王子様になれなかった俺に | ナノ


王子様になれなかった俺に






すごくすごく大好きですごくすごく大切で。だけどみんな彼女が大好きで。誰かが抜けがけしないように「独り占めは駄目」と約束したのに。彼女は出会って数ヶ月の男の人に恋をしてしまって、彼女はその人の手を取って走り去ってしまったんだ。




「七海、おはよう」
「あ、一十木くん。おはようございます」

 今日もTV局での撮影。楽屋へと廊下を歩いている俺の目の前に現れた後ろ姿は見間違えるはずもない。廊下をちょこちょこと歩く七海。その後ろ姿すら可愛くて後ろから見ているだけでも俺の心を癒してくれる。呼べば振り返ってくれて優しく微笑む姿はセシルじゃないけど「ミューズ」って呼びたくなる気持ちも分かってしまう。振り向いた瞬間、髪がさらりと靡いて花のような甘い香りが俺の鼻をくすぐる。素直に「可愛い」と言えたら幸せなのに。そんな俺の想いなど分かっていない春歌はこてんと首を傾げるだけだ。

「一十木くん…?」
「あ、ごめんね。何かぼーっとしちゃって…七海は今日打ち合わせ?」
「はい。今度らん…黒崎先輩の番組のBGMを担当する事になりまして…先輩の足を引っ張らない様に頑張らないと…」

 不意に呼ばれた名前に俺の心はまるで剥き出しの心臓を鷲掴みにされた気分になる。黒崎蘭丸先輩。俺の事務所の先輩で尊敬出来る人で七海のパートナーで、それから……七海の恋人。七海から恋人ですと言われた訳じゃないし蘭丸先輩から言われてもいない。でも二人の雰囲気を見ればただのパートナーじゃないって事は分かる。蘭丸先輩の春歌に掛ける優しい声、それに蘭丸先輩も七海も互いを見つめる瞳が、俺が七海を見ているのと同じ瞳の色をしているから、だから…すごく分かるんだ。二人は想い合っていてそして気持ちが通じ合ってるって。
 俺はずっと七海が好きだった。言葉に出した事はない。だけど態度はバレバレだって翔に言われた。だけど翔も俺も、それにトキヤもマサもレンも那月もセシルも、みんな七海が好きなんだ。彼女を独占したい、パートナーになりたい。だけど優しい七海は俺たちがパートナーになってと迫ったら困り果ててしまうからと、俺たちは七海を独占しない、不用意に二人きりにならない(ただし七海から来た場合は除く)という約束までしたんだ。だけどなかなかデビューできなかった七海に社長が先輩とパートナーを組ませて…そして春歌はデビューした。素直に嬉しかった。ずっとデビューできないって悩んでいた七海がやっとデビュー出来てシャイニング事務所の正所属になれて。だけどそれは同時にみんなの七海がいなくなってしまった事を告げていた。今の七海はみんなの七海じゃなくて、蘭丸先輩だけの七海だ。
 パートナーとしても恋人としても幸せな七海を見て、胸がすごく締め付けられて痛いけど笑顔を絶やしてはいけない。だって俺はアイドルだ。七海の大好きなキラッキラのアイドルだから。

「あぁっ、ごめんなさい。わたしったらベラベラとお話してしまって…」
「ぜーんぜん大丈夫だよ。七海が楽しそうだと俺も嬉しいよ」

 俺が笑顔を見せれば七海は優しく笑ってくれる。この笑顔を独り占め出来たらどんなに幸せなんだろう、一緒に屋上で歌ったあの日に戻って好きだって言えたら違う未来が待っていたんだろうか。出てくる想いは全部マイナスな事ばかりだ。

「おまえら廊下で何やってんだ」
「あっ、ら…黒崎先輩」
「蘭丸先輩。おはとうございます」

 俺の背後から聞こえた声に七海の頬が桃色に染まる。振り向かなくても分かる人物だけど、振り向いて深々と頭を下げると、蘭丸先輩は「真斗みてぇに下げ過ぎた」と軽く小突いてくれる。頭を上げればその視線は俺を見ているようで、その後ろの春歌に向けられているのはやっぱり瞳の色で分かってしまう。

「春歌。昨日聴いた曲だけど直してぇ所があるから、楽屋で直すぞ」
「あっ、はい! 一十木くん、またね」
「うん。今度みんなでご飯でも行こうね」

 崩さない笑顔で二人を見送った。足の長さが違うのに蘭丸先輩は七海に合わせて歩幅を狭めて歩いている。蘭丸先輩は優しい。俺も蘭丸先輩は好きだ(もちろん尊敬とかそういう意味で)
だから幸せそうな二人を見て、心の中がぐるぐると渦巻いている様な気持ちになるのが嫌で自分が嫌いになる。
 ぐ、と唇を噛みしめて下を向けば、ふと視線に何かが映る。音符の絵柄が入ったペンに俺はハッとする。これは七海のだ。早乙女学園時代から七海がよく使用していたペンで絵柄が七海らしいなぁと覚えていた。流石に放置していくわけにもいかないから届けてあげようと、俺はペンを拾って蘭丸先輩の楽屋へと急いだ。






「えーっと、ここか」

 ドアの横に貼られた「黒崎蘭丸様」と言う紙を確認してドアの前に立った俺は何故だか緊張してしまう。ただ忘れ物を届けに来ただけだ。別に同棲している恋人同士の家に突撃訪問する訳じゃないんだから、と首を振り邪な考えを捨てる。すうと息を吸って深呼吸。よし、落ち着いた。打ち合わせの邪魔にならなければいいなと思いながらドアをノックしようと手を上げた。

「……っ、あ」

 身体が震えた。聞こえたのは他でもない七海の声だ。だけど俺が聴いた事のない艶を含んだ色っぽい声。小さくてか細い声だけど俺の脳にダイレクトに響くその音に思わず生唾を飲み込んだ。楽屋で何してるんだろう、と言う好奇心が何よりも勝ってしまいノブに手を掛けて瞳だけで覗きこめる程にドアを開いた。

「あっ、蘭丸さ…んっ」
「はる…か」

 キスしてる。それも軽いキスじゃなくて映画で見た大人の激しいキス。何度も響くリップ音に絡み合う舌。作りものじゃなくて本物の恋人同士のキス。俺の知っている七海の普段の笑顔からは想像もつかない程の色っぽい顔。少女の七海じゃなくて大人の一人の女性としての七海。キスをされている最中は苦しくて時折辛そうに呼吸をしてるけど嫌がっていないのは、キスの合間に薄く開いた瞳の優しさで分かる。様々想いがまるで爆発しそうに溢れ出た。
 どうして蘭丸先輩なんだろう。どうして俺じゃなかったんだろう。何が間違っていたんだろう。七海を想えば想う程、辛くなって俺はその場から走り出した。持っていたペンが落ちたけど俺は振り向く事無く走り続けた。






 俺たちが大切にしていたみんなのお姫様。だけど今は蘭丸先輩だけのお姫様。俺は七海の王子様にはなれなかった。
 大切にしすぎていた可愛い七海。だけど七海はお姫様じゃなくて一人の女の子だった。可愛いあの子は自分から歩いて本当の王子様を見つけただけの話だった。







ワンライ「かわいいあの子」がお題で書いてみたかった話です。
2年位片思いしてたのに、突然現れた先輩に春歌を取られちゃったST☆RISHの気持ちを考えたら切なくって書きたくなりました…
音也、本当ごめん…音春も大好きなので幸せな話書きたい…



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