世界が変わるその前に | ナノ


世界が変わるその前に






いつもと変わらないカフェのBGMは蘭丸の好きなジャズの曲が流れる。出てくるコーヒーも変わらず少し濃い目であるが、いつもより熱くなっており雪の降りしきる寒い日の身体に沁みていく。
眼前の何年も見慣れた男に茶封筒を差し出すと、中身を確認した男は優しく微笑んでくれた。

「これで……全部終わったね」
「はい。今までありがとうございました」

頭を垂れると「顔を上げて」と言う男の声にも蘭丸は上げる事無く、深く深く頭を下げたままだ。今日と言うこの日を蘭丸は絶対に忘れる事はないだろう。やっと一つの荷が降りたのだ。

「本当によく頑張ったね。きっと辛い事もたくさんあっただろうに……でも本当に今日で終わりだね」
「はい……あいつのおかげでもあります」
「あいつ?」

蘭丸の一言に目の前の男は首を傾げるが、蘭丸は答えなかった。だが空気で察したのか席を立ち「お幸せにね」と一言だけ残し去って行った。
喫茶店のドアのベルがちりんと音を立て、蘭丸はようやく顔を上げる。思わずふうと安堵のため息を吐き、硬い椅子に背を預ける。
今日やっと借金の返済が終わったのだ。黒崎家が残した莫大な借金は傍から見れば返せるものではないと言われていたが、蘭丸は身を粉にして働き、ついに全てを返し終えた。
本当に全てが終わった安心感と共に脳裏に浮かぶのはたった一人の顔。蘭丸の恋人でもありパートナーでもある七海春歌の顔だ。自分を信じ幸せにしてくれた小さな少女だった彼女とも付き合い始めて数年になっていた。ほんの少し伸ばした髪とまだあどけなさが残るが可愛らしかった彼女は美しくなっていき蘭丸の心を掴んで離さない。
色々苦労も掛け彼女の方が辛い事が多かったかもしれないが、いつも優しく微笑み「大丈夫です」と自分の事よりも蘭丸を先に心配してくれる。愛しい彼女を想うだけで胸に暖かい物が溢れ出てくる。
この想いは本物だ。
初めて人を信じ愛したのが彼女で良かったと思いながら、蘭丸はコーヒーを口に付け一つの想いを巡らせる。

(これで、あいつと結婚できる)

彼女と付き合い始めてからずっとしたかった事だ。一時的と決めていた同居だったが、一度一緒に住んでしまえば離れ難くなってしまい未だに一緒に暮らしている。当然事務所にばれてしまったが、社長であるシャイニング早乙女の条件をクリアし、交際も世間には内緒だが許して貰ってはいた。結婚の許しを貰えるかどうかは分からないが、それでも借金を返したらすぐにプロポーズしようと決めていたのだ。
借金を返済したと伝えたら何と言うのだろうか、笑って祝福してくれるに違いない。想像しただけで幸せな笑顔を見せる彼女を早く見たくて、パンツのポケットに入れたスマートフォンを取りだし、メールを打とうとするがメール作成画面で蘭丸の手がぴたりと止まる。

(プロポーズするなら指輪、用意しねえと)

何の準備もしていなくいきなりプロポーズするのは早すぎるとスマートフォンをしまい、コーヒーを再び口に付ける。
どうせなら自分がデザインした物をあげたい。世界でたった一つ、あいつの為だけにデザインした指輪をあげて自分だけのモノにしたい。苦労かけた分、その倍以上幸せにしてやりたい。彼女を一生掛けて守り大事にする。そう想いながら熱いコーヒーを一気に流し込み、カフェを後にした。













外は未だ雪が降り続けている。薄く積もった地面に注意を払いながら足を進めていく。この後、TV局で収録がありいつもならタクシーに乗るのだが、今日は何だか歩きたい気分だった。借金を返済して浮かれている気分になっているのも事実だが歩きながらゆっくりと考えたかったのだ。
脳内で春歌に送る指輪を想像する。あいつの喜デザインしてやらないと、一体どういうのが喜ぶだろうか。形や装飾など色々想像するが全く決まらない。街中にあるジュエリーショップを眺めてみたりもするが、どうにもしっくり来ない。いつもなら音楽をモチーフにした物で自然とデザインが浮かんでくるが想像で形を成さない。
それならば書けば想い浮かぶだろうと思い無事にTV局に着き、通された楽屋にあった紙とペンを持ち書こうとするが何も浮かばず外で降りしきる雪のように真っ白なままだ。

