 先帰っててくれ!」
そう告げると俺はぶつかるインクリングにも気にせず走り出した。後ろから俺を呼ぶ声が聞こえるが、気にしていられない。
緑が入って行ったと思われる路地裏へ入る。入って分かれ道だったり曲がり道だったりを勘で進んでいく。ハイカラシティの路地裏は一体どこまで続いているんだと思うくらい複雑だ。もはや迷路だと錯覚するくらい。一度迷えば出てこられない、なんて言われているくらいだ。だからこそ表とうってかわって薄暗く、誰かいる気配などない。それを利用して俺達は入り込まない程度に入っては色々話したりしているのだが。
走り続けているとどこからか話し声が聞こえてくる。俺は一度立ち止まり呼吸を整えた。落ち着いたところでそっと歩き、覗いてみる。
そこにはスイレンの後ろ姿と、その奥には複数のインクリングがいた。ここから見える範囲じゃ三人くらいはいる。
「御託はいいからさっさとその子を返してくだせー。こんなみっともないことしてないでブキの練習した方がよっぽど有意義な時間を過ごせると思うのですが」
「ぷっ。その子だって。だっさ!」
「強くならなくても結構。こーいうのがシュミなんで」
相手の内の二人がげらげら笑い出す。あーなんかすっげぇ雑魚っぽい。開き直りも清々しい。煽りにも似た話し方にいちいち構ってはいなかったが、返してもらえない焦りかスイレンの声がかなり苛ついているのがよく分かる。
「つーかそんなに焦ってるってやっぱこのブキ仕込んであるんじゃね?」
黙っていた一人が口を開く。その発言にスイレンもはあ? と聞き返す。
「だよなー。だってこんなクソブキであんなに持ち上げられてんのおかしいもん」
「それかジャッジ君に賄賂でもしてんじゃねぇの」
「おめーみたいな戦犯野郎見てるだけでも腹立つんだよ恥晒し!」

「おい」

かなり低めの声が路地裏に響く。その場にいた全員が話をやめ、声の聞こえる方へ顔を向けた。声の主は、紛れもなく俺で。自分でも無意識の内に前に出てきていた。外れ者とスイレンの間に割って入る。
嫌いなんだ。こういうやつらが。相手の気持ちも、今までなにがあったのかも考えず平気で傷付けるやつらが。例えスイレンが同じことを俺の仲間にしていたとしても。
…もしかして、と一つの考えが横切る。だとしても今は目の前に集中しなければ。
「なんだおめぇは」
「理由はどうあれあんたらがやってることはただの犯罪だろ。それを早く返せ」
そう強く睨んでやると、外れ者達は少し後ずさった。焦っているのがよく分かる。何度もこの目のせいで怖がられてきたんだ。それを今思う存分発揮してやる。
「そもそもこれ俺らのだし?」
「そーそー。なのに自分のだとか言い出していちゃもん付けてくるのはそっちだろ?」
あれだけ丁寧に盗んだと明言していたにも関わらずまだ白を切るつもりらしい。後ろでスイレンがかなりいらいらしているが、無駄な暴力沙汰は避けたいので少し辛抱してほしい。
しかしこの態度だとさらさら返す気はなさそうだ。よほどスイレンのジェッカスが欲しいらしい。じゃなければ自分で買えって話だ。スイレンはかなりの上位勢らしいし、先程の話を思い出すになにか仕組んでるとでも言いたいのだろう。
「じゃあ店に戻ろう。監視カメラがあるはずだ。それで盗んだのが嘘か本当か……」
その時だった。俺を押し退けて、後ろにいたインクリング、スイレンが前に飛び出していく。そのまま外れ者達が持つジェッカスを抱き止めるようにして奪い取ろうとする。
「あっくそ、テメ!」
突然のあまり相手も驚いたのか取られまいと必死に応戦する。すると敵わないと悟ったのかジェッカスごとスイレンを突き飛ばした。勢いよく飛ばされたスイレンは背中から壁に打ち付けられる。かなり力強かったのだろう。スイレンは息を吐いたかと思うと苦しそうに咳き込む。
これはやばいかもしれない。そう判断すると俺はスイレンを覆うようにして庇った。俺の嫌な予感は的中し、怒りを爆発させた外れ者達が一斉にスイレンを狙う。しかしスイレンは俺に庇われている為狙えない。もはやどうでもよくなったのか、外れ者達は俺の背中を殴って蹴って、ひたすらに暴力を与え続けた。襲い掛かる苦痛に耐え、俺は必死にスイレンを庇った。痛い、苦しい。でもこんなの、慣れっこだ。そうだ。昔、こんなこと、よく合ったはずだろ。耐えろ。逃げるな、俺…!
そんな中、ふとスイレンの顔が目に映った。今まで見たことのない、怯えている表情。今日からずっと感じていた違和感だった。いつも人形の様に表情を変えないスイレンが見せる焦り、悲しみ、恐怖といったこれらの表情。無理に無表情を装うカザカミと違ってまるで全てを諦めきった表情から出てくる、感情。どこか既視感を覚えるその表情は、とてもケイに似ていると思った。
耐えろ耐えろと言い聞かせてみるものの、息も出来ないくらい意識が朦朧としてきた。駄目だ、このままじゃ。もしここで俺が気を失ったらスイレンはどうなる? そう考えてはみるがもはや限界らしい。俺は背中に衝撃を受けながら、そのまま意識を手放した。



