STORY | ナノ

▽ 盲目の色


 カミュ、お願いがあるんだけどちょっといいかな。
 神聖な空気が里全体を覆い、心地の良い陽がてっぺんで人々を照らす聖地ラムダ。昼食を終え、各々が自由に行動していた時のこと。やることもなく、これからどうしようかと食事を終えてなお席を立とうとしなかったオレの下に、イレブンが非常に気まずそうにしてやってきた。イレブンは勇者としての使命を気負い過ぎているのか、はたまた元来の性格なのか、とにかく人に頼ることがあまりなかった。無理をし過ぎるのだ。よほどのことがあれば一番旅をしている期間が長い自分に真っ先に相談に来てくれるのが唯一の救いか。オレとしては小さなことでもいいから、そうなる前にちゃんとオレを頼ってほしいものだが。
 とにかく、つまりイレブンがこうしてオレの下に来ているということはイレブンにとってなにかとてつもなく大きな問題がのし掛かってきているということで。それを無下に払い除ける選択肢などあるわけがなかった。オレはこいつの相棒で、いつだって力になりたいと願ってやまないのだから。
 どうしたんだ、と極力優しく問い掛けてやる。するとイレブンは少し安心したのか、その緊張した頬を緩めた。
「あ、あの、あのね」
「ああ」
「チョコレートのお菓子の作り方を教えてほしいんだ…!」
 絞り出すように発した声にオレは拍子抜けした。
 チョコレート? あの勇者様がチョコレートだと?
 内容は可愛らしいものだったがイレブンの頼みだ。二つ返事で引き受けたいものだが何故突然チョコレートのお菓子なんて。思考を巡らせたところである一つの答えに辿り着いた。明日はなんの日だ。バレンタインデー。そう、男女共に浮わついた気持ちで過ごすあのバレンタインデーだ。バレンタインなんて行事少し前まではなかった気がするが、いつの間に出来たのだろう。まぁ、オレが知らなかっただけで元からあったのかもしれない。なんせ昔はそんなものにうつつを抜かしている暇なんてなかったし。
 バレンタインデーは好きな人だったり普段お世話になっている人達にチョコレートを渡して気持ちを伝える行事、らしい。が、世間的に男がチョコを作るのは少ないらしい。変なところ律儀なイレブンのことだ。仲間達に日頃の感謝を込めて、ということか。それとも、好きな人に、という可能性だって、ある。好きな人。好きな人、か。とうとうオレの相棒にも好きな人が出来てしまうのか。そりゃイレブンが好きな人が出来て、勇者としてではなく普通の一人の人間として幸せを手にするのは喜ばしいことだ。オレも喜んでイレブンの協力をするだろう。あいつの隣にいるのがオレでなくなるのは少し寂しいが、相棒でいられるのならばそれでじゅうぶんだと思う。
 物思いにふけってしまったが、誰に渡すのかはとても気になる。これくらいなら聞いてもばちは当たらないだろう。オレは思いを悟られないよう平静を装いながら立ち上がり、イレブンに向き直った。
「もちろんいいぜ。他でもない相棒の頼みだ。オレでよければいつでも手伝ってやる」
「本当!? ありがとうカミュ!」
「しかし勇者様がチョコレートを作るなんてな。誰に渡すつもりなんだ?」
「カミュだよ」
「へぇオレに…うん?」
 耳を疑ってしまった。うん。今なんて。
「だから、カミュにチョコレートを渡したいからカミュにチョコレートのお菓子の作り方を教えてほしいんだ」
「マジか」
 オレの聞き間違いではなかったようだ。イレブンも迷いのない笑顔をオレに向けているし、言い間違いということもないのだろう。うーん。つまりどういうことだ。イレブンはオレの為にチョコレートを作りたくて、オレに作り方を教えてほしいと頼みにきたのか。へぇなるほど。全然理解が追い付かなかった。
「普段カミュにお世話になりっぱなしで…。ほら、カミュはいつも僕の相談に乗ってくれるでしょう? そのお礼がしたいんだ。も、もちろんみんなにもいつもお世話になってるけど、カミュにその、絶対渡したくて…」
 頬を染め、目をさ迷わせている様は非常に愛らしいが、内容が内容なだけにオレは頭を抱えるばかりだった。
「あのさイレブン」
「なに?」
「それは渡す相手でもあるオレに話していいことなのか?」
「ちょっと迷ったんだけど、カミュだからいいかなぁって。こういうことすぐに相談できるのは君くらいだし…」
 ごめん、迷惑だったかな。イレブンは目を伏せた。
 そうだ。そうだった。そうだよ。オレはイレブンの相棒だ。勇者様の相棒。右腕。パートナーでありすなわち光と影。一緒に旅をした期間も一番長くて同性であり年も近い。なにかある度に最初に相談するのは共に旅をしているメンバーの中で誰だ? その答えは、オレってことなんだよなぁ…!