「はぁ……」
「はぁい。モーニン、ランラン!」

突如開かれた扉から聞こえた声に蘭丸は別の意味でため息を吐きたくなった。振り向かなくても分かる声は同僚である寿嶺二であり、うるさい男が来たと思いながら、適当に返事をして再び意識を紙へと戻した。

「あっれ〜ランラン、冷たーい……って紙なんか見つめてどうしたの?」
「うっせ……アクセのデザインしてんだよ」
「そっか。ランラン、デザインもしてるんだよね。今度は何作ってるの? もしかして後輩ちゃんへのゆ・び・わ?」
「……っ」

嶺二の言葉に思わずペンを落としてしまう。返事をしなくとも、これでは肯定しているのも同じである。察しの良い嶺二は気付いたのかチョコレート色の瞳を丸くしていた。

「わーお、本当にそうなんだ……で、なかなかデザインが決まらなくて迷ってるって所……かな」

普段おちゃらけている癖に、こういう時の嶺二は誰よりも早く人の気持ちを察する事が出来る。図星の答えに蘭丸は諦め「そうだ」と一言だけ呟き、頭をがしがしと掻く。

「後輩ちゃんだからね〜。蘭丸さんがくれるならなんだって嬉しいです! って言いそうだもんね〜」
「……だから悩んでんだよ」
「うーん、じゃぁお兄さんからアドバイス! 後輩ちゃんが喜ぶ……じゃなくて、ランランが後輩ちゃんに付けさせたいのにしてみたら?」
「……あいつの好みじゃなかったら?」
「だから言ったでしょ。ランランがくれるのなら何だって喜びそうだって。それに自分の奥さんになってくれる人のだよ。自分のものだって象徴したっていいんじゃない」
 
やけに真剣な瞳で見つめてきたと思ったが、すぐに「結婚式には呼んでね〜。じゃぁバイバーイ」とふざけた口調になり楽屋を後にした。一体何をしに来たのかは不明だが、あいつの考えている事はよく分からねえと考える事を止め再び紙に意識を移す。

(あいつに付けさせたいもの……)
 
小さく細い薬指の根元に光らせる指輪を想像すると、その形はすぐに出て来た。紙にペンを走らせ出来た指輪を見て、蘭丸は自分で眉間に皺を寄せた。
自分らしくない、だが自分の想いが詰まった指輪だ。春歌がこれを付ける姿を想像するだけで幸せになる。小さいながらも自分のモノだとおれの奥さんだと象徴する指輪は他に考え付かなかった。
デザイン画を握りしめ電話を掛ける。相手は自分がデザインをしているアクセサリー会社の担当だ。話はすぐ済み、後日会う事になり電話を切ると同時にスタッフに呼ばれ、蘭丸は楽屋を後にした。デザイン画は大切そうにポケットにしまいこんで。
















数ヵ月後、収録を終えた蘭丸の手の中には青いベロア生地の箱が握りしめられていた。
箱を開けると小さく美しい光沢を放つリングを見て蘭丸は満足そうに微笑んだ。デザインした指輪は何の変哲もないシルバーリング。装飾もない、小さな宝石すら光らないただの指輪だ。だが春歌に自分が一番あげたい指輪はこれしかなかった。
後は渡すシチュエーションだが既に決めている。二人が一緒に住んでいるアパートで渡す事にしていた。自分の原点である場所で彼女が住んでくれて天国になったあの部屋で。

(こんな所であげるなんてと怒るかもしれないが、最初で最後のプロポーズだから我が儘でもいいだろう)

春歌には言いたい事があると収録前にメールを送っておいた。
自分を変えてくれた彼女を今度はおれが変えたい。おれと一緒になって幸せになってほしい。幸せな未来を想像しながら、パンツのポケットに箱を捻じ込み自宅へと足を進めて行った。
早く彼女に会いたい。頬に冷たい風が刺さるが、蘭丸の心は暖かいままだった。










以前書いた「その日、世界が変わった」のプロポーズ前の話です。
ラヴコレで無料配布したものを少しだけ加筆修正しました。
プロポーズ前・プロポーズ書いたので次は結婚後ですかね。結婚式は上手く書けそうにない…。



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