君だけに言えない
檜佐木、と名前を呼ばれて気がついた。
教卓の前で腕を組んで、睨むように俺を見ている教授と、痛いほどに注がれた同じ講義を受けている奴らからの視線。
「あ…すいません、聞いてませんでした」
「全くお前は…次やったら単位なしだからな」
もう一度すみませんと言って席に座る。
単位を落とすわけにはいかないと黒板に目をやってみたものの、やっぱりその内容は頭には入ってこなかった。
頭の中を占めている、大きな大きな悩みのせいで。
*******
講義を終えた俺は、足早に教室を出て煙草に火をつける。
ふぅっと紫煙を吐き出せば、それが風に乗って空へと浮かんでいった。
この悩みもこんな風に飛んでいかねぇかなぁ、なんて思ってみるけれど、やっぱり頭の中にそれはいて。
どうしたもんかと髪をかき上げた。
『あ!檜佐木!』
背中から聞き慣れた声がして、その声がした方を振り返る。
「おー、鵺雲。今日はちゃんと授業来てたんだな」
『失礼な!あたしはいつも出てるわよ?檜佐木と違ってー』
「お前も十分失礼なヤツだな」
咥えていた煙草を口から降ろして、体ごと向きを変えた。
相変わらず鵺雲はにこにこと笑いながら俺の傍までやってくるから、頬をむにっとつまんでやった。
「ていうかお前いつまで俺のこと檜佐木呼びなんだよ。長い付き合いなんだからさ、そろそろ名前で呼べよ」
『だって檜佐木は檜佐木でしょ?今更修兵なんて呼ぶの変だし』
「俺とお前の仲だろ?苗字とか他人行儀みたいで」
『そういえば檜佐木さー、ちゃんと授業聞きなさいよ』
「お前は人の話を聞けよ」
周りから見たら普通に会話してるように見えるけど。
俺の頭の中はペンでぐしゃっと書いたような塊がたくさんいて、心臓はばくんばくんいっていた。
自慢ではないが、俺は自他共に認めるくらい顔が広い。
その中にはもちろん女友達もたくさんいるわけで。
そいつらと話すときには何もしなくても、何も考えなくてもぽんぽんと話題が出てくるのに。
鵺雲を目の前にすると、いつもの自分が嘘みてぇに隠れて、今みたいに心臓が破裂するみたいに大きく鳴って。
そしていつの間にか、目の前にいなくても鵺雲のことを考えてしまっていて。
そう。今の俺の大きな大きな悩みはこれだった。
今までも何人かと付き合ってきたけど、こんなことは初めてで。
今だって、まともに会話できているのかすら自分では認識できないほどに緊張していて、俺すげぇかっこ悪ぃじゃんなんて思ってたりする。
『檜ー佐ー木ー?大丈夫?なんか最近どうしたの?元気ないって言うか…変って言うか』
「そ…そうか?別に普通だと思うけど」
『なんか檜佐木らしくないよね。悩みがあるならあたしが聞いてあげよっか?』
びっくりしてまじまじと見つめてみる。
聞き間違いかと思ったけれど、どうすんのよ、とか言われて俺の耳は正常であることを確認する。
俺の悩みの種はお前から生まれてきてんのに。
どんだけ鈍いんだっつーの。
でも鵺雲と一緒にいれるというのであれば。
またとないチャンスだ。
「まぁ…せっかくだから相談に乗られてやるよ」
『じゃあ、今日講義終わったら連絡して?檜佐木5限目まであるでしょ?あたし3限までだから、その辺で時間潰してくる』
「あぁ。じゃあまたあとでな」
仕返しだと俺の頬をつまんで、次の講義へと向かっていった。
鵺雲の姿が見えなくなって、思いっきり息を吐いた。
緊張してたせいか、体が重い気がする。
触れられたところがまだ何となく熱くて、そっと手を当てる。
…って、何女々しいことしてんだ俺!
