緋色の空
イベントと聞くだけで浮かれる松本が隊舎を去って早数時間。
今日という日が相当楽しみだったのか知らないが、業務時間が終わった瞬間に酒!と叫ぶ始末。
「隊長も来ます〜?楽しいですよ?」
「…じゃあこの山のような仕事を誰か代わりにや「行ってきまぁす!」」
マズい、と判断したのか、書類をひらひらと持ち上げる俺の前を、余興で吉良と檜佐木に着せるらしいなんか変な服(明らかに女物)を担いで出て行った。
隊首室を出る瞬間、「これで京楽隊長と更木隊長に楽しんでもらえるわぁ」とか恐ろしい言葉を聞いた気がするが、たぶん気のせいだと思っておくことにする。
気づけば隊舎も静まり返っている。
時計を見れば、短針は9を差していて。
首を回すと、コキコキと骨の軋む音がした。
本来こんな時間まで仕事なんてしたくない(というより一刻も早く帰って寝たい)けれど、俺が仕事を終わらせないんじゃ隊員たちに示しがつかねえ。
松本が上機嫌で入れていった冷めた茶を啜れば、どれだけ自分が長時間仕事をしていたのか実感して、少しだけげんなりした。
空になった湯呑みを机の端に置いて、再び目線を下に落とす。
確認して、決済印を押して、署名して、を繰り返して。
クソ、誰だこんなに書類溜めやがったヤツは。
報告書くらい、その都度出しやがれ。
自然と深く刻まれる眉間の皺を人差し指で押さえながら、延々とその作業を続けた。
ある程度の区切りが見えた頃、突然俺の伝令神機が鳴る。
こんな時間にいったい誰だ?
ディスプレイに表示された名前を見ると、とっくに帰ったはずの楠。
何かあったんだろうか?
というより、松本が今日のなんかよくわからん飲み会に誘うとか言ってなかったか?
…まさか俺に来いとか言うわけじゃないだろうな…。
メンバーがメンバーだけに、収集がつかない事態になってることくらい容易に想像できる。
そんな所に行くなんて、それこそ願い下げだ。
俺は早く帰りてえ。
無視を決め込もうかとも思ったけれど、延々と鳴り続ける無機質な機械音にさすがにイラッとして、仕方なく通話ボタンを押す。
「日番谷だ。飲み会なら行かねえ」
『は……え、あの、飲み会って?』
「…え?」
電話の向こうの楠は、明らかに戸惑っている。
というか、予想外の展開に俺も戸惑ってるわけだが。
「お前、松本と一緒じゃねえのか」
『え?…あぁ、その飲み会ですか?お断りしました、やることがあったので』
「そいつは…ご苦労なこったな」
状況を理解した楠が電話の向こうで、あはは、と笑う。
思い違いをしてしまった自分が情けないが、なんだかその一方でさっきまでの緊張感とかイラつきが緩んでいくのがわかる。
もちろん、いい意味で。
「で、どうしたんだ。なんか話があったんじゃないのか」
『あ、そうですそうです!あの、日番谷隊長今少しだけお時間取れませんか?』
「それは構わんが…なんだ」
『上まで来てほしいんです』
上っつーと……どこだ?
この上は屋根しかねえはずだが。
一応念のために確認してみたが、やっぱり屋根のことを指すらしくて。
いやいやちょっと待て。
屋根っつーことは、楠は今現在隊舎に残ってることになる。
残業にしては場所がおかしいし、何してんだ。
別に残業じゃなきゃ残っちゃいけねえなんて規則はないけど、なんつーか、遅くなればなるほど、帰り道大丈夫かとか、風邪ひいたらどうすんだとか、そういう心配をしてしまうわけで。
「楠、お前こんな時間まで何してんだ」
『それは…来てもらえればわかりますから。ちゃんとあったかくしてきてくださいね』
待ってます、と残して、通話が途切れた。
普段は真面目で、事務的な面とか細かい仕事に関しては松本よりも上の楠。(別に贔屓にしてるわけじゃねえぞ、事実を述べたまでだ、あくまで。)
よく気が利くし、信頼も厚いのだが、たまにこういう突拍子もないことを言いだしたりする。
誰に似たんだか、まあ明らかに松本なんだけど、なんでかほっとけねえんだよな。
とりあえず襟巻きを巻いて、ずっと籠もっていた隊首室を出る。
廊下はひんやりとした空気を纏って、冬が近いことを静かに知らせてくる。
自分の足音と床の軋むだけが響く長い廊下。
その先にある扉から外に出れば、はしごが一つ、屋根へ向かってのびていた。
上を見上げれば、ぼんやりと明かりが見える。
どうやらこの上に楠がいるらしい。
冷えてしまった手ではしごを掴んで、一段、また一段と上へ昇った。
『お疲れ様です、日番谷隊長!』
俺の気配を悟った楠が、ひょっこりと顔を覗かせる。
俺に向かって手を伸ばして、にこにこと笑っていて。
ガキじゃねえのに、そんなことも思ったけれど、伸ばされた手を掴む。
