鼻歌を歌ったら電柱にぶつかった。その後の記憶がない。 目を開けたら単眼のドラゴンがいて、静かに私を見つめていた。
「随分大きな目ね」 「否定はしないが、現状における第一声はそれか」 「これ、夢じゃないの」 「それは俺が知ったことじゃない」
案外話が通じるものね。と思ったと同時に私が彼らの言葉を喋っているのか彼が私の言葉を喋っているのか疑問に思ったけれど、視界に入ってしまった自分の汚れたセーラー服に思考をとられた。
「まだ新学期始まったばかりなのに」
替えがないわけじゃないけれど、折角夏休みの間にクリーニングに出した制服が泥で汚れている。紺色のハイソックスは穴が開き、チョコレート色のローファーは片方行方が分からない。リュックはしっかりと背中にあったけれど、ミヨコちゃんから貰ったマスコットが結んでいた部分だけを残して迷子になってしまっている。ところどころにある血の乾いた後は、おそらく私の鼻血。
「どうしてくれるのよ」 「何の話だか分からんが、何かを勝手に俺のせいにしようとしているだろ」
単眼は自分の黄色い鱗を引っ掻く。マーマレードが食べたくなってきた。でも都合よくそんなものなどあるわけがない。だってここは私の家でないし、そもそも見慣れない風景なのですもの。 ここはこの単眼の家なのだろうか。巣材なのか藁のようなものが足元にある。洞窟の中のようだけれども、意外と天井も高くて光も入ってくる。窮屈には思わない。 どっちかっていうと、今の口の中の方が不快なの。 口の中に感じる鉄の味は、今味わいたくないとスカートのポケットの中に入っていた飴で味を誤魔化す。 ちょっと高い店で買った、とっておきのハニーミルク味。
「今、何を口に入れた」 「飴玉」 「何だそれは」 「知らないの」
単眼は頷いた。偶然にもポケットにはもう一粒飴があったので、私はその包装を解く。何で包装を解いたかって言われると、もし飴も知らない単眼さんが袋ごと口に入れたらいけないじゃない。優しいの、私。
「私のと同じ味じゃないけど、許してね。貴方だって舌くらいあるでしょう。舌の上で転がして味わうの。私のとっておきのバターメープル味、存分に楽しみなさい」
そう言って私は手なのか前足なのか分からない、おそらく手と理解出来そうなそれに飴玉を乗せる。 海外の絵本で見たそれのように、随分と爬虫類的なのね。
「ばたーめーぷる。知らない名前だ」
そう言いつつも、単眼はそれを口に放り込んだ。 随分大きな口。立派な歯。よく私と同じように喋れるものだわ。舌もきっと、長くそこから出るんでしょう。
「……甘い味」 「そうよ。甘いのよ」 「木の実より甘い」 「木の実じゃないもの」
単眼は私の何周り大きいのだろう。お互い座った状態だけれど、頭も大きいしメタボリック。その腹を蹴飛ばしたら固いのかしら。それとも柔らかくて跳ね返されるのかしら。 拭くまでもなく乾いた鼻血を纏う指で、雑に染めた髪を撫でながらそんなことを思っていると、足が何かに触った。
「何これ」
何となく手に取ったそれは白くて固い。そしてその形から何なのかは容易に分かる。
「人の頭ね、これ」
理科室で見るようなこれは、おそらく白骨化したそれ。歯も綺麗に揃っていて、骨格美人。頭の大きさからして、子供ではないし、歯からして老人でもないでしょう。
「食べたの?」 「ああ、食ったさ」 「美味しかった?」 「お前は自分が食われる危機感は無いのか」
正座をし、頭蓋骨を腿に乗せて腕を組む。まだまだ周りにもそれはあるみたい。
「それはその時次第じゃない」 「今がその時じゃないのか」 「対話をしている状況で、私を食うほど貴方は低脳とは思えないわ」 「……」
単眼は黙り込んでしまった。私は舌で飴を転がし続ける。 そしてこの頭骨はどうしたらいいかしら。
「……人は美味い。だが……。お前からのそのばたーみるくの方が美味いと思った」 「そう。気が合うのね。私は人を食べたことは無いけれど」
この単眼を、私は悪い奴とは思えない。私の両手でも収まらなそうな眼球を見上げる。 私はどう見えているのかしらね。
「お前を食ったら、あの甘いのは食えない」 「そうね。でも私、今もう持ち合わせが無くてよ。家に帰れれば持って来れるけど」 「そうなのか」 「でも、飴玉なんかより、私はパンケーキのほうが好きよ」
携帯電話から、この前食べたパンケーキの画像を探す。ちょっとお高いカフェで食べた、クリームがたっぷりのったパンケーキ。
「ぱん、けーき」
画像を見ながら恐る恐る大きな口で、カワイイ言葉を発する姿は愉快でたまらない。
「そうよ。パンケーキ。貴方ほど大きな口なら、たくさん作らないといけないわね。材料と道具さえあればここでも作れるかもしれないわ」 「甘いのか」 「甘くて美味しいわ。でも、甘くなくも出来るわ」
単眼はきょとんと私を見る。料理という概念が無いのかしら。
「私を生かしておくとお得よ。さっきのバターメープルと同じ味で、パンケーキを食べさせてあげるわ」 「ばたーめーぷる、ぱんけーき……」
子供以上にきらきらした眼。こんな大きな眼球、触れたらどんな感触なのでしょうね。 触れないけれど。可哀想だし。
「絶対、食べさせてくれると誓えるなら、帰り道を教えよう」 「そう。なら鼻血が出ないで済む、ここまでの道も教えて欲しいわ」
女子高生のアイデンティティが、汚れてばっかじゃ困るもの。 いえ、汚れた制服もそれはそれで素敵かもしれないわ。でも鼻血は嫌ね、顔に傷が出来たら困るもの。
「約束しよう」
大きさの違う指と指で、指きりげんまん。私の自己満足。でも、忘れにくいでしょう? 私は一度、単眼さんとお別れするの。
○
薄汚れたセーラー服を着て、たくさんの荷物の買い物袋を持ったセーラー服の美少女がいたらそれは私かもしれないわ。 綺麗な服は汚れたら困るでしょ。前と同じ服の方が覚えているでしょ。あの巨体を満腹にさせるにはこれでも材料が足らなそうね。 電柱に軽く額をあてたなら、数日ぶりです単眼さん。
「前回は木の実ソースのだったから、今日は甘くないのを作りましょう」 「キホの作るものは、何でも美味しい」 「たくさん食べてくれるのは私も嬉しいわ」
鱗の冷たい皮膚に体を少し、任せてみる。
「キホがずっと居てくれればいいのに」 「女子高生じゃなくなったら、考えてあげなくもないわ」 「女子高生じゃいつかなくなるのか」 「――あと二年だけ、待てばいいのよ」
制服を着られる期間は短いの。女子高生を名乗れる期間なんてもっと短いの。 なら、その時は宝物でしょう? 貴方のものならいつでもなれる。
「まさか、竜の通い妻になるなんて思わなかったわ」 「?」
聞こえないように呟いたの。
「何でも無いわ」 「そうか」
それだけ言うと、単眼はその尾で私の体を引き寄せた。 単眼さんは、めーぷるとばたーの香りがする、とても優しい彼なのです。
――――単眼竜とバターメープル
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