冷たい。硬い。
意識が覚めてきて、最初に思ったのはそれだった。
なんだか懐かしいような気もするその感覚は、果たしていつ頃の話だったか。
もう少し眠っていてもいいような気がしたが、どこかでそれを許さない声が聞こえた気がして、俺はゆっくりと目を開けた。
目を開けた先で黒い目とばっちり合う。
除き込むようにして俺を見ていた黒い目は、俺と目が合うなり溜め息を吐く。
「おはようございます。目が覚めましたか」
相変わらずな平坦な声は、スイレンだった。
ああ、と返事をしたいところだったが、異様に喉が乾いていて声が出せない。この冷たさの正体はコンクリートだったのか、と心の隅で考えつつ体を起こした俺は咳払いをしてみる。しかし声が出ることはなかった。声が出ずぼやぼやしている俺に見かねたのか、スイレンは無言で俺になにかを差し出した。それは飲みやすいという謳い文句で売り出している飲料水だった。声が出せない代わりに小さく頭を下げると、飲料水を受け取りそれを飲み込む。あまり自覚はなかったがかなり水分不足だったらしい。飲み干す頃にはだいぶ生き返った感覚だった。
「あんたさんが気を失った後騒ぎを聞き付けたインクリング達が来て、慌ててあいつらは逃げて行きました。めんどうが起こるのは避けたかったので自分もあんたさんを運んで来たんですよ」
あーしんどい、といかにも自分は重労働を強いられました、とでも言うように肩を回すスイレン。あんなに怯えていたというのにすっかり本調子だ。なんだか拍子抜け。
ジェッカスは、と聞くと大事そうに抱えて見せた。俺はどうやら守り切れたらしい。よかった。
「なんであんなことしたんですか」
ふとスイレンが尋ねる。
「自分はあんたさんのチームメンバーを傷付けた心ない敵でしょう。あのまま自分なんて放っておけばよかったじゃねーですか」
「心ないって自覚はあったんだな。よかったじゃねぇか。無自覚よりマシで」
「真面目に聞いてるんです」
目を鋭くして俺を見る。どうやら言い逃れはさせてくれないらしい。
「別に理由なんてねぇよ。ただ相手の気持ちも知らないで好き勝手言う奴が気に食わねぇだけだ。それに、」
言おうか言わないでおこうか迷った。でも先程から変わらないスイレンのこの目は、全て話さないと毒でも盛るぞと言っているようで拒否権がない。小さく溜め息を吐くと、また俺は口を開いた。
「それに、エンギと同じなのかなと思って」
「同じ、とは」
「あんたもブキのことで今まで色々とあったんじゃないかって。エンギに言ったこと全部体験談なんじゃねぇかって、そう思って」
あの外れ者達とのやり取りを見てそう思った。あいつらはブキの性能的にスイレンの実力はおかしいと見ていた。あろうことか内面まで勝手に決め付けようとしていたのだ。あれはまるで、先日スイレンがエンギにしていたそれと同じだ。そこで考えたのだ。エンギに言った全てスイレンの体験談でもあり、言い方はきついが同じく偏見の対象として叩かれるブキを持つエンギに対する忠告だとしたら。
「そんなんじゃねーです。変な妄想はやめてくだせー」
だがスイレンは吐き捨てるようにして俺の考えを否定した。
「それこそただ気に食わなかっただけです。シャプマだってキンメでただスペシャルを吐いてるだけのお荷物。その考えはこれからも変わらないし、自分が悪いとも思ってねーので、謝りもしません」
でも、
「でも、あんたさんがこの子を助けてくれたのは事実です。ありがとうございました」
