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掴み所の無い女がいる。機嫌良さそうに笑っていたかと思えば急に無表情になったり、怒っていたかと思えば次の瞬間には何事も無かったようにけろりとして笑っている。近くにいたと感じていたのに何時の間にか遠ざけられていたり、また近くにいたり。そんな繰り返しの関係を、かれこれもう既に三年は続けてきた。だがやはり、彼女は掴み所が無い。ーー因みにここでいう彼女とは俺の、所謂、その、恋人のことである。

「弦ちゃん」

彼女は俺の事を弦ちゃんと呼ぶ。恐らくそう呼ぶのはこの世でただ一人しかいない。ーー無論、彼女以外の人間に呼ばせることは全く有り得ないのだが。ーー自分に酷く似合わないこの呼ばれ方に、俺は今でも慣れる事が出来ずにいる。止めろとは言わなかった。彼女は止めろと言えば止める相手なのか、俺には分からなかった。

「弦ちゃん、英語のノート貸して」
「……また居眠りをしていたのか」
「違うよ。弦ちゃんの真似してた」

いつも飄々としている彼女が珍しく極めて真面目な顔をするのでどんな真似かと問えば、瞑想、と呟いた。眉間にシワを寄せ瞼を閉じ、恐らく俺の真似をしている彼女の頭を取り出したノートで軽く叩く。俺は授業中に瞑想したりはしない。

「痛いよ。弦ちゃん」

咎めるように、彼女が唇を突き出し低い位置から俺を睨み上げた。こんな時だけ彼女は女らしく、可愛らしい。しかし同時に既視感を覚え、思考を巡らせると、そうか。仕草があの後輩に似ているのだ。生意気で威勢の良い、けれど目が離せないあの後輩に。

「ふざけことを抜かすな」

グシャグシャと彼女の頭を撫で回す。俺は何を考えているのだ。あの後輩とこいつが似ているなどと、それこそふざけたことを考えるとは。どうも、俺の思考は彼女と居ると絡まり、ぶつかり合うようで、調子が狂う。

「ちょっと、やめて」

腕の下の彼女が珍しく女らしい弱々しい声を上げた。ぎょっとして手を止めを伺う。ーーやり過ぎたか?怒ったのか?ーー黙りこくる彼女に、一瞬にして手の平が汗ばむのを感じた。何だかんだと言えども、俺は彼女に嫌われるのが怖い。彼女が離れていくのが怖い。依存、しているのだ。

「ばか」

髪を両手で直しながら、彼女はくすくすと笑う。相変わらずその思考は読めない。しかし怒っていないことが分かり安堵した。彼女は笑っている。常識からすれば笑いながら怒る人間は少ない。彼女は、その常識に当て嵌めるには少し、特殊かも知れないが。

「弦ちゃん」

彼女が俺の前に立つ。依然として立ち竦む俺の目をじっと見つめる。この行動は、分かる。彼女がこうする時は、どうして欲しい時なのか。ーー意外と、単純である。ーーそれが分かることに俺は途端に自分が誇らしく、満たされた気分になった。

「好きだ」

名前を呼び、肩に手を添え、少し屈みながら。彼女が目を閉じ、その柔らかな唇に口づける。ほんの一瞬であった。それでもその時間はほんの一秒でも、俺が誰よりも彼女の近くにいた。それだけで満足だ。

「知ってる」

またしても彼女はくすくすとひそやかに笑う。掴み所の無いこの女が、笑っていれば俺は、幸福であった。

く す く す

おかえりさんに提出。
ありがとうございました。

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