「…分かったぜイレブン。オレがお前の為に、オレに送るチョコレート作りを手伝ってやる。二人で最高のチョコレートを作ってやろうぜ!」
「さすがカミュ! 頼りになります!」
「とはいえお菓子作りはあまりしたことがないから上手く教えてやれるか分からねぇが…。お前はどんなお菓子が作りたいんだ?」
「分かりません」
「えぇ…」
「だからお願い。どんなお菓子があるのか、一緒に探して!」
 両手を合わせ強く懇願するイレブンにオレは驚きを隠せず、とにかくオレ達はチョコレート作り、の前にどんなチョコレートお菓子があるかを探すべく聖地ラムダを出るのだった。



 オレ達が泊まっていた宿に一言書き置きを残しておくと、オレとイレブンはルーラでプチャラオ村にやってきた。
 プチャラオ村はバレンタインデー前日ということもあってかチョコレート関連の商品があちこちで売られていた。町に入るなりこの甘い匂い。壁画事件があってもなおそれを逆手に取って即商売を始めるこの町のことだ。バレンタインの為に一時的に元の商売を撤退し商品を全てチョコレート関連のものに変えることなど造作もないのだろう。バレンタインデーが終わってもこの匂いはしばらく消えることはないだろうな、と甘い匂いが染み付いた落ち葉を服から払い落としながらそう思った。
 この町の住民の商売根性もなかなか見上げたもので、一歩進めば誰かしらに話し掛けられ、あれはどうですかこれなんかどうですかとなかなか先に進めない。これじゃあ好きに選ぼうにも先に日が暮れてしまいそうだ。しかも商人達が勧めているものは幸せになれるチョコレートだとか恋人になれるチョコレートだとか胡散臭いものばかりで。聞いてて呆れてしまうものばかりなのだが、果たしてこんなもの易々と信じる人間なんているのだろうか。
「よぉそこの兄ちゃん、もしかしてチョコレートをお探しかい? それならこのスイートチョコレートがおすすめだよ。お菓子作りに最適なスイートチョコレート! これを使えば相手をイチコロに出来る品物さ!」
「本当ですか!? 買います!」
「いや待て待て待て待て!」
 いた。すぐそこに。必死に止めるオレにイレブンは、なんで止めるのカミュ、と口を尖らせる。なんでこの勇者様は一片の迷いもなく購入しようとしてるんだ。いや、純粋で人を信じることに全くの疑いを持たないところがこいつのいいところなんだけども。改めてイレブンがオレに相談しに来てくれてよかったと心の底から思った。もしイレブンが一人でこの町に来ていたら資金がなくなるどころの話ではなかっただろう。主にその胡散臭いチョコレートを使ったお菓子を食べることになるオレが被害を受けることになっていたに違いない。そう思うと身震いが止まらない。
「お前はオレに日頃の感謝を込めてチョコレートを作るんだろ? そんな怪しいもん入ってないやつでもいいじゃねぇか」
 しかもそのスイートチョコレート、パッケージがピンク色であちこちにハートが描かれていて、今夜は寝かさないだの積極的な夜はいかがだの明らかに良い子が手にしてはならない謳い文句が並んでいる。イチコロというのはつまりそういうことなんだろう。イレブンは理解出来ていないようだが。
「でもイチコロだよイチコロ。きっとカミュが一発ノックアウトするくらい美味しいんだよ」
「そっちの意味なのか!?」
「カミュに僕が一番だって思ってもらいたいんだ。だから特別だって思ってもらえるくらい美味しいチョコレートじゃないと駄目で…」
 イレブンは俯いた。どうしてもオレに美味しいチョコレートを作りたいらしい。こんな怪しい商品に縋りたくなるくらいに。オレは一つの溜め息を吐いてぽんとイレブンの頭に手を乗せた。イレブンはきょとんとして顔を上げる。
「オレはお前以外に興味なんてないしお前が作ったものならなんだって食えるさ。変な心配するな。な?」
 安心させるように優しく微笑む。するとイレブンは笑顔で大きく頷いた。納得してくれたようだ。よかった。
