その日、世界が変わった | ナノ


その日、世界が変わった



送信者:黒崎蘭丸
件名:無題
本文:今日は早く帰る。あとお前に言いたい事がある。

件名も無い用件のみのメールは付き合う前から変わらない。
同居を始めてから数年目の冬。 本当なら一時的な同居だったが一度一緒に住んでしまえば離れ難くなり、春歌が成人を迎えても同居が解消される事は無く住み始めてから変わらないアパートで二人きりで生活をしている。
食事を貰いに来た子猫も立派な大人になり、春歌も未だ幼さが残るものの大人の女性へと美しく成長をしていた。
猫に食事を与えていた時に受信したメール内容で春歌は蘭丸に何かあったのか想定は出来た。 「言いたい事がある」と蘭丸が言いたい時はライブが成功したとか、ずっと欲しかったベースが購入出来たとか、必ず良い事があるときには必ずこうしてメールなり電話なりで伝えてくれているのが長年の付き合いで理解出来た事であり、何があったのだろうと想像するのも楽しいが良い事があったのならお祝いはしなくては、と思い今夜のメニューを考える。
そういえば美味しいお肉が入荷していると近所の商店街のおじさんが言っていたと思い出し、猫の柔らかな毛並みを優しく撫でると、部屋の隅に掛けてある雪の様に白いコートを手に取り、春歌は部屋を出て行った。
















「ただいま」
「おかえりなさい」

メール通りいつもより少し早い時間の帰宅。 数年で少し慣れた「ただいま」「おかえりなさい」の言葉だが、やはり何処かくすぐったく感じる。
四匹の猫がにゃーと主人の帰宅を歓迎し、蘭丸が一匹ずつ猫の頭を優しく撫でると満足した猫は部屋の隅で丸まって睡眠を始めた。
脱いだコートを預かり部屋のハンガーへと掛けると、テーブルを見ながら椅子に腰掛けた蘭丸が「美味そうだな」と一言呟く。
悩みに悩んだ末、今日はすき焼きにした。 寒かったと言う事と何か良い事があったのでお祝いと言う意味ではベタな選択かなと思っていたが蘭丸の反応を見る限り正解だったと春歌は安心する。
冷蔵庫から買っておいた蘭丸へのビールと珍しく春歌も飲もうとアルコール度数の低いカクテルをテーブルの上に置く。 テーブルも付き合い始めた当時から変わらない小さめのテーブル。 座る位置も変わらず向かい合わせの席。
二人で缶のプルタブを開け乾杯と控えめに言って、蘭丸は一気にアルコールを喉に流し込み、春歌は慣れないお酒に少し口付けた。





「借金だけどよ…返済し終わった」
「え…本当ですか!?」

蘭丸の二回目のお代わりを入れている最中に突如言われた言葉に春歌は驚きを隠せず声を上げる。
黒崎財閥が没落した後に蘭丸は一人で借金を返済し続けており、春歌も少しでも手伝いできればと言った事もあったが「自分の家の問題だから自分で片付ける」と言って、春歌からの好意は受け取っていなかった。
春歌にとって借金がどの位あるのか検討も付かない。 平々凡々で育ってきた春歌にとっては想像もつかない程の金額である事は確かであり、大変な金額や想いを一人で背負ってきた蘭丸の一つの肩の荷が下りたのだと思うと嬉しくなってしまい、器に自分の分の肉を入れようと箸を動かす手が早くなっていく。
蘭丸は春歌のその動作を見つめながら、缶ビールを一口啜った。

「そろそろ結婚すっか」

箸で取った大きめの肉を落としてしまう。 蘭丸の言っている言葉の意味が理解出来ず、まるで凍ってしまったかの様に動けなくなる。
そんな春歌を後目に蘭丸は春歌が手に持っていた器を取り食事を再び始める。 すき焼きの湯気と蘭丸が食事をする音、動き以外は全てとが止まってしまったかのようだった。

