○ミキちゃん/野永 創


 ひとつ。

 ふたつ。

 みっつ。

 ゴムの臭いのする小さなそれを、窓辺に並べてゆく。

 月の光を浴び、金色の髪がキラキラと輝く。

 ふと、いちばん古いそれに目をやる。

 「うつくしいよ、ミキちゃん」

 ひとつ呟くと、また同じようにゴムの臭いのする小さなそれを並べ始めた。

 −−−−−

 「お前、いい男だな」

 蜂村は、久々に会った友人の言葉に顔を顰めた。

 「はぁ? 坂下、なに言ってんの」

 「いや、お前、女にモテそうだなと思って」

 坂下、と呼ばれた男は無感情に言った。

 小さな居酒屋のカウンターで二人は飲んでいた。

 店主は、他の客に交じってテーブル席で飲んでいる。

 「いきなりなにを言い出すのかと思えば、そんなことかよ」

 グラスの焼酎をひと口飲んで、蜂村は坂下を見た。

 「ただの個人営業の眼科だぞぼくは。お前みたいに大病院で働く医者と違うさ。お前だって、毎日、白衣の天使を拝み放題なんだろ?」

 「俺はまだ研修医だ。それに、天使というよりは白衣をまとった魔女だぞ」

 坂下はビールを飲んでいる。

 店内は賑やかで、あちらこちらからグラスのぶつかる音や笑い声が聞こえてくる。

 小さいが、繁盛している。

 「そういや蜂村、煙草は?」

 「辞めた」

 「そうなのか?」

 「‥‥ぼくは吸いたいけど、身体によくねぇなって思って辞めたんだ。それに元々、ぼくは煙草は嫌いでね」

 「へぇ‥‥? お互い、もうすぐ四十だしな。身体に気を遣うようにもなるよな」

 それからしばらく、二人は無言で飲み続けた。

 酒が無くなると、カウンターに金を置いて店を出た。

 「飲みなおすか?」

 坂下が訊いた。

 「いや、いい。夜風にあたりたい」

 月は、真上にあった。

 二人を煌々と照らしている。

 しばらく歩き、人通りの少ない道にやってきた。
 

 「俺さ、仕事を辞めようかと思ってる」

 それまで黙っていた坂下が言った。

 「は? あの病院を?」

 「あぁ。夢を必死で追いかけることよりも、大切なものができたんだ」

 自分の影を見つめながら、坂下は言った。

 そんな坂下の顔を覗き込んで、蜂村は声を荒げる。

 「医者になるって夢、ここまできて投げ出すのかよ!?」

 「もういいんだ。そんな俺のくだらないものより、大切なものができたんだよ」

 蜂村はさらに問い詰めようとしたが、坂下の落ちついたようすを見て、声を抑えた。

 「――結婚か?」

 「ちょっと違うが‥‥まぁ、似たようなもんだな」

 「ペットでも飼い始めたか? まさか、アニメだのゲームだのの女に恋したとか?」

 「うち来いよ。教えてやる」

 坂下は、すこし寂しそうな顔をして言った。

 −−−−−

 坂下の部屋は、とても質素なものだった。

 散らかるほど、物が無い。

 電気をつけなくても、窓から差し込む月明かりが室内を照らしている。

 「こっちだ」

 薄暗い部屋を、蜂村は無言でついてゆく。

 結婚とは違うが似たようなもの、と坂下は言った。

 この部屋を見る限り、女が出入りしているようすは無い。

 ペットでもアニメやゲームの類でもなさそうだ。

 坂下は、寝室の扉の前で立ち止まった。

 「俺以外の奴に会わせてやるのは初めてだから、すこしびっくりするかもな。くれぐれも大きな声を出して驚かすなよ」

 「あ、あぁ‥‥」

 坂下が医者になるという夢を捨てるほどのものが、この中にいる。

 坂下は、扉を静かに開いた。

 −−−−−

 ひとつ。

 ふたつ。

 みっつ。

 ゴムの臭いのする小さなそれが、窓辺に並んでいる。

 ざっと、三十以上はあろうか。

