○/野永 創

 「川べりにゴミを捨ててく輩がたまにいるけど、そのゴミを下界の人間は星のひとつだと思って、綺麗、なんて言ったりしておっかしいよな」

 (若水ワカミズ)は、眼前を流れる星屑の川を見ながら言った。

 「なにそれ。下界で人間そんなこと言ってんの」

 (八積ヤツミ)は、そんな同僚を見て言った。

 「俺が直接、聞いたわけじゃなくて、(東浪見トラミ)さんが言ってたんだ」

 と、手に持っていた、ほぼ空のゴミ袋を若水はガシャガシャと鳴らした。

 八積と若水は天の河クリーンスタッフの新入社員だ。

 実際の川の名前は「天の川」だが、諸々大人の事情で会社名は「天の河」としている。

 東浪見というのはふたりの上司で、清掃員としてベテランである。

 現在、天の河クリーンスタッフにとって、最も忙しい時期だ。

 まもなく七夕――(織女ショクジョ)(牽牛ケンギュウ)の逢瀬の日が迫ってきているのである。

 織女と牽牛のふたりは、天の川の星屑の水がいちばん清く美しいとされている流域まで、自国の専用の舟で行く。

 その流域には、その日限定の逢瀬特別会場が設営される。

 この会場の設営もクリーンスタッフの仕事で、ここでの作業がいちばん骨が折れる。

 どんな会場が良いのか、織女と牽牛で毎年交代で案を提示してくる。

 今年は織女の番。

 細部にまでこだわる彼女の注文は、ことに大変であり、そのわがままさに誰もが手を焼く。

 逢瀬特別会場と呼称しているものの、つまりは、簡易的だが水上に素敵な館をこしらえろ、ということだ。

 どんなに上等に仕上げても翌日には壊してしまうので、なんとも言えない気持ちで仕事をしなければならない。

 会場設営の担当責任者は、東浪見である。

 普段なら新入社員の教育をしているのだが、いまは忙しく、八積と若水の指導はできない。

 というわけで、八積と若水は研修中に訪れたことのある、天の川下流の作業を任された。

 古くなった星屑掃きや、どこからか飛んできた塵芥拾いが主な作業内容だ。

 まるで、学校の奉仕作業のような仕事に、新人のふたりはすぐに飽きてしまっていた。

 「天の川をきれいにできるっていうから、この会社に入ったのにさ。いきなりこんなつまらない仕事で、やる気なくなるっての」

 若水はその場にしゃがみ、落ちていた星屑を水面に投げた。

 きらきらと水面は弾ける。

 「ぺーぺーの俺らが会場設営を手伝いに行ったところで、邪魔者扱いされて終わりだよ。先輩たちへの印象が悪くなるよりはマシだろ」

 八積もその隣りへ腰をおろした。

 若水はふたつめの星屑を拾い、

 「入る時期がまずかったかな」

 言うと同時に再び水面に投げ入れた。

 「そうか? 俺はいま入ってよかったと思ってるよ。だって暇じゃん」

 「いま暇なのは俺たちだけだろ。七夕が終われば忙しくなる。本来、すぐに教わるべきことを遅れて教わるってんだから、そっちのほうがリスキーじゃないか?」

 「リスキーってお前な‥‥」

 「とりあえず、職に就けただけでもよしとするか‥‥それに、俺はこの間イイもん見れたからな」

 言って、若水は星屑を手のひらで転がし始めた。

 「イイもん?」

 「あぁ。今回の会場設営の会議にな、織女さまが来ていたのをちらりと見たんだ。お姿を」

 「ほお? お美しかったか?」

 「まぁな。驚いたよ、あんなに美しい人がこの世にいるんだなぁって」

 「お前、間違っても懸想はするなよ? 織女さまにはすでに牽牛さまという立派な旦那さまがだな――」

 「判ってるさ!」

 若水は大きな声で、八積の言葉を遮った。

 「人妻に興味は無い!」

 「お前な‥‥」

 思わず呆れた八積だったが、ふいになにかを思い出して、

 「俺は、織女さまは見てないが、侍女の()となら話をしたぞ」

 頬をゆるませて言った。

