一つの命が終えるには、悲し過ぎる場所だ。
 使われなくなった工場は、陽のある時間でも暗い。埃っぽい。
 色々な捜査でも昨日のうちに行われたのだろう。それでも彼女が倒れていたと言われる近辺だけ、色んな気配や感覚が混じっているようにも思える。
 多分、その当人たちのも。

 何故、彼女はここで殺されなくてはならなかったのか。
 犯人は今日に日付が変わっても分からない。
 俺は上着のポケットに手を突っこんだまま、工場内を見ていた。

「伊都くん、何か分ったー?」


 二の腕をさすり、寒さを体現するその若い刑事は俺の元に歩み寄る。
 その薄いコートは、どこかで見たようなドラマの真似だろうか。
 似合っていない。というか、今その姿は見ている方も寒い。
 黙ってスーツを着て、眼鏡をかけているその姿は誰より優秀そうな姿なのに。
 口を開くと、……残念というか。否、これはあまり適切な表現ではないな。


「いいえ、全く」
「ま、全く? 全くって……。ちょ、ちょっとは真剣にやってくれないと困るんだけど」
「何を今更。俺のこの感じ、いつものことじゃないっすか」

 俺がこう現場に来るようになっての月日は浅いが、これでも彼を知っては年単位で経過した。
 アリアと俺、そして俺らの親父たちの探偵事務所は警察さんの御贔屓だ。

「それに、分かってないだけで真剣じゃないとは言ってないっすよ」
「そ、そう、なの……?」
「むしろ。手世さんが真剣にやってほしいところですけどね。俺はアリアの資料になるような新情報でも入手出来たらいいなくらいですから。もし俺への付き添いを口実にサボっていたら、更に嫌いますよ」
「まず、嫌っていたのか。俺を」
「最低でも、好いてはいませんね」

 自分で口にしておきながら、自分が嫌な奴だなと思って後味が悪い。
 何と言うか、口の中が苦く思えた。

 俺は、アリアのように推理は出来ない。
 単純な問題だ。俺にはそのセンスがない。それは、アリアとずっといれば分かるんだ。


 現場、悲劇の彼女のそれがあった場所の近く。俺はしゃがみ込む。
 姿勢を低くすると見えるものは変わるが、一応は捜査された後。大した素材は残っていないようだ。
 まぁ、そんなもんだろう。元々期待はしていない。
 漏れだすような溜め息をして、片膝を叩いてからゆっくりと立ち上がる。
 するとすぐに、手世さんは待っていたように口を開いた。


「な、なぁ。せめて伊都くんだけでも電話すぐに現場に来たらいいと思うのだけれど。仏さんの顔見るのが辛ければ、それを運んだ後でも……」

 随分と、俺のご機嫌をとるような言い方だな、と。

「あ、いや。高校生をそもそも仏さんに合わせる前提はおかしいな……。駄目だな、漫画の読み過ぎかな」
「まぁ、俺は否定出来ませんけど」

 手世さんが漫画をどれくらい読んでいるか何て知らないし興味もない。
「あ、相変わらずの棘だね。で、でも運んだ後なら……」

「俺はあくまで名探偵アリア様の助手っすから。あいつのそれに従うだけですよ」
「……うーん、柔軟じゃないなぁ」
どうとでも言え、と心の中で呟いた。


 彼女は多分、天才という類。努力する姿も見ているけれど、それで収まるものではないと思う。
 他がアリアをどう思うかは俺にはどうでもよくてさ。
 何と言うか、俺なんかが少しは助けになれるならなりたいってだけの話。
 こうやって必要とされれば現場に来るし、紅茶だって淹れる。
 まぁ向こうもさ、俺がこう動いて何かするのが好きって、分かっているのだと思うよ。

 上着から端末を取り出し、カメラを起動する。
 現場に来る前、事務所に持ってきてもらった写真だけでは不足だったようだ。
 それに加えて、俺個人が気になる部分を追加で撮影する。
 俺のメインの仕事はこれだ。カンは人より多少良い方だ。
 今回もこれが、少し助けになればいいのだが。
 関係がありそうな場所を撮り漏らさぬよう、夢中でシャッターを切っていた。


