ドラウニング・イン・ユーその1 | ナノ



サンプル1(冒頭)

 月が嫉妬する程に闇夜を照らす灯りの中、ランマルはそこにいた。仮面越しに見つめる世界は美しい装飾品、着飾った貴族たち、そして肉眼では確認できない黒い腹の内しかない。何度見てもランマルはこの世界が苦手だ。建前は着飾り、内心では別の思惑を持つ心と身体がバラバラになってしまいそうなこの世界は幼い頃から慣れない。この世界を後にした今となっても、その想いは変わる事はない。自らも似合わない派手に着飾った服を着用していてもホールの中心で心無く踊る貴族たちのようになれないと、距離を置くように壁へと寄りかかった。
「あっれー? 何か顔が暗いぞー。ほらぁ、笑って笑って」
「……向こう行け」
 仮面越しでも分かるとびきりの笑顔を見せて来た男にランマルは顎で別の所へ移動しろと促す。だが目の前の男は引くつもりなど更々なくランマルの瞳をじいと見つめてくる。ランマルは何もかも見透かしているかのようなこの瞳が好きではなかった。その癖、自分の本性は微塵たりとも見せない。その男、レイジーにどうしようもない苛立ちを覚え大きな掌で顔面ごと押しのけば「うわぁ」と間抜けな声が聞こえただけだった。
「ぶー、酷いなぁ。伯爵様に向かってその態度はないんじゃない?」
「次期、伯爵だろ。まだ子爵のくせに」
「くせに、ってドイヒー。まぁ元侯爵様に言われれば、そりゃ地位は低いですけどー」
 唇を尖らせながらレイジーもランマル同様に壁へともたれかかった。隣で聞いてもいないのに所構わず話続ける男が伯爵家の嫡男だとはランマルは未だに信じられない。自らが侯爵家の息子だった頃から。
 本来ランマルはここにいてはいけない人物だ。侯爵家の地位を保っていたのも過去の話。当の昔に生家であるクロサキ家は没落し、今のランマルはただの一庶民だ。そんなランマルがここマスカレイドにいる理由は隣で含みを持たせた笑みを視線の先の女性に向けているレイジーのせいだ。
 ランマルがまだ侯爵家の地位を保っていた十年程前、まだ少し幼さを残しつつ今よりは少しだけ可愛げがあったレイジーと出会った。同年代の貴族の子どもにしては子どもっぽいと周囲に言われつつも、どこか大人びていたレイジーと波長があったのかランマルはよくレイジーと行動を共にする事が多く、いわゆる友人と呼べる間柄にまでなっていた。だがクロサキ家が没落し一庶民となったランマルと貴族であるレイジーが交流をする事は自然となくなり、没落後はランマルも生きる事に必死でレイジーと連絡を取ると言う事は微塵にも考えていなかった。だがレイジーはどこから情報を仕入れたのかランマルの目の前に突如現れたのだ。昔と変わらない笑顔を浮かべては時折ランマルを自宅に誘ったかと思えばそれだけでは飽き足らずこうしてランマルをマスカレイドに誘っている。レイジー曰く『面白いモノ』が見られるからと誘われているのだが、何度来てもランマルにとってレイジーの言う『面白いモノ』が見られる事は無く、今日もこうして壁の花になるしかないのだ。
「なにが面白いんだよ、こんなの」
「えー、面白いじゃん。仮面なんて薄いもの被っただけで自分の地位も何もかもも忘れて、こんな幻想に酔いしれて溺れる人を見るのが」
「相変わらず性格悪いな」
「そう? これでも可愛いってメイドの間では評判だよ」
 仮面の下で笑う表情はメイドの間で評判の可愛い『顔』なのだろう。だが笑顔と裏腹な思想は可愛いなんて言葉が一番似つかわしくない。視線の先で花が開くようにドレスを翻す貴婦人を冷めた目で見つめ、ウィットな会話を繰り広げる貴人を小馬鹿にして見つめるその瞳は光を失っていた。初めて会ったあの日と変わっていない瞳にランマルはため息をつきつつ壁から離れ歩き始めた。
「あれ、どこ行くの?」
「庭。外の空気吸ってくる」
 レイジーに告げても返事が返ってくる事はない。ちらりと視線を後ろへ見やれば先程からレイジーが視線を送っていた女性と談笑をし始めていた。ランマルがいなくなるのを見計らってレイジーに近付いた貴婦人はこれまた派手に着飾っていた。結い上げた髪には幾つもの鳥の羽根で飾っており、レースをふんだんに使用したエメラルドグリーンのビロードのドレスはマスカレイドとしてはごく普通の装いなのだがランマルは好きになれない格好だ。女の場合は派手さが物を言う世界になりつつもあるのだが、遠くから見えるレイジーの表情は相変わらず冷めており、会話が聞こえなくても上辺だけの話を繰り広げているに違いない。ランマルは会話の内容にも女にも興味など持てず再び歩き始めた。人の合間を縫いながらも聞こえてくる会話は自宅に新しい調度品を揃えただの、どこぞの伯爵家の娘の結婚が決まっただの、ランマルにとってどうでもいい会話ばかりだ。幼い頃から嫌いな中身のない会話を嫌な表情一つせずに繰り広げる貴族には尊敬に値するものもあると思っていたが結局はその会話もただの腹の探り合いの一環だ。もしくはレイジーの言う通り何もかも忘れてただ楽しんで会話をしているだけなのかもしれないが、それでもランマルがこの会話を好きにはなれない。耳から入り耳から抜けて行く会話の中身を気にとめないまま、ランマルはホールを後にした。



back

人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -