――父さんが死んで、どれくらい経っただろうか。
 
 なんて、そうは言いつつも日付も時刻も正確に覚えている自分がいる。
 色々忘れているつもりでも、何だかんだそんなことはない。……多分。
部屋の隅に置かれた家族写真に、今日は何だか嫌なほどの時間の経過を感じる。

 父さんの死んだ日をどれだけ正確に覚えていても、俺はあの人との思い出がわからない。
 あの人は手間のかかる兄たちと姉たちの世話ばかりで、俺と一緒にいた時間ってどれくらいだっただろう。俺は一番手がかからなくて物分かりも良かったからか、あまり世話をされた記憶もない。
でも、それは俺が覚えていないだけだと父さんの昔馴染みの人が俺に言って聞かせた。俺がうまれてすぐの時、それは誰よりも宝物に扱っていて、俺に色んなことを教えてくれたんだと。

 そう言うけれど、覚えてないんだ。記憶に、ない。
 その人も、仕方ないよと笑うけれども。
 俺が覚えているのは、苦しそうに咳き込みながら兄姉の世話をするあの人の背中ばかりだった。
 
 何だか消化出来ない感情を掃除に対するエネルギーに置き変えていると、背後から俺を呼ぶ声がする。エルゼ姉さんだ。
 さらさらの長い髪に大きな瞳。弟からしても、エルゼ姉さんは周りの人間と比にならないくらいに綺麗だ。なんて、思ってしまうのはシスコンがすぎるだろうか。
 
「エリアス、お掃除中にごめんね。ボリスお兄ちゃん用のごはんがもう無くなりそうなの。また買いに行ってもらえないかしら」
「嘘だろ、もうそんな経ったか」

 自分の頭の髪をぐしゃりと触る。
 今までそんな買い忘れのようなミスなんてしたことないはずなのに。この前頭をぶつけたときにネジでもとんだか。

「ごめんね、私ももっと気にしていればよかったわね。いえ、そもそも私が行ってあげられればいいのだけど……」

 俺は、車椅子に座る姉さんの脚を見る。
 姉さんの脚は、動かない。

「いいよ、気にしないで。歩ける俺が行けばいい話なんだからさ」

 エルゼ姉さんは脚が悪くて、車椅子が無いと移動が出来ない。車椅子が例え自動であっても、体も弱いから極力姉さんだけで外に出したくはない。

「ごめんねごめんね。じゃ、じゃあエリアスが買い物行っている間に続きのお掃除しておくから」

 そんなことしないでいい。と言いかけたが、姉さんの顔がそうは言わせない。

「好きにしてよ。まぁ、無理はしない程度に」

 適当な上着を羽織り、財布の入った簡素な鞄を持って外に出る。
 外では太陽が高く、建物の白い壁を焼いている。遠くの海が眩しい。
 玄関から続く階段を駆け下り、俺は市場に向かって走っていった。

          ○

 この街の市場は、朝から夕方までずっと賑やかだ。食材も新鮮なものが揃っているし、買った量よりおまけだと言っておまけをつけてくれたりするお店も多い。
 今は兄弟だけで暮らしている僕らのことを気にかけてくれている人たちも多くてありがたい。

「あら、エリアスちゃん。今日も買い出し? 今日も良いお魚入ってるわよ!」

 俺を呼びとめる魚屋のおばちゃんの言葉に、軽い笑みを返す。

「ありがとう、でも今日の用事はこっちじゃないんだ。また来るよ」

 少し寂しそうなおばちゃんの顔を感じつつ、俺は明るい市場を通り抜けて人気のない細道に進んでいった。

          ○
 
 昼間なのに薄暗い道。野良猫の目がギラギラこっちに向いていて相変わらず気味が悪い。
そして油臭さや鉄などの金属の臭い、錆の臭いやどことなく怪しい薬品の臭いもする気がする。そんな道を俺は邪魔なものを蹴飛ばしつつ進んで。
 目当ての、店へ。