「じ…冗談、ですよね? 」
「冗談じゃねぇ」
「よ、酔ってるんですか?」
「酔ってねぇ」
「でも…」

春歌の言葉に面倒臭くなったのか持っていた箸と器をテーブルに置き、後頭部をガシガシと掻き出したかと思えば、パンツのポケットに手を突っ込み何かを取りだし春歌の器が置いてある横に包み込むように置く。

「おら」

テーブルに乗せられたのは、ベロア生地で出来た青い立方体の箱。
テレビで見た事があるその箱の中身はある程度想像は出来たが、それでも信じられない気持の方が強くて手が震えてしまう。
箱を手に取り切れ目の部分に手を掛け、ゆっくりと蓋を開けるとそこにはシンプルなシルバーリングが光っていた。
部屋の灯りを受けて輝く光が春歌の瞳を刺激する。 小さなリングに映る自分の顔を見て、泣いていると春歌は気付いたのだった。

嬉しかった。 ただそれだけだった。
春歌も女の子だ。 ドラマでたくさん見たロマンチックなプロポーズに憧れもしたし、自分ならこうされたいと想像した事もある。
だけど本当はシチュエーションなんてどうでもよく、本当に心から愛した人からであれば小さなワンルームの食卓を囲んでいる時に言われても涙が溢れる位嬉しかった。

「手、出せ」

言葉で答えられない春歌の代わりに、意思を示せと言わんばかりの口調と視線だった。 春歌がその視線に戸惑いはしたが、その手は迷うことなく左手を差し出した。
大きな手がまるで壊れ物を扱うかのように優しく触れ、部屋の灯りでキラキラと輝く指輪を春歌の薬指にゆっくりと差しいれる。
付け根まで入ったぴったりの指輪を見て満足そうに微笑んだ蘭丸につられ、春歌も柔らかな笑みを浮かべた。

「…あ!!」
「ど、どうした?」
「わたし…蘭丸さんに何も用意していないです。 どっ、どどどうしましょう」
「別にやるって約束した訳じゃないから、いらねえよ」
「でも……あ、それじゃあ」

春歌は自分よりも大きな左手を掴み、長い薬指にチュッと軽いキスをする。 突然の春歌の行動に驚いたのか身体をぴくっと震わせた蘭丸に構う事無く、大きな掌を自分の頬に添え包み込むように優しく両手を重ねる。

「今まで背中に色々背負いこんで、わたしも両手で支えてくれて本当にありがとうございました。 だけどこれからはわたしにも蘭丸さんの片手でもいいので支えさせてください。 少しでも蘭丸さんの支えになって、一生一緒に生きていきたいです」

春歌の重ねた両手がじんわりと熱を持つ。
それは春歌自身の熱と春歌の言葉に頬を真っ赤に染めている蘭丸の熱が混ざり合っているのは互いの体温以上に熱くなっているせいで分かっていた。 手から溢れ出んばかりの熱に身体中が熱くなるが、春歌は手を離す事はなく蘭丸も手を振り払おうとはしない。

「お前…すっげえ殺し文句言ってくるよな」
「そ、そうですか?」
「ああ。 本当に…可愛くて仕方ねえ」

重ねた手は離さず、椅子からゆっくりと立ち上がり蘭丸は春歌に唇を寄せた。
いつもするような大人のキスではなく、まるで誓い合うような触れ合うだけのキス。 アルコールの混ざった互いの唇は苦いはずなのに、その時だけは酷く甘く感じるものだった。

「これからよろしくな。 奥さん」
「はい。 旦那さま」

唇が離れ柔らかく微笑み合う。 グツグツと煮込みすぎたすき焼きを見て「食うか」と蘭丸の一言で食事を再開し始めた。
隅から聞こえる猫の寝息。 少し豪華な食事。 何時もと変わらない日常の光景。
だが春歌の左薬指に光る銀色の指輪が二人の世界を変えていった。







蘭春早く結婚しないかなと考えていたら、出来たプロポーズ妄想。
よし、次は子供妄想だ。



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