 手を下ろすと、残念そうにする商人を置いてオレとイレブンはその場を離れた。
 とんだチョコレートに足を止められてしまったが、オレ達はまずレシピを探さなければいけない。材料探しはその次だ。次々にオレ達の足を止めようと現れる商人達を潜り抜けながらなんとか足を進めていると、ふと視界になにか紙のようなものが入り込んできた。反射的にそれを受け取る。どうやらバレンタイン特集のチラシらしく、「簡単! 恋の生チョコ」と大きく書かれた下にその恋の生チョコの完成形だと思われる写真とレシピが書かれていた。慌てて顔を上げるとどうやらチラシの配り主はバニーガールのようで、よかったらどうぞ、とにっこりと笑った。どうやら彼女は様々なチラシを周りの人達に配っているらしい。彼女の持つチラシをよく見ると内容が一つ一つの違うようだった。
 配られたチラシをイレブンに渡すと、オレはバニーガールの下に歩み寄った。背後で、へぇこんなのもあるんだ、とイレブンは感嘆の声を漏らすのが聞こえる。好感触のようだ。あのバニーガールからいくつかチラシを貰えばなにかイレブンが気に入るレシピが見付かるかもしれない。
「あらお兄さん。こんにちは」
「よぉ。よければそのチラシ、見せてくんねぇか」
「いくらでもどうぞ。もしかしてお兄さん、バレンタインチョコ作るの?」
「いや、うちの相棒がな。オレはただの付き添いだ」
 バニーガールから数枚チラシを受け取る。ぱらぱらとめくって見てみるが怪しそうなものは一つも見付からなかった。さっきのようなこともあるし一応警戒していたが大丈夫なようだ。
「お兄さんとってもかっこいいわね。女の子が放っておかなそうな顔をしているわ。明日大変なんじゃない?」
「生憎そんな相手がいないもんでね」
「そうなの。じゃあ私がお兄さんに贈っちゃおうかしら」
「せめて人が食べても安全なもんで頼むぜ」
 含み笑いをしてやると彼女は、つれないのね、と決して笑顔を崩さず肩を竦めた。
 これくらいだろうか。チラシをくれたバニーガールに礼を言うとオレは踵を返した。結構なチラシの数だ。もらったレシピだけでもじゅうぶんなくらいだというのに、バニーガールの持つチラシにはまだオレの手には渡っていないレシピ達が眠っているようだった。全て彼女の手作りなのだろうか。いっそのこと一冊の本に出来そうなものだが。そのお菓子への知識量に素直に感心した。
 オレを待っていただろう相棒の名を呼び掛ける。しかしイレブンは先程渡したレシピを持ってじっとしたまま動かなかった。俯いていて表情はよく見えない。そんなにそのレシピに夢中になっているのだろうか。おい、と顔を覗き込むと、オレはぎょっとして固まってしまった。イレブンは、驚くほど無表情で口を小さく開けている。これがなにを示しているのかオレはよく知っている。オレが怪我をしても黙っている時、それをイレブンに気付かれると決まってその表情は現れるのだ。
「い、イレブン?」
「…カミュ」
 イレブンは静かに一歩引いた。そして勢いよく顔を上げる。イレブンは涙を浮かべて、顔を真っ赤にしていた。
「さっき僕以外には興味ないって言ったくせに! カミュの嘘つき! 実家に帰らせていただきます!」
「待てイレブン話せば分かる! てか今イシの村はな…って待てルーラをやめろ! ああっ」
 オレの叫びも虚しくイレブンはルーラを唱えて目の前から消えてしまった。
 恐らくイレブンは先程のオレとバニーガールを見てなにか勘違いをしてしまったようだ。全く、人のことはほいほい信じるくせにすぐ早とちりするんだから。そういうところがイレブンのいいところでもあり、危なっかしくて放っておけないところでもあるんだよな。
 なんて考えている場合じゃない。イレブンはどこに行ったんだ。恐らく仲間達がいる聖地ラムダに戻ったんだと思われるがなにを隠そうここはプチャラオ村。聖地ラムダまでかなり距離があるどころじゃない。ラムダは山を登った先にあるのだ。山を登る前にまず船でまた、あの場所に降りなければならないわけで。今プチャラオ村を出てラムダを目指したところで今日中に着けるはずがないのは火を見るよりも明らかだった。まず船だって出ているかどうか。つまり今のオレの状況は、完全な"詰み"。
 イレブン早く戻ってきてくれ、頼むから。
 オレの心の中の叫びも虚しく、目の前にはただただチョコレートを売り付ける活気のある商人達が忙しなく動き回る光景が広がるばかりだった。



 ごめんなさい、と目の前でちょこんとベッドに腰掛けている勇者様は平謝りするばかりだった。頭を下げる度に整った亜麻色の髪がさらさらと揺れる。
 結局勇者様──イレブンは三十分もしない内にプチャラオ村に戻ってきた。聖地の神聖な空気を吸っている内に頭が冷静さを取り戻してきたのだろう。人にお菓子の作り方を教えてほしいと村に連れてきた挙げ句勢いのまま置いてきてしまった、なんて身勝手にも程がある行いで、二人でラムダに戻ってきてからというものずっとこの調子である。元からオレは怒っていなかったし、さすがに見ていて可哀想な気になってきたので、晩飯を食べ終えた後、イレブンがいなくなり一人になった時にプチャラオ村で購入したちゃんとした普通のチョコレートを使ってホットチョコレートを作ってやりイレブンに渡したのだが、一向に収まる気配がない。どうしたものか。だがまるっきり効果がないというわけではなく、ホットチョコレートを一口、一口と口に含む度に表情が緩くなるのだ。それからまた顔を歪めて謝り出す。その豊かすぎる表情を見ていてつい癒されてしまうのを感じる。そんな呑気に見ている場合ではないのだが。
「本当にごめんねカミュ。僕が早とちりをしてしまったばっかりに、しかも結局お菓子は作れずむしろ貰う立場になっちゃって…」
 イレブンは自身の膝の上で大切に握られているホットチョコレートの入った紙コップをじっと見つめた。
「気にすんなって。誤解させちまったオレだって非はあるんだ」
「でも…」
 向かい側のベッドに腰掛けるオレは気にしていない風に、いつものように返すが、イレブンは納得していないようだった。また一口ホットチョコレートを口に含む。うう、美味しい、とどこか悔しそうにイレブンは呟いた。
「あのなイレブン。お前はそう言うがオレは結構嬉しかったんだぜ」
 打ち明けるオレに、イレブンは、え、と顔を上げた。
「二人で出掛けるなんて久しぶりだったからな。ダーハルーネの時だって確かに二人で行動はしたが、そんなにゆっくりしてる暇なかったし。仲間も増えて賑やかなのももちろんいいが、お前と一緒にいられたことがなによりのバレンタインプレゼントだったぜ。ありがとな」
 手を伸ばし、そのさらさらとした亜麻色の髪を撫でてやる。イレブンは目を細めて微笑むと、僕も、と髪を撫でるオレの手に自身の片手を重ねた。イレブンの手は優しい太陽の光のようで、冷えきったオレの指先さえも暖かさで包んでくれた。
「さて、そろそろ寝ないとな。明日は更に山を登るんだから、夜更かしは禁物だぜ」
「うん、そうだね…。カミュ、どこ行くの?」
 オレはイレブンから手を離すと立ち上がり、うんと体を伸ばした。名残惜しそうな視線をこちらに向けながら、イレブンは首を傾げる。
「ちょっと外に出てくるだけさ。すぐに戻る。お前はもう寝ろ。あ、あと寝る前は歯磨きを忘れんじゃねぇぞ。虫歯の原因になるからな」
「もう、分かってるよ。カミュってばお母さんみたい」
 イレブンはくすくすと笑った。そこに先程までの悲しそうな、懺悔をしたくてたまらないような表情はもうない。それに安心したオレは、おやすみ、と声を掛けると部屋を出た。後ろ手で扉を閉める時、おやすみなさい、と控えめな声が背後から返ってきた。



2019/02/14



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