お姫様のいない世界
画面の向こうで
ぽたり、ぽたり、
頬を朝露のように冷たい水滴が伝った。
意識もはっきりしないまま、薄目を開けてみる。
チュン、チュン、チュン
どうやらここは外らしい。
眩しいけど抜けるような青い空が見えたし、水滴の正体は眼前にある椿が犯人だろう。
牡丹かな?
花の名前はあまり知らない。
けどそんな感じの花の葉っぱから、不規則に水滴が落ちてきていた。
で、払いのけ起き上がってみる。
大量の花、上品に植えられた木。よこぎる小川のような用水路?
白いタイルが美しい噴水。
これは誰の家の庭なんだ?
どこの伯爵様?見上げれば高い高い石造りの城が、上までどっしりと建っていた。
どうやらここはそんな城の中庭、いや、庭園、らしい。
なにかのテーマパークか、はたまた本当にヨーロッパ大富豪の道楽か。
「エステリーゼ様!!こんなところにいらしたのですね!探しましたよ!」
もうそれは怒鳴り声だった。
静かで爽やかな目覚め、だったにも関わらず、その怒声で一気に覚醒してしまい、嫌な気持ちになった。
その声の主はへんてこりんなコスプレ。それこそそう、テーマパークのなんかで出てきそう、映画とか。中世ヨーロッパ、みたいな感じ。
「なんと!ここで寝ておいででしたか!いけませんよ、皇帝候補たるものそのような粗暴な振る舞いをしてはいけません」
「……誰や」
私はそう返した。不審者を見る目で。
「寝ぼけていらっしゃる……お前たち、姫様をお部屋に」
男はパチンと指をならして指示をする。
まだ意識に靄がかかっていた私は、大人しくメイドさんみたいな人たちについて行った。
中はマジで城だった。
セットにしては、細部まで作り込まれて大掛かりだし、よっぽどの金持ちだわ。未知の世界。
ヨーロッパ旅行でお城見学に行ったとき知ったが、お城ってのは寒いらしい。
そのため石造りの壁にタペストリーをかけまくり、床には絨毯を敷き詰めて保温するんだそうな。
ここも例外ではないようで、連れられて入った部屋はふかふかの絨毯に、壁にはタペストリーがかけられていた。
それ以上に目を引いたのは、ザ・女の子な雰囲気の白を基調とした家具の数々だった。
メルヘンの名が付けられて販売されてそう。クローゼット、本棚、テーブル、ソファーに至るまで。そしてベッドは天蓋付き。
先ほどの勢いだと、これからお説教でも始まるのかと思いきや、では、とか言われて扉を閉められた。
鍵をかけられたわけではないけれど。
「……どーなっとん!」
ちょっとイライラしながら窓の外をみた。
やっぱり空は綺麗で、気持ちいい。
気分的に窓を開けたくなって歩みを進め、私はさらに驚いた。
窓の外、はるか下の方まで街並みが続いていて、おまけにそれはやっぱりヨーロッパの街並みっぽくて、けどどこか違う規則的な並びをしている。
いよいよここはどこだ、と両頬を押さえて部屋に振り返ったら、鏡台の大きな鏡にピンク色の何かが写った気がした。
「…………」
なんでも確かめるしかなくなって、私は部屋を見回しまくるのだが、私以外誰もいないようだ。
おそるおそる鏡に近づいてみる。
そこに写ったのは見慣れた自分の姿ではなく、桃色のショートヘアに緑のクリクリした目。
整った顔立ちで"かわいらしい"感じの女の子だった。
「ファッ!??!?」
ひっくりかえった様な声を上げて、私は鏡に手を延ばした。
間違いなく鏡。
信じられないので、鏡台の引き出しを開けまくり手鏡を探してみる。
そして微妙に震えながら、その手鏡を覗き込む。
けれどそこには自分の顔はない。
「ど、ど、ど、どーなった!?」
そしてクローゼット前の姿見をみようと振り返ったとき、裾を踏んづけてころんだ。
そこで初めて、自分が立派なドレスを着ている事に気が付いた。
淡いピンク色のドレスで、仮にドレスを着るとしても多分選ばない。
ほふく前進に近い形で姿見の前まで行くと、立ち上がって改めて全身をみる。
桃色の髪だし、ピンク色のドレスはパニエがしっかりしたやつで、裾が立派に広がっていた。
そしてわりかし大きかった私の胸は、ちいパイになっていた。
その代わり人よりややゴツかった手が、女の子の細い華奢な手になっていた。
手袋ちっさ!