俺よりもひんやりとしていた手は、こいつがどれだけ長い間ここにいたのかを物語るには十分だった。
「いつからここにいたんだ」
『仕事終わってからですよ?間に合うかどうかギリギリだったんですけどね』
「バカヤロウ、風邪ひいたらどうすんだ」
へへ、と笑いながら俺を上へ引き上げる。
見れば楠は死覇装のまま、防寒対策なんて何もしていなくて。
温かい格好してこいって言ったのはお前じゃねえか。
笑う所じゃねえ、って俺の襟巻きを巻いてやると、うっすら白い息を吐きながらまたへへって笑った。
「で、どうしたんだ。わざわざこんな所で」
『こっちです』
屋根の頂を挟んだ向こう側に見える光。
その正体はここからじゃよく見えない。
楠に言われるままにその方角へ足を進めれば。
「お前、これ…」
『びっくりしてくれました?』
暗闇に映えた一面のオレンジ。
その光が空の藍色に溶け込んで、ここだけがまるで別空間みたいに思えてくる。
屋根に並べられた様々な大きさの器の中でぼんやりと光る火が、俺と楠を照らし出す。
その光の中を歩いていく楠の姿があまりにキレイで。
俺の心に強く強く焼きついていく。
『あんまり売ってなくて、これだけしか作れなかったんですけど』
「これだけって…十分じゃねえか」
『あはは、まあ明日から毎日南瓜生活です』
楠がその中の一つを持ち上げて、俺の目の前に差し出して。
『どうぞ、日番谷隊長。ハロウィン名物、ジャック・オ・ランタンです』
受け取ったのは、片手に乗るサイズの小さなもの。
中身のくりぬかれたそれは、代わりに蝋燭が入れられて、三角の目とか口から光を放っている。
足元の南瓜を見れば、どうやら一つ一つ顔が違うみたいで。
怒ってる顔、泣いてる顔、笑った顔。
一つ一つの表情が、どことなく楠に似ていて、思わず笑みが零れる。
きっと昼間に見れば、なんだこれは、の一言で済んでしまいそうなそれも、今はなんとも幻想的な雰囲気を纏ったランプそのもの。
いつの間にこんなに作ったんだ。
全く、俺の想像を遥かに上回ることをしてくれる。
「お前、これ一人で?」
『はい。せっかくハロウィンだし…雰囲気だけでもと思ったんです。きっと日番谷隊長はこういう日でも仕事されるだろうから』
「…あぁ」
『こんなことしかできないですけど…少しでも息抜きになりますか?』
そう言って少し切なそうな表情を浮かべる。
その意味が、俺がこういうイベントごとにあまり乗ってこないことを知ってるからこそのモノだってことくらいわかった。
…けどな、そんな心配いらねえんだよ。
少しなんてモンじゃねえ。
十分すぎるほどの光景だ。
つーか…逆にどうしてくれんだよ。
さっきから、心臓がうるせえくらい鳴ってんだけど。
俺に何やってんだって怒られるかもしんねえのに、それなのに、俺のために飲み会まで断って、こんなに冷えるまで頑張ってくれていたなんて。
お前の気遣いとか、見えねえ努力とか、そういうのが痛いくらいにわかったから。
何て言ったらいいのかわかんねえけど、俺が泣いちまいそうじゃねえか。
「バカヤロウ…」
『え!?やっぱダメでしたか!?』
「ちげえよ。逆だ、逆」
掌の南瓜を下にそっと置いて、ぽかんとした表情の楠の頭を引き寄せる。
俺の肩に頭を押し付けるようにしながら、冷たい楠の背中に手を回す。
なんか俺が抱きついてるみたいでアレだけど、ぎゅう、と力を込めて。
『日番谷隊長…?』
「うるせー、黙ってろ」
耳元で笑う楠の声に、自分でも思い切った行動をしたと思うけど。
ただこうしたいって思ったし、こうすることでしか自分の気持ちが表現できなかった。
不器用でも不格好でもいい、少しでも俺の気持ちが楠に伝わるなら。
楠がそっと回してくれた手に、とんでもない安心感と愛しさがこみ上げてくる。
小さな声で聞こえた、よかったです、って言葉が耳に木霊して。
自然と緩む口許と嬉しさにも似た恥ずかしさを隠すように楠の肩に顔を埋めれば、少しだけ上がった彼女の体温がより近くに感じられた。
お前のおかげで思えたよ。
お前と一緒なら、こういう日も悪くねえなって。
ありがとな、楠。
緋色の空
(南瓜生活、付き合ってやるよ…だから弁当作って来い)
(はい、日番谷隊長)
end.
Happy Halloween!
遅くなってごめんよ日番谷氏…。
初書きだったんだけど…ちゃんと日番谷になってますかね。。
頭の中で何度彼にセリフ喋ってもらったか。
本来緋色=赤・朱色なのですが、響きとニュアンスが好きだったのでこのタイトルにしました。
アンケートにご協力くださった皆様、ありがとうございました!
そしてここまで読んでくださった鵺雲様、ありがとうございました☆
Title/rim様 A《選択》151-200/166より