暗緑の灯火 | ナノ
暗緑の灯火



さよなら






死んだかもしれない。

ユーリは重苦しい闇の中で、ひとり漂っている気分になった。
腹部に走る鈍痛と、張り付いたかのように開かない瞼。

最後に意識を手放す前、ラナを抱きしめた腕の感覚も、それは果てしなく遠く思えた。




「……目が覚めたか」

低音で、囁くような声が聞こえた。
この声の主は、おそらくデュークだ。

だが思うように起き上がれず、視線を声の方に向けるが、ぼんやりとしていてよく見えない。




「その傷は、賢者の石の仕業か?」



再びデュークの声がした。


「……だったらなんだ」


返事をしたのは、間違いなくラナの声だ。
ユーリは彼女が無事であるとわかり、ホッと胸を撫で下ろした。


「………そのままでは長くはあるまい」


ため息の混じるようなデュークの言葉。


「いいさ、どうせもといた世界に戻るつもりだ。肉体は必要ない」

「もといた…とは?」



「神々の国」



「なるほど、ではお前がエルシフルの言っていた始祖の神という訳か」


「……そうらしいな」



ぼんやりとした視界のまま、ユーリは話に耳を傾けていた。
状況を飲み込めずに居たが、どうやらここは下町の自室らしい。



嫌な沈黙のあと、もう一度声を発したのはデュークだった。



「始祖の隷長を死なせたようだな」


その声に怒りはない。
だが冷淡さはあった。

押し黙るラナに、デュークは静かに息を吐いた。



諦めのような、見放したような、そんな雰囲気を醸し出す。


ユーリは視界が開けてきたので、ゆっくりと起き上がった。


「ユーリ!!」


ラナは、今にも泣き出しそうな声で彼の名を呼んだ。


「……っ……無事みたいだな」

腹部に走った痛みに、彼は思わず眉をしかめる。
どうやらソディアにやられた傷口は、塞がってはくれていないようで、彼女の怨みが伺える。

「…待って」

ラナはそっと手を彼の腹部にかざす。

ぽうっと暗闇が照らされ、暖かいようなくすぐったいような、そんな感覚が傷口を支配した。

「治癒術……?使えるようになったのか?」

よく知るエステルの治癒術とは、似て非なるものだったが、思うような言葉が見つからずユーリはそう返していた。
眉を下げて困ったように笑うだけで、ラナから答えは得られなかったが。


「あんたが助けてくれたんだな…デューク」

彼はそれ以上何も聞こうとせず、銀髪の美男子に視線を移した。

「この剣を海に失うわけにはいかなかったのでな」

彼はベッドに立てかけられていた宙の戒典を手にとった。
感情の読み取りにくい……読み取ることのできない、と言う方が正しいほどの無表情で。


「まあいいさ、礼は言わせてもらう……」


「デューク、星喰みは必ず封印する。だから……」

「満月の子の力を解放したザウデでは、最早結界の意味など成さない」

ぴしゃり、とラナの言葉を遮ったデューク。
彼女は不満そうに眉を寄せた。


「……解放って……ザウデは満月の子の力で動いてたのか?」


ユーリの問いに、デュークはうなずいた。


「千年の昔、星喰みを招いたのは人間。彼らはその指導者だったと聞く。償い…だったのだろう。わずかに残った満月の子らが始祖の隷長とのちの世界のあり方を決めた。帝国の皇帝家はその末裔だ」