 「侍女? あの桃色の帯の?」

 「そう。小柄な娘」

 「その娘なら俺だって見たぞ」

 「お前は見ただけだろう? 俺は話をしたんだ」

 「どうして? どんな話だ?」

 すこし不服そうだが、若水は同僚の話を促す。

 「東浪見さんを探してたらしくて、会社の廊下で話したんだよ。東浪見さんの居場所を教えたら、うちのお(ひい)さまがご迷惑をかけます、と可愛らしく頭をさげてくれた」

 「へぇ」

 「あの娘は実に可愛かった。また会えないものかなぁ」

 「どうだかな」

 若水は、転がしていた星屑を川へ投げ入れた。

 その若水を真似て、八積も水面をひとつ弾けさせた。

 「牽牛さまはさ、どうして織女さまのようなお美しい方と出逢えたのかな」

 ぽつりと八積がこぼす。

 「そういうホシだったんじゃねぇのか。運命の巡りあわせってやつだよ、きっと」

 「運命かぁ。だったら俺も、あの侍女の娘とは運命の出逢いかもしれないなぁ」

 うっとりと声を酔わす八積に、今度は若水が呆れる。

 「そうだと良いな」

 と、若水は立ちあがって歩き出してしまった。

 「お、おい! 待てよ!」

 八積はすぐに追いかけ、肩を並べて歩く。

 「わ、若水はさ、どんな娘が好み?」

 機嫌を窺うように、声の調子を落とす。

 「人妻に興味は無い」

 ぶっきらぼうに答える若水。

 「じゃあ、歳下?」

 「ちがう」

 「家庭的な娘?」

 「それでもない」

 「姐御肌?」

 「それもちがう」

 「じゃあなに!」

 半ば声を荒げながら八積は訊いた。

 「‥‥なにキレてんのお前」

 「別に、キレてなんか――それより、どんな娘が好みかって訊いてんだろ」

 「――牽牛さまみたいな人」
 
 ぼそりと、ひどく聞き取りづらい声だった。

 「――は?」

 「牽牛さまのような人だよ!」

 驚いた八積は一瞬立ち止まったが、すぐに気を取り直して再び若水に問うた。

 「牽牛さまみたいな人って‥‥あの人は男だぞ? お前、正気か?」

 「ああ」

 「牛を連れてるからか?」

 「馬鹿か己は。牛は関係ない」

 「じゃあ‥‥?」

 「想い人に、一途なところがいい‥‥」

 心なしか、若水の頬が赤らんでいるようである。

 「お前‥‥」

 言葉を失う八積に若水は、

 「俺、むかし牽牛さまの屋敷で世話になってたことがあるんだよ」

 「‥‥世話?」

 「短い間だったけどな。成人する前に屋敷を出たんだが、俺がこうして大人になった時には、牽牛さまは織女さまと結ばれてた。俺が屋敷にいた頃から牽牛さまは織女さまのことを好いていて、それでもその時は織女さまに声すらかけられずにいた。まるで身分がちがったからな。それで俺は、牽牛さまの相談にのってたりした」

 「そんなことが‥‥?」

 天の川のきらきらと輝く水面を見つめ、若水は懐かしさに目を細める。

 「その時の、織女さまを想う牽牛さまのお心に触れて、なにやら俺まで恋をしているような心持ちになったんだ」

 「いろいろあったんだな、お前」

 「牽牛さまは俺のことを覚えてるか知らんが、また牽牛さまに逢えるんじゃないかって、この会社に入ったんだ」

 「――でも、牽牛さまは男だぞ?」

 「性別は関係ないさ。俺の初恋の人だ」

 「そうか、すまん」

 小さく謝り、八積は黙した。

 それからしばらく、天の川の水面を見つめ、そのせせらぎにふたりで耳を傾けていた。

 「お元気かな、牽牛さま」

 ぽつりと若水が言った。

 「お元気さ、きっと」

 八積は優しく返した。

 「だと良いなぁ」

 「牽牛さまの屋敷に世話になっていたんなら、堂々と逢いに行けばいいじゃないか? どんな理由でお前が屋敷を出たのか知らんが、真摯に相談にのってくれた若水のことを悪いようには思ってないだろ」

