SHORT | ナノ

「おい、お前、ギャサリンと仲良いか?」

それまで書類に目を落としていたスパンダムさんが、唐突に顔を上げたかと思うと、そんなことを言った。ギャサリン、というのはわたしの同僚の給仕である彼女のことだろうか。今まで二人の話題にすら上がったことの無かった人物に、思わずコーヒーを注いでいた手が止まる。

「仲は、良いと思います」

首を傾げつつそう答えると、スパンダムさんは、そうか、とまた書類に目を戻した。ますます質問の意図が分からず、けれど自分から聞くというのも憚られた。ギャサリン、は、わたしと唯一歳の近い同僚で、休日にはよく二人でショッピングに行ったりする仲だ。

「彼女が、どうかしましたか?」

内心、スパンダムさんの口から彼女の名前が出たことで焦っていた。その抜群のプロボーションと、お茶目で愛嬌のある性格から、彼女は司法の塔のアイドルであり、その周囲では恋愛関係の話が絶えない。彼女本人も恋に恋するようなうら若き乙女であるが、一途に想っているひとがいて、そのひと以外は眼中に無いようだった。まさか、スパンダムさんも、彼女のことが気になるのだろうか。ポットを持つ手が、微かに震えた。

「……お前にこんなこと聞くのも悪いが、」

どくん、どくんと心臓が鳴る。いつも思ったことをストレートに口にする彼なのに、何故か妙に歯切れが悪い。もし、も。彼がギャサリンを好きだったら、どうしよう。そんなことを相談してくれるほど、わたしを信頼してくれているのかな、なんてポジティブな風に考えられるほどわたしのメンタルは強靭ではない。寧ろ今まさに、つつかれたら跳び上がってそのまま豆腐のように床に崩れ落ちてしまいそうなほどぐずぐずに緊張している。スパンダムさんが、次の言葉を紡ぐまでの時間が、ひどく長く感じられた。

「ギャサリンの、好きなタイプって分かるか?」

叫びたい、そんな衝動に駆られながら、必死に動揺を隠す。同じような質問を、島の海兵さんや門番さん達にもされたことがある。けれど、こんなのはあんまりじゃないですか。よりにもよってあなたに、あなたが。胸が苦しくて、何も考えられなくて、黙っていると彼は追い打ちをかけるように顔を真っ赤にして言った。

「こ、これは、違ッ、べ、べべ別に」

しどろもどろになってもごもごと否定されても、余計に泣きたくなる。そんなの、ギャサリンが好きだって、言ってるみたいなものじゃないですか!怒りさえ湧く脳裏に、ふつふつと悪意がこみ上げた。こうなったら、言ってしまえばいい。彼女は、ギャサリンには、好きなひとがいると。男は顔、と豪語する彼女がずっと一途に想っているひとの存在を伝えてしまえば、彼も諦めるかもしれない。なんてさいあくな、わたし。

「彼女の好きなタイプは、ルッチさんですよ」

自分でも驚くくらい、渇いた、冷たい声だった。彼はどんな顔をしているだろう。再びポットを持ち上げ、カップにコーヒーを注ぐ。カップの中の真っ黒な液体は、まるでわたしの心を写しているようで、泣きたくなった。しばらくしてガシガシと頭を掻く音が聞こえ、ハッとして俯いていた顔を上げると、スパンダムさんは、そうか、と呟いた。その瞬間、ぎゅ、と胸が締め付けられる。ああ、わたしはなんてことを。確信的に彼を傷つけてしまった。じわと、涙で視界が滲む。

「お、おい、何泣いてんだ。お前が気にすることじゃねェだろ」

それに気づいたスパンダムさんが、慌てて立ち上がった。どうして、彼は、ああして不意に優しいのだろう。その言葉はわたしを心配してくれているようで、遂にぽろぽろと涙がこぼれてしまった。いけない、泣きたいのは彼のほうかもしれないのに。涙を拭いながら、謝ろうと唇を動かした時、ふと影が落とされた。気づくといつのまにか、スパンダムさんが目の前に立っている。とても困った顔をしていて、拭った筈の涙がまたこぼれた。

「なんで、そんなに泣くんだよ。好きだったのか?」

どこか寂しげなその言葉に、ずっと落ち着かない心臓がさらに跳ねる。頭が真っ白になり、素直に頷くと、彼は深いため息を吐いた。もう、もうだめだ。彼とわたしの、今までの関係は破綻してしまうのだろう。ただ、彼のためにコーヒーを淹れて、彼が話しかけてくれて、そんな些細なことも出来なくなってしまう。それを思って、わたしの涙は止まらなかった。困らせてしまっている。分かっていても、止められなかった。すると、泣くなよ、スパンダムさんがそう言ってわたしを抱きしめた。

「……え、ス、スパンダムさ、」
「あんなこと聞いて悪かったな。嫌かも知れねェが、お前が泣き止むまでこうさせてくれねェか」

彼の、心臓の音が聞こえる。その音よりもっと早いわたしの音が、全身を支配しているようだった。体温も急上昇して、泣くどころでは無くなってしまった。ど、どういうこと?彼は、ギャサリンが好きだって、わたしはあなたが好きだって、それで、どうしてこうなるの?妙に噛み合わない展開に、彼を見上げると、今にも泣きそうな顔をしていた。

「お前がジャブラを好きだなんて、知らなかったんだよ」

ガツン、と衝撃を受ける。思わず、わたしも知らなかったです、と言葉が漏れる。え、え、いつ、わたしがジャブラさんを好きだなんてことになってしまったの。明らかにわたしが動揺を隠せずにいると、彼もまた同じように口をポカンと開け、え、は、と言葉にならない声を漏らした。

「わたし、が、好きなのは」

そこまで口にして、途端に恥ずかしくなり、未だにわたしを腕に抱いたままのスパンダムさんの胸元に手を添える。その動作で察したのか、彼の顔色がみるみる内に赤くなっていく。それを見たわたしも顔から火が出そうなくらい熱くなる。

「でも、振られちゃいました」

なんだか気持ちがふわふわして、そんなことも安々と言えてしまった。すると今度はスパンダムさんが、驚いたような声を上げる。その声に驚いてわたしも声を上げると、彼が眉を顰めた。

「おれが、好きでもねェ女を簡単に抱きしめると思うか。どうでもいい女なら、とっとと部屋から追い出してる」

ふい、と視線を逸らしたスパンダムさんの横顔を見つめながら、これは現実なのだろうかと尚もふわふわした頭で考える。スパンダムさんのお部屋で、スパンダムさんに抱きしめられて、いる。とっとと追い出されていないのは、わたしが、どうでもいい女ではないということで。抱きしめられているということは、好きでもねェ女ではないということで。

「つまり、わたしたち、とんでもない勘違いをしてたんですね」

やっと感情が追いついてきたのか嬉しさがこみ上げ、自然と笑みがこぼれた。彼も、そんなわたしを見て安心したように笑った。もう少しこうしていたくて、彼の胸元に顔を埋めると、ジャブラに感謝だな、と呟く声が聞こえた。わたしも、心の中でひっそりとギャサリンに感謝した。彼の心臓の音がとても、心地良い。


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