「……ザウデは彼らの力と命とで世界を結界で包み込み、星喰みを退ける事でその脅威から世界を救ったんだ」

「……なるほど、命、ね」

ユーリは納得したように目を伏せた。


「エアルを用いる限り星喰みには対抗できない。あれはエアルから生まれたものだ」

デュークは窓の方に向き直って、重々しく言った。
皮肉にも満月の今夜は、月が辺りを照らしている。


「あんたも星喰みを止めるつもりでエアルクレーネを回ってたんだろ?なんでギルドや帝国に協力を求めなかったんだ?そうすりゃ…アレクセイだって……」

そこまで言って、ユーリは言葉を濁した。
ベッドに腰をおろしているラナが、難しい顔で己の拳を見つめていたから。


「私は始祖の隷長に身を寄せた。人間と関わり合うつもりはない。それに決して、人間たちはまとまりはしないだろう」


冷たいデュークの言葉。
そこまで言わせるだけの何かがあった事は、日を見るより明らかだ。

「ならどうしようってんだ?古代文明にも手に負えなかったものだ」

「方法は……ある」

デュークはそう言って部屋の出口へと歩き出した。

「待て!!」

ラナは立ち上がって彼の肩を掴む。


「もう少し時間をくれないか。ザウデはまだ機能している……」


「充分に、お前とクライヴを待った。
だが……その友はもういないのではないのか?
お前一人で何をすると言うのだ。
異界の神の力でテルカ・リュミレースに触れていいとでも思っているのか?」