 「それがな、悪いように思われてるんだ、これが」

 「‥‥悪く思われてるんだったら、お前のことを覚えてるかもな」

 「まぁ、聞けよ」

 若水は語り出した。

 ***

 牽牛の恋の相談にのり、いろいろと助言をしてゆくうち、その牽牛に恋心を抱くようになってしまった若水。

 牽牛のことを応援したいが、自分の想いにも応えてほしい。
 
 ふたつのこの想いは日に日に大きく膨らみ、せめぎあってゆく。

 牽牛の幸せな姿が見たい。だが、自分の想いも受け取ってほしい。

 若水は眠れぬ夜をいくつも過ごし、抑えきれなくなった想いは、ついに爆発した。

 夜半、ひとり眠る牽牛の部屋に忍びこんだのだ。

 だが、静かに眠る牽牛の姿を目の前にし、若水は自らの愚かな行いに気がついた。

 この人と結ばれるべきは、俺じゃない――

 考えを改めた若水だったが、屋敷でいちばん高い――牽牛がいちばん可愛がっていた牛を一頭盗み、逃げてしまった。

 翌朝には若水の仕業は知られ、若水はおとなしく牛を返した。

 その時、牽牛にこう言われた。

 「君の気持ちには気がついていたよ」

 気がついてくれいた――

 嬉しさでいっぱいになった若水だが、続く牽牛の言葉に、一気にどん底へ落とされた。

 「君の気持ちには気づいていたけど、それには応えられない。僕の良き相談相手となってくれたことは感謝する。でも、もう君を屋敷へ置いてはおけない。僕に懸想していたこと、牛を盗み逃げたこと、不問に付すから、どうか屋敷から出て行ってくれないか。もう君の顔も見たくない」

 牽牛が自分の想いに応えてくれないだろう、とは判っていた。

 織女のことを一途に想う牽牛に惚れたのだから。

 純粋に、自分の想いを伝えたかっただけ。

 ただ、屋敷から出て行けというのがつらかった。

 顔も見たくないと言われたのが苦しかった。

 もう、牽牛の傍にはいられない――

 「ひとつ、訊いていいですか」

 意を決して、若水は口を開いた。

 「俺の想いには、いつから――」

 「ん? だいぶ早い段階で」

 そう笑った牽牛の顔は、ひどく冷たく見えた。

 若水の想いに気がついていながら、いままで屋敷に置いてくれたこと、それだけは嬉しかった。

 ***

 語り終えた若水の顔は、清々しくどこか寂しげだった。

 「牽牛さまと言葉を交わさなくてもいい。牽牛さまが幸せになっているお姿を、ひと目、見られればそれでいい」

 「―――」

 八積には、黙って頷くことしかできなかった。

 「俺のこの一件の直後、牽牛さまは織女さまと婚姻が決まったそうだし。よかったと思ってる」

 「そう、か‥‥」

 「たださ、やっぱり悔しかったから、それなりに復讐はしたよ。した、というよりは、していた、のほうが正しいかもな」

 「‥‥え?」

 「織女さまとのことを相談された時、仕事をせずにただ織女さまと愛しあって楽しく暮らせば結婚生活はうまくいく、って助言したんだ俺」

 「は?」

 八積の顔が、途端に険しくなる。

 「牽牛さまの相談に、仕事をすべて放り出して織女さまを大切にしろって言い続けた。織女さまにも同じことを言うように牽牛さまに言い聞かせた。俺の言う通りにした牽牛さまたち、俺の思惑通りに天帝に怒られてね。それで一年に一度しか逢えなくなっちゃったんだ」

 あはは、と肩を揺らせて笑う若水。

 「俺の気持ちに気がついていて屋敷を追い出して、顔も見たくないとまで言った俺の助言を鵜呑みにするなんて、馬鹿な牽牛さま。ざまあみろ。でも、そんなところも可愛くてすき――」

 若水はすべてを言い終わる前に、天の川へ放り込まれていた。

 きらきらと水面が大きく弾ける。

 「お前! なんて最低な奴! 流れ星になって消えちまえ!」

 八積はそう吐き捨て、どこかへ行ってしまった。

 この時に生じた天の川の水しぶきは、下界の人間には流星群として見えたという。

 はたまた、催涙雨として人間のもとへ降り注いだとも言われている。



 了

×