そう続けた。
心なしか、少し微笑んでいるようにも見える。スイレンがエンギを傷付けて以降嫌悪の対象でしかなかったが、不思議と今はそんなスイレンを見て微笑ましく思った。
お礼はきちんとするんだな、と言うとお礼はきちんとするのは当然です、と返された。案外律儀な奴らしい。
「そのジェッカス、大事にしてるんだな」
大事に抱えているジェッカスを見て俺は言った。するとスイレンは心外だ、とでも言うように眉を潜めた。
「当たり前です。たとえ何十体とジェッカスが量産されようと、ずっと一緒にいたのは、この子だけです。嫌なことも嬉しいこともこの子と一緒に過ごしてきたんです。他のやつらみたいに、少し悪くなれば買い換えなんて酷いことできません」
大事に大事に抱き締めて、スイレンは言った。
その時、街灯が点灯し始めたのが目の端で見えた。どうやら暗くなってきたらしい。証拠に見上げてみるが壁の先が暗くてよく見えなかった。
同時に首後ろで激痛が走る。先程の殴られた時の痛みが残っているようだ。思わず顔をしかめてしまう。
「あまりに酷いようでしたら病院行ってくだせー。後から重傷になっても知らねーですよ」
そう言うとスイレンは立ち上がった。どうやら帰るらしい。合わせて俺も立ち上がる。背中に痛みは残るが幸い動けない程ではなかった。
スイレンを追って路地裏を出る。スイレンを追っていたはず、なのに路地裏から出るとスイレンの姿はすっかり消えていた。恐らくこれ以上付いてくるな、と遠回しに言っているのだろう。なんという瞬発力。もはや手品じゃないのか。そう思いながらイカ型端末を手にして病院までの地図を調べた。そこまで酷くないので行くつもりはないが、知ってて損はないだろう。そういえば病院の行き道知らないな、ついでに今の時刻も見ておこう。その程度だった。
その程度だった、のだが。
「あれ」
何故だろうか。病院という二文字が、検索に引っ掛かることはなかった。
「フッチー!」
首を傾げてイカ型端末と睨み合ってると突然声が掛けられた。この声、この呼び方は言わずもがなケイだった。心配そうに駆け寄ってくる。後ろにはカザカミも一緒だ。いつも通りの無表情だが、息を切らしているのが分かる。
「あなた、突然いなくなるからなにかに巻き込まれたんじゃないかって思ったの。無事だったのね」
「てかなにしてたのさ。用事ってなに」
先程とはうって変わって安心した笑顔になるケイと、呆れたように上目遣いで睨みを利かせるカザカミ。
しかし俺が返したのは、それらに対する返事ではなかった。
「なぁ。病院ってどこにあるんだ?」
突然の質問にケイとカザカミははい? と聞き返してきた。無理もない。でも俺も、どこか焦りを感じていたのか、気にすることは出来なかった。
「なに突然。まずビョーインってなんなの」
声を出さないケイに変わってカザカミが尋ねる。すると今度は俺が驚く番だった。なんなのって、あんたら知らねぇはずないだろ。
そう聞き返すが、ケイはカザカミと同意見だったようで、首を傾げるばかりだ。
どういうことなんだ。
まさか、病院といった日常生活にありふれた施設が、この世界にないと、つまりスイレンが"外の世界"の記憶をまだ持っていると、そう気付くのは、あと数分先の話。



2017/07/31



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