でも俺の中の想いがぐっと大きくなって、知らないうちに顔がにやけて。
やっぱ俺、鵺雲のこと好きだ。
******
『遅い檜佐木!』
「遅くねぇ!さっき連絡したばっかだろうよ」
『そう?』
講義を終えた俺は即鵺雲に電話して、待ち合わせ場所に指定されたファミレスに向かった。
俺としてはありえねぇぐらいのスピードで自転車を漕いできたんだが…。
向かい側に座って、煙草を吸おうとして気がついた。
「そういえば鵺雲煙草吸うの?ここ喫煙席だろ?」
『あたしは吸わないけど、檜佐木吸うでしょ?』
そんな小さな気遣いに嬉しくなって、つい無意識に顔が緩んでしまう。
ごまかすように煙草に火をつけて、とりあえずコーヒーだけ注文した。
『檜佐木なんか食べない?あたしちょっとお腹空いちゃってさ、あたしだけ食べるのもなんかね』
「あぁ、じゃあなんか頼む?」
メニューを渡してやると、嬉しそうに受け取ってそれに視線を落とした。
机に片肘をついてその様子をじっと見つめる。
どれにしようとページを行ったり来たりしながら迷っているようで。
時々俺にこれおいしそうじゃない?なんて聞きながら笑いかけてくるのがまた可愛らしい。
『檜佐木は決まった?』
「ん?ああ、俺はパスタにするから」
鵺雲はパフェにしたみたいで、それ飯じゃねぇじゃんなんてつっこんでやった。
待っている間にもう1本煙草を吸おうと火をつけて、口から煙を吐き出す。
一度口から離した煙草をもう一度咥えようとした時、俺の方をじっと見る鵺雲に気づいた。
「なに?」
『ん?檜佐木ってさ、指長くてきれいだよね。あたし手ちっちゃいからさ…ついみとれちゃった』
そう言ってほら、と手を見せてきた。
確かに俺の手に比べれば一回り小さかった。
鵺雲からしたら何でもないことなんだけど、俺にとっては褒めてもらったことが嬉しくて。
当たり前だろ、なんて言って煙草を咥え直した。
こんな会話をしている俺たちは、恋人みたいに見えるだろう。
でも、俺たちの間には友達っていう関係しか存在していなくて。
もし、その関係がもっと上のものになったら。
俺の悩みなんて、消え去ってしまうのに。
けれど、今はまだ鵺雲と一緒にいられる時間をなくしたくなくて、そこまで出かかった言葉をぐっと飲み込んだ。
*****
『ごめんね、遠回りでしょ?』
「気にすんな、あんまり変わんねぇよ」
気づけばあっという間に時間が経っていて、夜も更けていた。
悩みを相談するということでファミレスに行ったのに。
結局したのは講義のこととか誰と誰が付き合ってるとか、今日の特番見逃したとか、そんな他愛のない話だけ。
それでも遅くなったからと(無理矢理)送ることにした。
『ごめん、ちょっとコンビニ寄ってもらっていい?』
「え?まさか腹減ったとかじゃねえょな?」
『違うし。お茶買ってないやって思って』
近くのコンビニに寄って、一緒について行く。
お茶を手に取ってレジに向かう途中で足を止めるから、何かと思って見てみると。
お菓子コーナーでじっとある一点を見つめていた。
『見てよ檜佐木!これ季節限定らしいよ?』
「いやいや、だからって美味いとは限らないぜ?」
『限定だよ?食べなきゃ損じゃない』
「お前腹出るぞ?」
『ひっど!!!ちょっと自分が鍛えてるからって!』
「おい!くすぐってぇから触んなって!」
俺の脇腹をつついて、無邪気にあははと笑う。
俺もそんな鵺雲につられて笑った。
結局その限定のお菓子もついでに買ってコンビニを出る。
俺が自転車の鍵を外していると、さっそくさっきのお菓子を開けて1つ差し出してきた。
『はい、檜佐木も道連れね?』
「お前最初からそれ狙いだったろ?仕方ねぇヤツだな」
ぱくっと口に入れると、甘い香りがふわっとして、でも甘ったるいわけではなくて、意外にも美味かった。
「ん、美味い」
『さすがあたしチョイス。今度なんか奢ってね』
「意味わかんねぇ」
大事そうにそのお菓子の箱をカバンにしまいこんで。
『やっぱ檜佐木といるとおもしろいや。話も尽きないし、やっぱ気が合うね、あたしたち』
ふと発せられた言葉に、ぴくっと反応する。
…それは、友達としてなのか?
それ以上を望んでしまってもいいのか?
このまま目の前で笑っている鵺雲の手を握れたら。
そして、そのまま抱き締めてしまえれば。
そう思ったけれど、胸の奥がちょっと痛んで…どうしても伝えることができなくて。
「…俺も同じだ」
そう言うだけで精一杯だった。
俺が自転車に跨ると、横向きになって後ろに乗ってくる。
控えめに握られた服の裾が時々引っ張られているような気がして、信号で止まった隙に大丈夫かと振り返る。
そしたらちょうど欠伸をしていた瞬間を目撃してしまった。
「眠いのか?」
『んー…違うんだけど…。なんか檜佐木の後ろだと安心しちゃってさ』
「その向きだと危ねぇから、前向いて座って俺に掴まってろ。眠かったらもたれかかってもいいから」
座り直した鵺雲が俺の腰に腕を回すと同時に、体温を背中に感じる。
ゆっくりとした呼吸が聞こえてきたから、なるべく負担にならないように、落ちないようにとゆっくり自転車を漕ぎ始めた。
さっきまで胸の中を占めていた痛みが、静かに小さくなっていく。
もちろんいつかは伝えるつもりだけれど、それまでこんなのも悪くないのかもしれないと思った。
友達としての悩みが、彼女としての悩みに変わるまで。
この想いも、さっきの痛みも、胸の奥でちょっとだけ顔を出している下心も。
今はまだ、しまっておくよ。
end.
修兵の片思い夢です。
うちの修兵はいつもサカってるので(ぇ)、たまにはこんな彼も良いかなと思って書き上げました。
尸魂界設定にしようか迷ったのですが…どうしても二人乗りの描写がほしくてパラレルにしちゃいました。
こんな彼はいかがですか?
ここまで読んでくださった鵺雲様、ありがとうございました☆
base/サスケ「彼女」
Title/capriccio様 狂詩曲第八番/25より