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マジデワラエルワ、シマッタデンシャマチガエタ、アンケートニゴキョウリョクオネガイシマス、参った道に迷ったみたいだ、タダイマキャンペーンチュウデース、チョットオソスギ、あら久しぶり、オイオマエイマヒマカ、ネエキイタアソコノクレープガイマワリビキチュウナンダッテ――

この街はなんてうるさいんだろう。数日街を歩いてみたけれど静かなところなんて私が滞在するホテルのベッドの中だけだ。意味の分からない言葉を吐き出す人混みに、私はもう何度飲み込まれそうになっただろう。気持ち悪い、声が迫ってくる。もうやめて欲しい、やめて、やめてやめてやめてやめて、

「そこのあなた、大丈夫ですか?」

気づけば耳を塞いでいた。それでも聞こえる騒音の中でもはっきりとその声は聞き取ることが出来た。その丁寧で大人びた声の主は私の正面に回り込み、不安げにこちらを見つめていた。

「だ、大丈夫」

突然のことに、やっとそれだけ返すと彼はほっとしたように息を吐いた。私はと言えば酷く驚いていた。だって彼は、彼はどう見たって――

「道に迷われたのですか?私でよければ案内しますよ」

少し背の低い私を見下ろす形で、それでも嫌な感じはしない。僅かに口の端を引いて優しく微笑む彼に、私は頷く。

「海に連れて行って欲しいの」

海に?そう怪訝そうに彼は首を傾げる。しかし私は譲らずに真っすぐ彼を見つめると諦めたように分かりました、と言った。

「ありがとう」
「いえ、良いんですよ。では行きましょうか」

差し出された手の平に戸惑うとまた迷子になりますよと彼が眉間にシワを寄せるものだから渋々その手を取る。彼は人混みを縫うように、けれど私のことを気にかけながら進んでいく。それはどこか私の街の人々を思い出すようで懐かしさを感じた。彼の名前はヒロシというらしい。ヒロシ。呼びやすい、良い名前だ。ヒロシは慣れたように相変わらず人でいっぱいの駅で切符を二枚買い、一枚を私に渡した。お金を出そうとするとヒロシは怖い顔をして、駄目ですよと言った。駄目な理由は、彼がジェントルマンだからだろうか。何だか滑稽に思えた。

「おや、空いている席が有りませんね」

そんなことは乗り込む前から分かっていたのに、彼は眉を下げ酷く困った顔をしている。私は一つだけ空いている席を見つけたが言わなかった。二人で座れなければ意味が無い。彼に言えば恐らく私を座らせるに決まっている。けれどそんなことでは面白くない。私達はこれから、海に行くのだから。

「疲れませんか?」

結局二人でドアのそばに掴まって立った。大丈夫、と笑うと彼は周りを見渡し、まだ空いている席が無いか探しているようだった。別にそんなことは良いのに。

「ああ、席が空いたようですね。座りましょうか」

ドアの外に見える景色に青が映りはじめた頃、私達は漸く席についた。少々季節外れとは言え、太陽の光を反射して海はきらきらと輝いている。その美しさに見とれていると、隣のヒロシが私の耳元で、

「美しいですね」

と囁いた。恐らく、海のことだ。彼のことを横目で伺うと、表情を隠すような不透明なレンズは海を写していた。それすらもきらきらと輝いていて思わず噴き出しそうになる。

「さあ、着きましたよ」

そう言ってヒロシが立ち上がったので、慌てて彼について電車を降りる。潮の匂いが微かに風に混じり、私の鼻孔をくすぐった。しかしやっぱり電車を降りてすぐに海があるというわけではなく、再びヒロシに手を引かれるままに駅の裏から小道に入り歩いた。しばらくして、前を歩くヒロシがやけに明るく見えて目を細める。眩しい。

「海です」

ヒロシが私の隣に並び、私は目の前に現れた光景に笑みをこぼした。海だ、やっと海にこれた。嬉しくて駆け出すと砂浜に足を取とられて尻餅をついた。砂が柔らかくて痛くはない、と座り直して海に向き合う。波は音も立てずに砂浜を駆けるように迫る。けれどどこからか運ばれてきた流木の一歩手前で一時停止し、引いていく。その繰り返しだ。

「あなたの国は、ずっと向こう側ですね」

いつの間にか隣に佇むヒロシは、沈みそうな黄色い太陽を見つめていた。こちらから覗き込むことが出来ないその瞳は、私の全てを見透かしていたというのか。

「ありがとう。次からは一人で来れるわ」
「それはいけません」

え?とヒロシを見上げると、ヒロシはまだ太陽から視線をそらさない。発言の意図が分からず、首を傾けても彼はいつの間にかオレンジに変わった陽に釘付けだ。諦めて私も彼と同じように沈みゆくピンポン玉のような太陽を見つめた。押し寄せる波は変わらずに私達に届くことはなく、この時間がいつまでも続けばいいのにと私は願う。
海は、静かだ。








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