『………嫌いではないんだよね』
『ああ』
『ならまだチャンスはあるって事。私、諦めないよ』
『言っただろう、一人前の決闘者になるまで、思ゐ人にはならん』
『アタックは自由でしょう? 私がプロになる前に、貴方から好きと言わせてやるんだから』
『ほう、随分な自信だな。受けてたとう。其の一騎討ちに……』



―――――――――
――――………



「(また、あの時の夢か)」

キザンは仰向けのまま、困憊したの目を覆った。

……三ヶ月前。主、那真絵からの告白。那真絵の恋人になるのを断ったのは他でもない、下部の中でも実力者として上位に立つ、このキザンという男だ。
恋仲に値する人間が出来れば、決闘の腕が上達しないだろう………というのがこの男の考えだった。しかしそれが正しい結論とも思ってはいないらしい。 闘う者に、恋は必要か否か。近頃寝不足気味になっているのはそればかり考えている所為だろう。

重い体を起こし道着に腕を通す。 窓から洩れる日の光が眼球を刺激した。



紫炎の道場には、自主稽古を行う若き侍の影がいくつか伸びていた。「那真絵殿、此の頃召喚して下さらんな」と剣の鍛練を怠り呟く一人の侍。主の那真絵に呼び出されなければ、下部である彼等が暇になるのは必然であった。他の侍は、最後に召喚された時も彼女は元気がなかったと述べた。仕切りが見えない雑談を遠巻きに聞きながらキザンは一人で素振りに没頭する。

「……それだと言ふのに、キザン殿は無慈悲だ」

そんな小声も一顧だにせず、剣で空を斬り続けた。那真絵が元気のない理由も、召喚しない理由も、キザンには分かっているのだ。


      * * *


電気の明かりさえ点けてない部屋の隅で、粛々と涙を流している那真絵。沈黙に突如鳴った、がたんという物音に肩を跳ねらせた。背後や振り向いて刮目する。

「…………っ」

那真絵は目の前にいる人物を把握した途端、慌てて流してるものを拭った。抑えようと躍起になるが止まらないらしく、それがまた悲しさを招いて目から溢れ出す。

そんな那真絵を、キザンはただ真っ直ぐに見据えていた。

距離を縮め己の手を彼女へと伸ばす。その手は那真絵の頬にある水分を掬った。

「…………キザン…?」

やっと発した彼女の声は酷く嗄れていた。 キザンが向けている表情は冷血漢そのもの。されど彼女に触れた手は、侍とは思えないほど優しかった。



「すまない」

腫れた瞼、充血した眼。見るに堪えない那真絵にキザンは謝罪の言葉しか掛けられなかった。しかしその謝罪さえ、那真絵を傷つけたとまでは考えなかっただろう。

「謝らないで。……悪いのは、私の弱さだから」

キザンから身を引き、執拗に目を擦る。

「こんなの、キザンに情を売り付けてるみたいでズルいね。……泣いたって、キザンは私を好きにはならないのに」

自分を蔑むように言い放った。笑顔で戯てみせようと試みるが那真絵は笑みすら作る事が出来ず、附せる目がまた潤っていく。

「正々堂々と貴方に向かって行くって言ったのに」
「那真絵が日々努力はして居るであろう。玄人になる為にも、………某の為にも」
「でも、デュエル上手くなれなくてプロには遠くて。焦れば焦等ほど、キザンが遠くなっていく気がして。そしたら何かこの想いさえ、キザンを困らせてるのかな、とか思っちゃって……………ごめん、ごめ……」

言葉を遮られる程に息が詰まり、声が途絶える。否が応にも思ってしまった。振り向いてもえらぬ彼に想いを寄せる続けるのは、平凡な人間がプロへ目指す事と同じくらい、愚かなのではないか。こんな事ならば胸の内の情緒を伝えず、主と下部の信頼関係でいられた方がよかったのではないか、と。

泣かない、諦めないと決めていた那真絵の意志は粉々と砕けていた。自分の弱さが甚だしく感じ、心まで哀しさに蝕まれていった。



キザンはついに瞳を閉じる。暫く視界を闇に預けたあと、瞼を開け呟いた。

「これよりなす行為に、慕いや情けは込めぬ」
「………?」

そういうと、那真絵の腕を掴み寄せ、彼女を自分の胸にしまい込んだ。

けして抱き締めているわけでなかった。体を寄せただけで、少し触れ合う程度の距離感。当然那真絵は混乱する裏腹、期待で鼓動が速まる。本人が初めに否定を示したにも関わらずに。



「貴女は主である事に変わりはない。主が悲しみてゐるのなら、励ますのは下部の役割だあろう」

か細い腕から手を離すと、今度はそっと頭に乗せた。

「今だけは休戦を致そう」
「……!」
「気分が治ったならば、また大会へ。 そして某にも全力で掛かりて来ゐ。正面から受けたってやろう」
「……………うん」

那真絵の肩の力が抜け始める。ゆっくりと髪を滑るキザンの手は、慰めの魔法でもかかっているかのようだった。

――――ああ、この恋は決闘のようだ。どちらかが敗北者となる諍いのような恋。
そんな険しい道を女の身一つで勝てるか分からない。だが知りたい、その結末を。そして掴みとりたい、勝利を。しかし今は与えられた休戦だ。那真絵は遠慮なくキザンに疲弊した身を預けて目を閉じる。安らいでゆく胸がこの男を愛していると叫んでいた。



「…………私、女磨きもデュエルの腕磨きも頑張る。ちゃんと貴方に振り向いて貰えるまで諦めない。……で、いいかな」
「ああ。 それでこそ我が主、那真絵だ」
「…ありがとう、キザン」

(…………卑怯だ。休戦中に左様な笑顔を見せしめるなぞ)





20120425