○人斬り事情/野永創
俺の赤を返してくれ。
***
いま巷には人斬り以蔵≠ネんて呼ばれてる生意気な武士気取りの輩がいる。
残念なことに、この俺もその輩に分類されてしまうだろう。
以蔵ほど名は知られていないが、この俺だって奴と変わらない働きをしている。
まったく使えない幕府の役人や、俺ら倒幕派をゴミ扱いする連中を斬ってきた。
人斬り以蔵の功績のうち半分は、実は俺の手柄だったりするのだ。
俺が華麗に斬ってきたのに、なぜか以蔵の手柄になってしまう。
無名の剣士の哀しい性だ。
別に、俺と以蔵は面識があるわけじゃない。
だから、互いの手柄が云々、と話したこともない。
俺が一方的に以蔵のことを知っているだけで、向こうは俺のことなんて微塵も知らないかもしれない。
それでも、俺の手柄は奴のものになってしまう。
正直、解せぬ。
もし、以蔵が俺の存在に気がついていながらも、知らないふりをしていたなら、それこそ以蔵を斬るべきではないか。
たまたま、やり口が似通っていただけなのに。
***
事に及ぶのは、夜半が多い。
まずは静かに、かつ素早く相手の正面へ駆け寄る。
この時、すでに刀は鞘から抜いておくと、次の行動に移りやすい。
相手にあまり近づきすぎてしまうと、刀が振りきれなくなるため、適度に距離をとる。
軸足で踏み込み、相手の頸を狙って一気に薙ぎ払う。
確実に頸を狙わなければならないが、ちゃんと狙うことができれば簡単に息の根を止められる。
いまの方法は、主に帯刀しない連中に有効だ。
闘いとは無縁に近い連中だから、咄嗟に身を守れない。
同じようにして、後ろから襲う時もある。
ひゅっ、と風を切り、そのまま頸を薙ぎ払う。
頸動脈から噴き出す血と、どう、と倒れる身体がたまらない。
地面が真っ赤に染まってゆくのを、しばらく見ているのが愉しい。
次に、帯刀している相手を襲う時。
こちらは、ヘタをすれば反撃されてしまうおそれがある。
それを防ぐために、まずは相手の脚を狙って斬る。
こうすることで、相手の動きを封じることができる。
地面に倒れた相手の心臓を目がけて刀を突き立てる。
これで即死だ。
ひとつ懸念があるとすれば、声だ。
脚を斬ることによって、悲鳴をあげる隙をつくってしまう。
暗がりで襲うことが多いため、相手は提灯を持っている場合が多い。
その時は、いちばんに提灯を切って灯りを奪ってしまうほうがいい。
***
俺が人斬りを始めたのは半年前。
浪人なんてものをやっていて、特に倒幕派なぞに入っていなかった。
それでも、幕府のやろうとしていることに腹が立っていた。
あんな連中が国を担っているのでは、いずれこの国は駄目になる。
いままで必死に守ってきた武士の魂はどうなってしまう。
直接、幕府の連中に物申したところで打ち首になるのは目に見えていた。
そこで俺は、巷で騒がれている人斬りの真似ごとをしてみようと思った。
剣の腕には自信があった。
あわよくば、以蔵のように有名になれるかもしれない――そんなことが始まりだった。
俺が最初に斬ったのは新選組の下っ端の男。
浅葱色の羽織が赤黒く染まってゆくのが愉快で、しばらく嗤っていた。
次の晩、同じところで同じように新選組の隊士を待っていた。
奴らは血の気が多いから、仲間を斬った犯人を捜しに出てくるかもしれない。
しかし、新選組の隊士は誰もいなかった。
雨が降っていた。
それでも誰か来るだろうと、俺は待っていた。
そして、暗がりからひとり歩いてくるのが判った。
隊士か――
もう誰でもよかった。
隊士だろうと一般人だろうと、人を斬ることができればなんでもよかった。
そいつは、灯りを持っていなかった。
じっと目を凝らし、相手の位置を探る。
男か、女か。
そいつの腰に刀を見た。
ふいに、そいつが歩みを止めた。
――気づかれたか?
そう思った時には、俺の身体は動いていた。
互いに暗がりだったが、俺のほうが速かった。
静かに素早く相手の正面へ駆け寄り、脚を斬りつけ、心臓に切っ先を突き立てる。
一発で仕留めつもりが、あばら骨にあたり、刃を貫けなかった。
俺は再び心臓を目がけて切っ先を振りおろす。
その時に、相手の血が飛んで俺の目に入った。
拭う間すら惜しく、俺はそいつの身体を貫いた。
呻き声をあげていたが、そいつが動かなくなるのを確認して、傍へ隠してあった提灯に火をつける。
斬った相手の顔が見たかったからだ。
「てこずらせやがって」
だが、灯りをいくら近づけても、そいつの顔は判らなかった。
なにか赤黒いものが視界に張りつき、見づらくしている。
奴の血だった。
***
その晩以来、俺はものすごい勢いで人を斬っていった。
幕府の要人では飽き足らず、その家族までもが俺の手によって斬られた。
天誅。
しかたがなかった。
以前までちゃんと見えていたはずの赤≠ェ見えなくなっていたのだ。
赤という色彩が、俺の視界から消えていた。
もう、血の赤を見ることができないのか――
俺は、人の血を見ることに躍起になっていた。
人を斬り、斬った奴から流れ出る赤い血を見たい。
だが、俺の目には赤いものは映らない。
どす黒く、ぬめりのあるものしか見えない。
血は、赤いはずだろう?
俺の目はおかしくなっていた。
いまでは、視界は白と黒にしか見えていない。
あの雨の晩、俺の視界は真っ赤だったのに。
俺の赤はどこへ行った‥‥
***
人斬り以蔵が死んだらしい。
とある雨の晩から奴の姿が見えなくなったそうだ。
姿は見えないが、相も変わらず幕府の腐った連中は斬られている。
だから、どこかで以蔵は生きていると思われている。
生きているのなら話は早い。
お前はいつまで俺の手柄を横取りする気だ。
あの雨の晩、お前から流れる赤を見たんだ。
いぞう、おれのあかをかえしてくれ
了
|