デュークの冷ややかなその言葉で、ラナの手はするりと落ちた。
ユーリから彼女の表情は見えなかったが、どんな顔をしているかくらいわかる。

デュークはふいっとまた扉に向かって行き、ノブに手をかけた。



「あんた、人間嫌いみたいだけどさ」



ユーリの声に彼は、その手を止めはしたが振り返る事はしなかった。


「俺たちだって人間だぜ?なんで宙の戒典貸してくれた?なんで協力してくれたんだよ」




「お前たちだけが、あえて始祖の隷長との対話を試みた。だから………いや、最早終わった事だ」



そう言って部屋を出て行った彼をユーリはもう追わなかったが、代わりに、ラナとの重苦しい沈黙が訪れた。





ユーリが彼女に聞きたい事はたくさんあった。
だかどうしてか、聞くのが怖かった。
柄にもない、と自分自身を嘲るようにため息をつく。


「怒ってるのか?」


そのため息をなぜだか怒りと勘違いしたラナ。
それはきっと、後ろめたい事があるからなのだろう。


「怒ってねえよ……」


ユーリは諦めたような声を漏らす。


今怒っているとしたら、最近ラナとまともに話をできていないことに、だ。

彼女は何も言わずに、ずっとデュークが出て行った方向を見つめていたので、彼が先に言葉を発した。



「お前、ザウデで飛んだりアレクセイやデュークに神のなんとかとか言われて……俺たちと離れてる間に何があったんだ?」



もう少し柔らかい言い方をすればよかった、とすぐに後悔したが、言ってしまった言葉は引っ込みはしない。


「……いろいろ言ったら、驚くと思う。それくらい…突拍子もない話なんだ」



「聞いてやるよ」


今度は優しく声をかける。





「………私がこの世界の人間じゃなかったら、ユーリはどうする?」




「どうもしねえ」



言葉の意図はわからなかったが、こう言う言い方をするときは、ラナは大抵事実を述べる。
本当に突拍子もない事だが、最後まで聞いてやるしかできる事はない。



「知らない世界の神様で…もう1人私がいて、そいつと元々一つの存在で……元に戻らなきゃいけないとしたら……」



彼女はぎゅっと拳を握って、肩を震わせた。


「……元に戻るってのは?」



「そいつと一つに成るんだ。それでもといた場所に帰らないといけない……」



「待てって……元いた場所ってどこだよ」





「……っ違う……世界だ……」




「だからそれはどこなんだよ」


ユーリはイラ立ちを隠さずに声を荒げた。
曖昧に返事を濁すラナに、腹を立てずにいられなかった。



「テルカ・リュミレースじゃないとこだよ!」



ラナは怒鳴った。
悔しさや、申し訳なさ、いろんな気持ちがごちゃごゃになって、ともすればクライヴの顔がよぎり………
彼女自身も、今はまさに限界状態。


多くの出来事がいっぺんに起こりすぎたのだ、2人とも。

それは2人に関係のあることで、無視できることではなくて、心の中が引っ掻き回されて散らかっていく。



「それで、お前はどうすんだよ……なあ!」


ユーリは彼女の肩をつかんで、無理やりこちらを向かせた。
ザウデで悠々と空に舞い上がった彼女を見たら、それが嘘でない事くらいわかる。


「……帰るんだよ!!もうイザナミに身体を返した!」


ラナは目にはいっぱいの涙を浮かべて、こちらを睨む。
その暗緑色の瞳が月明かりに照らされて、どうしてか金色に光った。

帰る、だなんておかしな話だ。



「………ふざけんじゃねえぞ」


怒りに震えるユーリの声。
そして彼の口からは、責める言葉が続いた。




「お前……っ…残されるやつの気持ち考えたことあんのかよ!?」




いつもそうだ。
いつもそうなのだ。

ラナは何も言わずに1人で決めて、1人で出て行く。


「勝手になんでも決めて、抱え込んで!お前はいつまでそうやって生きてくつもりだよ…!」


ユーリだってラナの気持ちを裏切って、人を殺した。
けれど、だからこそ、何度も何度も裏切る彼女が許せなかった。



「散々好き勝手やって、今度はこの世界をでていく!?わけわかんねえやつに身体をやった!?ふざけんな!ふざけんなよ!」



ユーリがどう思うのか、ラナはわかっていた筈だった。
わかっていると思っていた。
その上で選択したはずだった。

けれど、彼からの言葉で、改めてどんな気持ちになってしまうのか気付かされた。


誰を守るためでも、何を守るためでも、ユーリは絶対に認めるわけはないのだ。

逆の立場だったら、きっと自分も同じことを言ったに違いない。



「石を抑えるには、イザナミに身体を返すしかなかった。元に戻ると約束したんだ……」



「勝手に約束したんだろうが!」



「本来なら私の意識が消えるはずだったんだ!けどまだ私はここにいる……必ず賢者の石を退けて、星喰みだって何とかする。ユーリや下町のみんなが笑って暮らせるように」




「………お前は?居ねえのに?それで俺に笑って暮らせってのかよ」


涙声で言ったユーリは、そのまま崩れるように座りこんだ。



「すまない…」



謝罪の言葉に、何の意味があると言うのだろうか。

そんな言葉は、自分が納得したいだけのものでしかない。
ユーリの気持ちは、どうしようもない空疎な感情で埋め尽くされてしまっているのだから。


だが、頭を抱えてうずくまったところで、状況は動きはしない。



「認めらんねえわ……頼むから……」

消え入りそうなユーリの声。
頼むからいなくなるな、と。


「もう…決めたんだ…私は、人じゃない……」


「人間じゃなかったとしても、人間として生きてきた……俺やフレンと……お前自身はどう思ってんだよ……」


ラナは、ぐっと黙り込み俯いた。
自分がどう思っているか、それはきっと大事なことだ。
けれど、賢者の石によって世界が滅ぼされ、大切な人が死ぬかもしれないのに、自分は何もせず待っていることはできない。



「この肩の傷……」


彼女は上着を脱いで、ユーリに傷口を見せた。

「なんだよ……これ……」

そこにあったのは、禍々しい光を帯びながら、突かれたように穴の空いた傷口だった。
周りの皮膚もどす黒く変色し始めている。
あまりの痛々しさと悍ましさに、彼は目を疑った。


「ザウデで賢者の石にやられた。治癒術でも神の力でも治らない。この肉体はいずれ朽ちる」


淡々と、ラナは言った。
その物言いは、諦めたような色で、どうしたってユーリが入る余地なんてないように思えた。


「それであきらめたのかよ?」

「違うな…もう一度目を覚まして意識を奪い返すと決めたとき、もう覚悟はできてた」

「……何を言っても、変えねえんだな」

「変えられないんだ……もう……」

「悪りぃけど、誰も賛成なんかしねえぞ……お前それ、ハンクスじいさんたちに言えんのかよ……」


「……………」



言えるはずなどない。
そんなことはわかっていた。
けれどそれではいけないこともわかっていた。


煌びやかな満月の夜の筈なのに、2人を包む空気は暗く淀んで、影を落とした。








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