わたしの住んでいる場所はなにもなくて、田んぼと畑と民家と、少しの商店――コンビニじゃなくて商店――と外れに大型スーパーがあるだけだった。
 車が無いと不便な場所にも関わらず、わたしは免許を取らずにだらだらとキャンパスライフを楽しんで……は、いなかった。大学や高校の友達とは家が離れ過ぎているし、電車の定期券はあれど隣町までいくのが面倒くさい。それでも週1で出かけるのだけれど。
 だから夏休みは強制的に、家でだらだらと過ごすしか無いのだ。親は免許を取りに行けと言わないし、いわゆる学生ニート状態だ。これが楽しいかと聞かれれば、楽しくない。完全に暇を持て余していた。

  *

 夏休みも中盤か、終盤か。わからない。体内時計が狂うことはないのに、日付の感覚が狂っている。お盆はもう終わったから、中盤を過ぎたあたりか。
 今日も一日中クーラーのきいた部屋でだらだらとしていた。ろくに動きもしないのに腹が減るのが人間のいやなところで、丁度お昼頃になるとわたしの腹は空を訴える。冷蔵庫でも漁りに行こうと自室のある2階から1階に向かうと、玄関前に母と2軒向こうの幼なじみ母がいた。母はわたしの姿を見るなり「ほらぁ、やっぱりきたでしょ」なんて言いながらにやにやとしている。「は?」と気の抜けた声を出すと「まぁまぁ」とわたしをリビングへ押しやる。
 それよりわたしは腹が減っているのだが。
 母はわたしをリビングへ押しやったと同時に、扉をバタンと閉めた。いったい何なんだ。
「おっせぇ」と男にしては高い声が耳に届く。見なくても分かる。けど見るしかない。そこにいるのは、幼なじみだ。

「……なんでいんの」
「ユイコに会いにきた、とか言ってほしい?」
「うわ、くっさ」
「うっせ」

 リビングのテレビには、つい先日買ったばかりのロールプレイングゲームのプレイ画面が出ている。人ん家に上がってなに勝手にゲームしてんだ。別にいいけど。恐らく母が勝手に了承したんだろう。
 幼なじみをこんなに近くで見るのは、数年振りだった。おそらく3年とか、それくらい。中学まで同じ学校だったが、高校が別々になった上、彼が大学進学先に選んだのが東京だったこともあり、接点は限りなく0に近くなっていた。でも、どうもそう思っていたのは、わたしだけだったらしい。
 帰省していたのか、知らなかった。知る必要もないけれど……けれど、ちょっと嬉しい。
 「こっちこい」と呼ばれて、ソファにもたれかかる彼の隣に座る。仲が悪いわけではないし、昔はこれくらい普通だった。いまだって、変わらない関係のはず。
 目の前のテーブルにあった、お菓子に手を伸ばす。そういえばわたしは腹が減っているのだった。市松模様のクッキーを口に含んで、噛み砕く。甘い。ただひたすらに、甘い。
 テレビのゲーム画面は、わたしの知らない場面だった。こいつ勝手にわたしのデータ進めてんじゃないだろうか。別にネタバレは構わないけどやるなら最初からやってほしかった。

「ユイコさ、今日の夜空いてない?」
「絶賛暇してるけど、なんで?」
「いや、祭り一緒に行かないかなーと」
「へっ、あれ?」

 ポケットに入れておいた携帯電話で日付を確認する。もう、八月も終わりだった。つまり、夏休みも終盤に入っていたわけで。毎年、この時期になると家近く(ただし自転車で15分)の大きな道の駅では、祭りと花火大会が行われていた。
 ああ、もうそんな時期ですか。これだから夏休みってやつは。

「どうしたん」
「……いや、ちょっと、現実がまぶしかっただけ」

「そうかー」とか言ってるけど分かってるのかこいつ。恐らく、考えてることの半分以上はゲームに持って行かれている。

「で、どうなん。行く?」
「……行く。どうせ、夜もすることないし」
「課題やれよ」
「誘っておいて言うかね、それを」

 まだ残っている課題の束を思い出して、記憶の中で散らす。
 彼はゲームをポーズ画面にして、すくっと立ち上がる。あれ。こんなに身長高かったっけ。わたしが座っているから高く見えるだけ?
 そして「じゃあ、時間なったら迎えにくるから」と言って、わたしの元を去っていった。用って、これだけか。ていうかゲームを消していけよ! なんて思いながらゲームのコントローラーに触れると、いつの間にか戻ってきていた母がまたもにやにやしながらわたしを見ていた。

「お祭り、行くんでしょ?」
「行く、けど……なに」

 母はわたしを無視して「青春ねぇ」なんて言いながら、キッチンへ消えて行った。母を気持ち悪いと思ったのは、後にも先にもこの時だけだった。

  *

「おー、浴衣だ」迎えにきた彼の第一声が、それだった。
 わたしは、浴衣を着ていた。正確に言うと、母の手によって着させられていた。下駄は歩きにくいからいやだと言ったのに。

「あー、大丈夫か? 自転車なんだけど」
「た、多分……」

 足が開けないというのはわりと怖い。彼が自転車に乗ったあと、その後ろに横になって座り、彼の細い腰に手を回した。幼い頃も2人乗りをしたことがあったけれど、その頃より広くなった背中にドキッとしたなんて、言えない。絶対に。