「伊都くーん! いーとくーん!」
 
 振り向くと倉庫の外、大声で俺の名を呼びながら手を振っている手世さんが遠くに見える。
 どうせまた大したことではないだろうと思いつつもその方に向かう。
 息が、真白い。

「……何すか」
「すっげー星見えるよ、ここ!」
「あ?」
 
 確かに、外が暗くなっているのは遠目でも見ていたけど、そこまでの時間か。
 冬は、早い。
 
「……手世さんが追うべきホシは違うでしょうが」
「まぁまぁ、見て損はないからさぁ!」

 俺らが追わないといけないのに、って、思ったけど。見上げたら。
 ……あぁ、確かに。って。
 そうだな。これは、見て損ではない星空。

「都心部と離れているから、周りの明るさとか、空気とかが少し違うんだろうね」
「それでも、前にもっと山の方で見たのと比べたら」
「そーゆーことは言わないんだよ。ここら辺で見られるだけ上等さ」
「でも、男同士で見たってしょうがないじゃないっすか」
「一人で見るよりは、面白いけどなぁ」

 お人好し? いや、そこまで上等なものじゃないか。
 悪気が、無いんだろうな。
 俺が正論を言ったところで、この人のリズムは変わらないのだろう。

「一応、俺が集めてこいって言われた資料の回収は終わりました。帰りましょう。俺、明日学校あるし」
「ああ、じゃあちょっと車暖めておくよ。収穫としては多少あったのかい」
「まぁ多少自分で違和感あるものの撮影はしたんで、あとはアリアが繋げてくれることを願いますね」
「そうだね。頼りに、しているよ」

 貴方はどうだったんですか。と、言いそびれた。
 俺らの存在を、肯定された嬉しさが、勝った。


 彼女が無くなった時も夜で、確か今日と同じように晴れていたようだ。
 それなら、今日のように星は見えただろうか。見ていたのだろうか。
 何故、死んだら、人は星になるというのだろうかーー。

 
 

          ○



「――寒いのに」
「そうね、寒いわ」
 
 車で事務所に送ってもらうと、入り口にアリアが立っていた。
 俺は手世さんに軽く頭を下げ、アリアは小さく手を振る。
 手世さんも、手を振り返して車を出して走り去る。
 ここの星空は、鈍い。 
 でも俺が見ていると、アリアも空を見ていた。

「向こうの星、皮肉なまでに綺麗だったよ」
「そう」
「アリアは、星、好き?」

 アリアは少し困った顔をする。

「嫌いではないし、むしろ好きなのだけれどね。……星って聞くと、やっぱり犯人のホシって言葉が浮かんじゃうかな」
「職業病だな」
「本当に」

 遠くで、救急車の音がする。
 急いで走る、バイクたちが通る。
 他の星は鈍くても月の光は、……強い。

「でも、今はそれがいいわ」
「ん?」
「空の星は綺麗だと思うけど、私は、どこかの土地にいるだろうホシを追っている方が合ってるわ」
「……駄洒落?」
「同じ発音だしね」

 アリアはそう言いながら事務所の扉に手をかけて微笑む。
 その背中は、俺から見たら小さい。

「……入らないの?」
「あ……いや。入る」

 俺の手にドアノブが移る。

「何でも無い」
「……変なの」

 
 事務所に入ると、アリアの親父さんの趣味の暖炉が燃えている。

 扉を閉める直前、満月になりかけの月を見ながら、手世さんに車中で言われた言葉を浮かべる。



「――伊都くんが太陽で、アリアちゃんが月って感じ」


 
 どうして、とは訊かなかった。

 でもそれを、何だかアリアに言えなかった。



 

 ――それを、肯定されてしまう気がしたんだ。
 
 








 
**その助手は恒星に悩む