じぃっと鏡の向こうの人を見つめてみる。
桃色のショートヘアに緑の目。
そして気が付いてはいけない事に気が付いてしまった。
「エステルやわ、これ」
間違いない、間違いないのだ。
鏡に写るのはエステリーゼその人で……
「クオリティ高いコスプレ?」
だと思った。
それでもいいけど、ちいパイと華奢な手はどう説明するのか。
そもそも私はこんな顔じゃない。
どっちかっていうと猫顔。
もしエステルなら、外には見張りの騎士が居るだろう。
ちょっと確認してみよう。
私は勢いよく扉を開けた。
びくっと騎士は体を震わせて、どうされましたか?と聞いてきた。
あれ、この声フレンじゃね?まもちゃんがコスプレしてるのかしら。
「フレン・シーフォ」
私は名前を呼んでみた。
「お、覚えて頂いているとは光栄です!」
と彼は兜を脱いで胸に手を当てる敬礼を………
した。
フレンだ。
金髪碧眼。イケメン。フレンだ。
実写的要素でいくとこういう西洋イケメンなのか。
「………ユーリ」
「はい?」
「ユーリ・ローウェル連れてこい!!」
そう言った私の顔は凄んでいたかもしれない。
「な、なぜユーリを知っているのですか!?」
フレンは慌てた様子で言った。
当たり前だ。
彼が見張りの騎士レベルの段階で、エステルがユーリを知っているワケがないのが、お話の流れだ。
というかこれはヴェスペリア好きの私に対する壮大なドッキリ?
だどしたら誰が?
私はしがない会社員ですが。
「………ここは帝都ザーフィアスですか?」
「…え、あ、はい……エステリーゼ様、ご気分が悪いのですか?医師を呼びましょうか?」
フレンは子犬の様な顔でこちらを心配する。
たまらん。
けど私はユーリ派なんで、遠慮します。
「……いえ、少し休みます」
けれど私はもう扉を閉めていた。
姫様ご乱心、とか思われてるかもしれない。
というか、思われてるだろう、絶対に。
なぜエステルなのか。
どうせならジュディスがよかった。
いや、こういう場合、大抵モブになってしまってテンション下がるところを、まさかのヒロイン、まさかの帝国ナンバー2の権力者。
よし、まずはヨーデルから実権を奪い、皇帝に君臨しよう。
「………なんてね」
とりあえずこれが夢でないなら、富と権力を手にしたわけだ。
ユーリはニートだけど、私はお金持ってる、というか世界持ってるからかまわない。
お膳立てされてるなら冒険にでかけようじゃないの。
あとどの位たてば、フレン暗殺騒ぎと水道魔導器盗まれた騒ぎが起こるんだろうか。
もうすでにフレンとエステルは仲良しなんだろうか。
というかお話の中で、ユーリに全くエステル相手にされてないけど、いいのか?どうなの?やっぱジュディスのがよかった……
「……って、あほか私は!!」
画面の向こうに行けるワケなかろうが。
ヒロイン乗っとれるワケがなかろうが。
ゲームシナリオクリアで無限ループとかあり得るし。
お花畑か?私は。
冷静になってみると、こんなに怖い状況はない。
ここが本当にテルカ・リュミレースなら、一体どれだけの人が今の私をうらやむ事だろうか。
「あたまこんがらがってきた。ていうかドレス脱ぎたい……」
私はクローゼットを開けた。
ゲーム本編の衣装もあったがそれは無視して、ゆるいラインのドレスを見つけたのでそれを引っ張り出してみた。
イブニングドレスっぽいかんじだ。
さあお召し替えだ!と意気込んで着ているドレスを脱ごうとしたが、
「………無理」
脱ぎ方はわからないが恐らく背中。
ゲームの本編のときどーやって脱いだのさ。
私は再び扉を開けた。
「どうされました?」
またもや優しく迎えてくれたフレン。
「ちょっといいですか?」
「はい」
「中へ入ってください」
「それはできません、あくまでこの扉の外で見張るために居ますので」
フレン。めんどくさー!!!
「じゃあここでいいので、この背中の紐を外してください」
くるりと背中を向けて見たが、フレンはあっさりと、お召し替えですね、メイドを呼びますと返してきた。
メイドとかメンドくさい。まじで今ちょっと緩めてくれたら脱げるから。
「いいから緩めなさい」
ちょっとキツく言ってみた。
「いけませんよ、エステリーゼ様。私は見張りですので、そのようなこと…」
「いいから早く」
だめだめやっぱ私はユーリ派だわ。
フレンはしぶしぶでも、というかわがままな姫様の言うことは気軽に聞いてくれないようだ。
とりあえず私は、もう一度扉を閉めた。
そして天蓋付きのふかふかベッドに腰を下ろしてみる。
元来私は引きこもりが好きなインドアだけど、こんなところに閉じ込められて、友達もいない、携帯ない、ゲームない。
無理だ、と思った。
絶対無理。
冒険スタートまであと何ヶ月あるのか知らないけど、耐えられるか心配。
というか、もしユーリと出会えない場合はどうなるのだろう。
もちろんユーリは水道魔導器の魔核探しに旅立つんだろうけど、エステル無しだとハルル行かない、リタに会わない、イコール世界を救わない。
ってことはつまり、フレン大活躍フラグもしくは世界滅亡フラグなんじゃないだろうか。
それよりなにより、ユーリと冒険したい。
まずやるべき事は、フレンと仲良くなる、地下牢収容者をチェックする。
とか思案していたら、今度はコンコンコンと扉をノックされた。
フレンのやつ、外してくれる気になったのかな?
「……どうぞ」
「姫様、お召し替えと伺いましたので」
入ってきたのはメイドさん?というか、衣装担当みたいな人っぽいな。
その瞬間、私はすごくいい事を思いついてしまった。
「新しい服が欲しいんですけどいいですか?」
メイドさんはそれはもう嬉しそうに頷いた。