「――もう来る頃だと思ったぞ、エリアス」

 毛玉だらけの服を着た鍵鼻の老人が笑う。老人の前には様々な形状の金属製パーツが並び、後ろには燃料のタンクが積み上げられている。
 そして顔を見合すと、お互い口元を釣りあげて。

「ったく、小さかった美少年はどこに行ったんだい?」
「ふん、お前さんに言われたくないね」

 互いに悪態をつく、互いに溜め息をつく。

「……どう言われようとも、俺は歳がとれないからな」
「機械っていうのは残酷だねぇ」
「残酷なのは、時間だと思うがな」

 何十年も容姿の変わらない俺は、すっかり老人の姿になった男の皺に泣きたくなる。
 おそらく奴は、何十年と変化のない俺の顔に哀しむ。

「でも俺だって全く変わってないわけじゃない。皮膚素材の劣化で肌の素材を何度変えることになったか。記憶の容量が溜まり過ぎたら拡張してもらったりしたんだ」

 その辺にあった箱に腰を下ろし、老人になってしまった顔を見ながら喋る。
 俺は何十年も、ほとんど姿が変わらない。少年とも青年とも形容出来るような、そんな姿が雑多に置かれている鏡に映っていた。
 そして奴は聞いているのか聞いていないのか、返事もせずにいつも俺が買う兄用の燃料を手なれた動作で用意を始めていた。しばらく動きが落ち着くまで、頬杖でそれに見とれた。

「でもそういえば、お前が店番しているのなんて何だかんだで久々に見たな。孫はどうした」
「……孫も今度から都市で勉強するんだとよ。お前たち兄弟を見ていて思ったそうだ」

 予想外の答えに、しばらく人間らしい動作を忘れる。

「そ、そうかそうか。俺様に憧れを抱いたか」

 自慢げな顔をしながらこの口はそうは言うが。
 何だか、哀しく感じたのは何故だろう。

 都市で学ぶのは機械の最新技術か。俺へ施された親父の技術はもう古いのだろうか。
 田舎町で暮らす今、俺は都市で活躍する親父の弟子たちがメンテナンスで来る以外に滅多に研究者に会うこともほとんどない。
 俺は機械研究でかつて最高の博士と呼ばれていた人が生み出した最後にして集大成の機械。
 極めて人に近い容姿を持ち、人のように自ら思考し、人と同じ食べ物でエネルギーを取る。
 その一方、人より細かいものを見、様々な臭いを嗅ぎ分け。年は、とらない。

「……お前の孫が、俺を含めて兄弟のメンテナンスを続けてくれるのを願う、よ」
「そう言って、俺の一族をずっと見ているんだろう?」
「さぁなぁ」

 燃料しかエネルギーに変換できない兄のためのこれは重い。姉さんにもオイルを買って行こうか。俺の食いものは、まだ家に色々あったはずだ。俺は、機械のくせに特別に力持ちでもなかった。
 
          ○

 ボリス兄さんは、親父がまだかなり若い頃に作った最初のロボットらしい。俺や姉さんみたいに人の姿はしていない。銅の色の外見の、小さなロボット。動きは単純な動作だけ。俺らと会話も出来たことはない。

 エルゼ姉さんは親父が会話に重点を置いて作った、人の外見を持つロボット。元々座った姿として作られたため、足はほとんど飾りでしかない。会話も出来るし記憶もある

 他にも、俺にはたくさんの姉さん、兄さんがいる。けれど、そのほとんどが誰かの家に養子に行ったり、弟子の研究に協力していたりするそうだ。

 そういえば都市で仕事をしていた、姉さん一人が今度帰ってくるって言われていたっけ。
 あの時の家族写真にいる兄弟も全てじゃない。
 会ったことのない兄姉も、どこかで元気にしていてくれているのだろうか。話は、出来るだろうか。

 俺が、作られた理由はなんだろうか。
 父さんを、ちゃんと父さんと思える日は来るのだろうか。そして、
 俺は、父さんに息子と思ってもらえていたんだろうか。



 本人がこの世にいない中、答えは分からない。
 太陽に翳した手は、微かに金属の骨が見えた気がした。




――最高傑作の陰鬱

×