 ピンポン玉ほどの大きさで、表面には金色に輝くものが生えている。
 

 目があって、鼻があって、口があって――

 「坂下、これ――」

 「どうだ、かわいいだろう?」

 リカちゃん人形の首だった。

 窓辺に、一列に並んでいる。

 カーテンが全開で、月明かりを背にこちらを向いて微笑んでいる数多の首。

 言うまでもなく、首だけなので背などはないが。

 「これ、なんだよ――」

 どう声をかけていいか蜂村には判らなかった。

 「この子がアリスで、こっちの子がサヤカ。この子はナナ」

 坂下はひとつひとつを指差しながら、名前を挙げてゆく。

 「そして、この子がいちばんのお気に入りなんだ」

 ひとつ声を弾ませて、

 「ミキちゃんだ」

 人形の首をひとつ手のひらに乗せ、蜂村の目の前に差し出す。

 「‥‥ミキちゃん?」

 「この子がキッカケなんだ」

 −−−−−

 坂下が研修医として勤めている病院に、ミキちゃんという十歳の女の子がいた。

 ミキちゃんは心臓を患っており、もう、そんなに長くないとのことだった。

 父親は単身赴任で、もう何年もミキちゃんと会っていない。

 そんなミキちゃんのために、寂しくないようにと父親がリカちゃん人形を贈った。

 リカちゃん人形とミキちゃんの顔は、どことなく似ているという。

 ミキちゃんは人形を気に入り、肌身離さず持っていた。

 ある日、坂下がミキちゃんの熱を測りに言った時、

 「このリカちゃん、坂下先生に預かっていてほしいの」

 とミキちゃんが、リカちゃん人形を差し出した。

 断る理由も無いため、坂下はそれを快く引き受けた。

 預かってから坂下は、いつまで預かっていればよいのかを訊き忘れたことに気がついた。

 人形を持ってミキちゃんの部屋に入った瞬間、なんの前触れもなく人形の首がぽとりとおちた。

 すこし驚いて首を拾い、ミキちゃんの傍らへゆくと、ミキちゃんは眠るように亡くなっていた。

 ミキちゃんの死を認識したその時、手に持った人形の首が、熱を帯びた気がした。

 それから、その首が愛しくてしょうがない。

 坂下はミキちゃんの腕の中に胴体だけを残し、仕事をなにもかも放ってきたのだという。

 −−−−−

 「だから、この子の名前はミキちゃんっていうんだ。あの娘にそっくりでかわいいんだ」

 「その娘、死んじゃったのか‥‥? それで仕事を辞めたってのかよ‥‥」

 ミキちゃんが亡くなったショックで仕事を辞めた、という風ではない坂下。

 「首だけ‥‥なのか? 胴体は‥‥?」

 「胴体? そんなもの要らないよ」

 ぎろり、と蜂村を睨むと、坂下は部屋の隅を指差した。

 その先には半透明の白いゴミ袋が積まれており、小さな手足がぎっしり詰め込まれているのが判る。

 「俺はこの子たちのために生きてゆく。医者なんてやってられない。でも、医者を目指して研修医になったおかげでミキちゃんに出逢えたからね、そこは感謝だ」

 坂下は、人形の首を端から順に見つめ、愛おしそうに言った。

 蜂村の言葉など、聞こえていないようだ。

 月明かりに照らされる数多の人形の首と、坂下。

 坂下の恍惚とした表情に、蜂村は怖くなった。

 「――お前、おかしいぞっ」

 蜂村は、坂下の肩をつかんだ。

 坂下の手からミキちゃん≠フ首が落ちる。

 と――

 同時に、なにか金属音がした。

 床に転がるミキちゃんの首の傍ら、なにか落ちている。

 ゼンマイだ。

 瞬間、坂下の身体がぐらりと揺れた。

 蜂村の見ている目の前で、坂下の身体が倒れる。

 身体がフローリングに打ちつけられた弾みで、坂下の首が取れた。

 ごとんごろ、と転がる坂下の首。

 その断面からは、たくさんのネジやゼンマイが覗いていた。



 了