壊して、壊されて。そうやって生きてきた。
 人間は、百年経ってもなにも変わらない。いろいろな出来事を繰り返して、生きている。昔あったそのことを、体感していないから。言伝で、平和になるほど世界は甘くない。今日もニュースは、遠い国の戦争を伝えている。僕はそれを、薄らぼんやりと、興味無く見る。この国は平和だ。戦争なんて、遠い昔の話になっている。
「食器、片付けますね」と彼女が言った。
 無機質で、きれいな顔だった。
「うん、ありがとう」と声をかけても、彼女はニコリとも笑わなかった。それもそうだ。だって彼女はアンドロイドなのだから。
 いまの時代、一家に一台アンドロイドが主流になってきた。技術大国の進歩は早いもので、無機質なアンドロイドが生まれたと思ったら、セクサロイド、擬似的な感情を持ったアンドロドまで出てきた。僕がいま一緒にいるタイプのアンドロイドは古いもので、安く買い取って、僕がさらに改良したやつだ。擬似的な感情は持っていないが、家事は一通りこなしてくれるし、セクサロイドとしての機能も持っている。感情が無いこと以外、生身の人間と同じだ。見た目は、かつて生きていて、結婚するはずだった恋人そっくりに作った。「彼女がいる」それだけで、幸せだった。たとえ感情がなくとも。
 カレンダーの日付を見て、彼女の名前を呼びかける。

「なんでしょうか」
「出かけようか」

 彼女はうんとも、すんとも言わず、ただ支度に入る。どこに行くのか分かっているのだろう。
 行き着いた先は、海岸沿いにある白い小さな家。数年前まで、僕が恋人と住んでいた家だ。いまではもう使われることが少ない旧式の鍵を使って、扉を開ける。
 半年に一度、掃除をしているはずの部屋は少し埃っぽかった。でも気にするほどでもない。掃除を頼んだのは三日前だ。それまで人が入らなかったのだから仕方ない。
 この家は、電子の海に飲まれていない、昔の人が住んでいたような、古い家だ。恋人が「ここがいい」と言ったから、ここに住み始めたのだけれど、僕には不便でたまらなかった。
 荷物をまとめる。だいたい二日分の食料と、彼女の制御装置。衣類は、この家に残されていたものを使えばいい。恋人が死んでから毎年、そうしてきた。
 その後、家を出る。目先の石段を降りれば、すぐ海岸だった。都心から二時間程度しか離れていないのに、沖縄の海のように綺麗な海だった。その海に近づいて、ポケットから小瓶を取り出す。小瓶の中身は、恋人の灰と、細かく砕いた骨だった。僕は、恋人が残した言葉の通り、毎年命日に彼女の灰と骨を少しずつ、この海に撒くように流した。
 恋人は、自殺だった。僕が仕事から家に帰ってきた時、彼女は浴槽の側で冷たくなっていた。浴槽に入っていた水には、朱色が。
 恋人がどうして死を選んだのか、僕には分からなかった。否、死ぬ気なんてなかったのかもしれない。遺書には、死んだ時どうしてほしいかということと「ありがとう」の言葉だけだった。その遺書を知り合いに調べて貰った結果、一年前には書かれていたものらしいことが分かった。
 恋人はもともと鬱病のようなもので、電子の海に溺れて、沈んでいた。腕にはいくつもリストカットの痕があって、一度止めさせたはずだった。もしかしたら、それは表面上だけの話で、僕がいないところでずっと、彼女は苦しんで、続けていたのかもしれない。その結果、彼女は死んだ。
 撒き散らした灰は、キラキラと輝いて見えた。もう小瓶には、なにも入っていない。
 アンドロイドの彼女は、ただ黙って僕の隣にいた。恋人のように、海ではしゃぐことは無い。だけど、それでいい。それが、いい。

「もう、終わりだよ。今年流した灰で最後だ」
「そう、ですか」
「長かった。二十年かかった。でも、もう終わりなんだ。少しずつ恋人を無くしていく恐怖も、哀しみも」


 その日の夜、僕は手紙を書いた。家族と、それから彼女に宛てた手紙を。それを月明かりが当たる窓辺に置いて、家を出た。
 月は、手が届きそうなほど近かった。そういえば、彼女が死んだ夜も、こんな月だった。
 僕は導かれるように、海へと足を進める。彼女が、電子の海で溺れ、沈んだように。

 翌朝、彼女は手紙を見つけた。
 そして、あるはずのない涙を流しながら主人の名前を、呟いたのだった。






月のなみだ





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