「おっ、これは……」
「どうかした?」
「いや、なんでもない。それより落ちそうになったら言えよ」

 なんとなく、だいたい察した。変態のひとつでも言ってやろうかと思ったけれど、動き出した自転車によってそれは阻止される。下手したら、落ちる。

  *

 祭り会場は、それなりに賑わっていた。彼は「はぐれないように手でも繋ぐ?」と聞いてきたが恥ずかしくて「さすがにそれは」と丁重に御断りさせていただいた。関係は変わらなくても、心境は変わる。
 そういえば、この祭りにくるのも久しぶりだった。花火は微妙に家の2階から見えるし、祭り自体にあまり楽しみを感じなくなっていた。だけどどうだろう。実際にくると、わくわくしかない。人間って、単純。
 あの頃も一緒だったな。親とはぐれて迷子になって、手を繋いだり。泣きじゃくるわたしの手を引いて前を歩く、彼の小さな背中を思い出す。当時のわたしは、何を思っていたんだろう。

  *

「結構人いるね」
「昔は穴場だったのにな」

 花火を見るために、幼い頃は穴場だった場所にきた。右手にいちご飴、左手に水風船と2匹の金魚を持って。金魚すくいなんて、何年ぶりだろう。
 ご覧の通り、完全にはしゃぎ過ぎた。だって、彼がおごってくれるものだから、つい。「おごる」って言ったとき否定の意味で「いい」って言ったのに、つい甘えてしまった。後になった今、反省している。
 遠くもなく、近くもない方向から、花火打ち上げのアナウンスが聞こえてくる。何発ぐらい打つんだったかな。忘れた。
 適当にいちご飴を舐めながら、アナウンスをぼんやりと聞いている内に、濃紺の空に色とりどりの花が咲き誇る。家にいるときより綺麗に見えるのは、なんの作用だろう。
 ふっと彼を見てみる。ああ、昼に感じたものは間違いじゃなかったんだ。わたしより、遙かに背が高い。遥かに、は言い過ぎか。わたしはそんなに小さくない、はず。160cmだから。前置きに自称がつくのは無視しよう。
 175はあるかな……なんて思っていると、バッチリと目が合って、思わず目を逸らす。
「なーに見てんの」なんて。きっとにやにやしながら見てるんだ。顔を見てないからわからない。でも、きっとそう。

「な、なんでもない!」
「そ。……浴衣、似合ってるよ。普通に可愛いわ」
「っな、な……!」

 何を急に言い出すんだこの男は、と思ってバッと顔を上げると、その男は優しく笑っていた。

「顔真っ赤ですけど」
「う、うるさい……」

 指摘されて、顔が熱くなる。恥ずかしくて、うつむいた。まともに花火なんて見れやしない。東京でいったいなにを学んできたんだコイツは!
 顔の熱さは、夏のせいにしておきたい。

  *

 花火が終わった後、人ごみをかき分けて自転車を置いた場所まで行く。そこにいたのは数人だけで、静かだった。そのせいなのか、夏草の匂いが鼻につく。夏の匂い、とでもいうのだろうか。久しぶりに感じた。
 私の手から彼の手に渡された金魚は、ハンドルにかけられてゆらゆらと揺れる。道中で水が零れないだろうか、心配だ。
 帰りも行きと同じく二人乗りになるわけですが、どうにもさっきの出来事が頭を掠めて、恥ずかしいやらなにやらで、平静を保っていられない。
 可愛いって、可愛いって! ずっと一緒にいるけど言われたことない!
 脳内が完全にお花畑になっている。落ち着かないと、と思っていても落ち着けるわけがない。いろんなものが混在して頭が痛くなってきそうというときに「お前さ、彼氏とかいないの」と聞かれる。

「って、いるわけないか。俺と一緒に祭りきてるくらいだし」
「ちょ、勝手に決めつけないでよ!」
「じゃあ、いんの?」
「いっ……ない……」

 なんて空しい言葉なんだ。生まれて此の方、彼氏なんぞいたことが……あった。あった、高校時代に。けれどそれは、この場ではどうでもいい。
「それはよかった」と彼は言う。
 なにがよかったんだ。頭で今の会話をリピートしてみる。
「彼氏いる?」「いない」「それはよかった」
 ……よかった? なにが? 答えは単純、わたしに彼氏がいないことが。
 彼の顔を見て、その意味に気付く。そして、顔がさっきより熱くなるのを感じた。ここに外灯が少なくて良かった。
 幼い頃の記憶が頭を掠める。
 彼から貰った、おもちゃの指輪。
 あの頃の恋なんて恋とは呼べないもので、一種の憧れのようなものだった。だから簡単に忘れてしまう。それをコイツは、この幼なじみは、覚えている。きっと、はっきりと鮮明に。そして、守ろうとしている。
「うっし、帰るかー」とサドルに跨がった彼の後ろに乗って、背中にしがみつく形になる。少しでもこの背中に心臓のドキドキを伝えてしまわないように、距離を遠ざけたい。

「おまえそれ絶対落ちるぞ」
「いいの!」

「俺がよくないんだけど」と言いながらも、車輪を回していく。生温い風が頬を撫でる。すこしでも、この頬の温度が下がればいい。
 あの指輪どこにやったかなぁ、なんて思いながら、わたしはまた彼に恋をする。






夢から冷めない





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