その感情の名前をおれはまだ知らない。 | ナノ


その感情の名前をおれはまだ知らない


慣れと言うものは恐ろしいものだ。
黒崎蘭丸は今身をもってそれを体験していた。
七海春歌――大嫌いな女のはずなのに、パートナーを組まされる様になってから一緒にいる時間が増え始めた。
初めは会うのも嫌だった、部屋に何か絶対に入れない、女の曲なんか絶対に歌わない。 そう思っていたはずなのに、会いたくなる、部屋に入れる様になった、こいつの曲なら歌ってもいいとまで思えている。
それは春歌に類まれなる作曲の才能があり、只の女々しいだけの女だと思っていたら根性もある、少なくとも作曲家としては認めていると言う事だ、と思っていた。
今日も蘭丸の自室でソファに隣り合う様に腰掛け、歌謡祭に向けて作曲をしている。
春歌と会った時に蘭丸は気弱そうで言う事を何でも聞くような女だと思っていたが、作曲に関しては蘭丸に負けず劣らずの意地を見せる事もあり、言い合いになる事も少なくなかったが、今日は比較的穏やかな光景だ。
互いに理解し始め、相手の要求や出したい音などが分かり始めているからなのかもしれない。 だが互いにその事には気付いておらず、音楽バカとまで言われている二人は今日も一心不乱に作曲を始めている。
蘭丸が机の上に置いてある楽譜に視線を移すと、蘭丸よりも小さい春歌の頭まで自然と視線に入ってしまう。
目についたのは春歌の前髪に小さいゴミみたいなものが付いている。 見てしまった以上無視は出来ないし春歌は女だ。 見た目にだって気を使いたい年頃だろうと蘭丸は頭の片隅でぼうっとそう思っていた。

「おい、前髪にゴミ付いてんぞ」
「えっ、す、すみません…。 取れましたか?」

前髪を手で払い取ろうとするが、ゴミは春歌が想像しているより小さく髪に絡みつくようにくっ付いている様だった。
蘭丸が首を横に振り、何度手で払い除けようとしても取れる気配は全くない。

「しょうがねぇな、取ってやるよ。 こっち向け」
「うぅ…すみません…」

蘭丸と春歌は身体を向かい合わせにし、蘭丸は春歌の前髪に付いたゴミを取ろうと手を伸ばすが、春歌の零れ落ちそうな程の大きな瞳でジッと見つめられ手を止めてしまう。
別に疾しい事をしようとしている訳ではないのだが、見つめられていると何だか気恥かしいものがあり、春歌の目の前に翳した手を動かす事が出来ない。

「先輩?」
「目、潰れ」
「え…あ、はい」

蘭丸に言われた通りに目を瞑り、蘭丸に顔を突き出す。 春歌の視線を感じなくなった蘭丸は前髪に絡みつく様に付いていたゴミを取る。小さな紙屑の様なそれは蘭丸には何だか分からなかったが、特に気にする事もなく取ったゴミを近くにあったゴミ箱の淵へ指を擦りつける様にして取った。
春歌は蘭丸の行動が終わった事に気づいていないのか目を閉じたままだ。
目を閉じて、顔を突き出したその姿はまるでキスをせがんでいる様にも見える。目的は終わったのだから、春歌に目を開けさせる様に言えば良いのに蘭丸は春歌をジッと見つめたままだ。
それどころか春歌の額にそっと指を這わし、前髪を撫で上げると蘭丸と違う柔らかな透き通りのいい髪が指を擽る。

「せ、先輩?」
「…ゴミが絡まってんだよ。 お前はおれが良いって言うまで目開けんな」
「はい、分かりました」

蘭丸の言葉に疑う事なく春歌は口を動かした以外は全く動こうとしない。
―――無防備。
蘭丸の脳内に浮かんだ言葉。 弱肉強食のこの世界でこんな人を疑う事を知らない女が生きていけるのか、と柄にもなく心配してしまう。
指は次第に下がり、春歌の頬に触れる。 触れた頬は柔らかく蘭丸とは全く違う感触。
春歌は思わず触れた個所に驚いたのか小さな声を上げ、頬が赤く染まっている。
それでも春歌は目を開けない。
それならばと頬に手のひらを合わせる。 明らかにゴミを取ると言う目的とは違う行動にも関わらず、それでも春歌は目を開けない。

(何で開けないんだよ)

自分が良いというまで開けるなと言ったが、ここまで開けないなんてバカな女だ。
蘭丸は自分が命令したはずの行動なのに段々苛立ちを抑えられず、春歌の両頬に親指と人差し指しを添え、指に力を込めた。

「いひゃい!! いひゃいでふ、ふぇんふぁい…」
「バーカ、お前が素直に言う事聞いてるのが悪い」

流石に目を開けた春歌を見て、蘭丸は手を離す。
痛かったのだろう、蘭丸が摘まんでいた頬の部分を円を描くようにゆっくりと擦り始め、蘭丸は面白い顔が見れたとクツクツと笑い始めてしまう。

「ったくお前、本当に素直に言う事聞くんだな。 少しは疑え」
「…疑わないです」
「は?」
「先輩の事信じてますから、疑いません」

抓られたせいなのか頬を赤く染め、蘭丸を見つめ柔らかく微笑む春歌に蘭丸は息を飲んだ。

「じゃあ、もし俺が…あのまま何をしてもお前は目、閉じてたのか?」
「他の人だったら、そもそも目ずっと閉じません。 先輩だから…するんです」

そう言う春歌に蘭丸は心の中がまるで風が吹いた様にざわつき始める。 心臓の奥がギュッと締め付けられる様で痛みすら覚える。

「…お前、今日は帰れ」
「え? でもまだ…」
「いいから帰れ!!」

部屋中に蘭丸の怒声が響く。 驚いた春歌は身体を震わせ、自身の持ってきた楽譜やらペンを鞄につめて、「すみません」とだけ言い、部屋を後にした。
部屋に一人残った蘭丸は、ソファに横になる。

(何なんだよ、クソッ…)

蘭丸に取って感じた事のない感情だ。
心臓の鼓動が静まれと願いながら、左胸をギュッと締め付ける様に握り締める。
蘭丸は認めたくないのだ、この感情の意味を。

(何であいつの事…………抱きしめたいなんて思っちまったんだ)

そんなバカな事を考えるなんてらしくなさすぎる。
こんな自分は自分じゃない、何も考えたくない。
そう思いながらソファに残された春歌の香りに蘭丸は身を預ける様に目を閉じたのであった。








蘭丸が目閉じろって言って素直に目を閉じる春歌に悶々してたら可愛いとツイッターで呟いた妄想。
両想いだけど、まだ気持ちに気づいていない位のもどかしい感じが好きです。
ただ実際に書いたら中学生みたいだな。



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