SHORT | ナノ

どうしよう。さっきたまたま通りかかった司令長官室、つまりスパンダムさんのお部屋の前でとんでもないことを聞いてしまった。「よし、今日こそプロポーズするぞ!」なんてスパンダムさんの張り切った声。まさか、そんな、いや……でも?スパンダムさんもあれで普通の男の人だし、あり得ない話では無い。というかあの年齢で未だに独り身というのが珍しい話なのか。でも、でも、数年給仕としてお仕えしてきたが、そんな浮ついた話なんて彼の口から一度も聞いたことがなかった。あの性格だ、彼のことなら女性の影があればすぐわかるはず。美人な人なら当然自慢しまくるだろうし、可愛い人でも同じ。喧嘩したりすれば業務に支障をきたすくらい機嫌が悪くなりそうだ。逆に結婚、なんてめでたい話になれば司法の塔に勤める全員を式に招待しそうな勢いでお祝いするだろう。似合わなそうな白いタキシードを着て大笑いする彼、その隣で微笑むウエディングドレスを着た美人なひと。二人がヴァージンロードを歩く姿を、見送るわたし。そこまで想像して胸がちくりと痛んだ。そしてその痛みは、鼓動と共に徐々に大きくなっていく。スパンダムさんが結婚、なんて。コーヒーをお持ちする度にその左手の薬指に輝いているであろう指輪に嫉妬して、上機嫌の彼から惚気話を聞かされるのだろうか。やがて子供ができたら、彼の父親がそうしたようにその子供を溺愛するのであろう。もしそんな時が来たら、お子さん可愛いですね、なんてわたしは笑えない。きっと黒いもやもやを抱えたまま、醜い笑顔を作るのだろう。ああ、そんな未来。容易に想像出来てしまってなんだか泣けてきた。しかしそんな感傷に浸る間も無く、遠くから聞こえてきた話し声にドキリと心臓を弾ませ慌てて止まっていた歩みを進めた。わたしはどこに向かっていたんだっけ。歩き慣れた廊下が、どこか別の場所のように思えた。「よう、なまえ」と声をかけられて、ようやく前から歩いてきた人達がジャブラさんとカクさんだということに気づく。「泣いてんのか?」そうジャブラさんに聞かれて、なぜだかもっと泣きたくなった。「何があったんじゃ」カクさんも困った顔でわたしに問う。「ス、スパンダムさんが」少し迷った挙句、「プロポーズを、」ようやくその言葉を絞り出すと二人の表情が一転、安心したような顔に変わる。「なんじゃ、嬉し泣きか」「嬉しい時は泣くんじゃなくて、笑ったほうが可愛いぜ?」二人ともニヤニヤした表情で、囃し立てるようにそう言った。泣いている時にそんな盛大な勘違いをされたのは初めてで、呆気にとられているとジャブラさんが更に「お前のウエディングドレス姿、楽しみにしてるぜ」なんて言うものだからつい間の抜けた声が出てしまった。「え?わたしのウエディングドレス?」「は?長官はまだ言ってなかったのか?」つられて声を出したジャブラさんが、カクさんを見る。カクさんはそんなわたしたちを見て、しまった、というような顔をした。「あー、ジャブラ、これはちょっとマズイかもしれんのう」「いやぁカク、あれだ。お前覚えてるか?ちょっとだけ記憶飛ばす殴り方。習っただろ」「馬鹿言え、なまえにそんなこと出来るわけ無いじゃろ」物騒なワードが聞こえ、ビビりながら半歩下がるとジャブラさんが慌てて「やらねぇよ」と両手をひらひらさせた。わたしが今聞いたことを頭の中で反復させているうちに、俺たちが漏らしたことは内緒でな、と二人はどつき合いながら行ってしまった。さっきわたしが長官室の前で立ち聞きしてしまった、今日こそプロポーズするぞ、と(恐らく)ファンクに意気込んでいたスパンダムさんの、そのプロポーズの相手はわたし……?どっ、どうしよう、いきなりそんなこと言われても、どんな顔してスパンダムさんに会えばいいの?お断りなんて絶対しない、寧ろ両手放しで喜んで大号泣する自身があるけど、だってだってわたしたちって、お付き合いすらしてないですよ?それがどうしていきなりプロポーズ。そう思うと、少し頭が冷えた。そう、わたしたちはお付き合いすらしていないのだ。まさか幾ら恋愛経験の少なそうなスパンダムさんでも恋のABCZくらい分かるだろう。いやでも、それでもスパンダムさんは誰かにプロポーズしようとしている事実は変わらないわけで。その相手はもちろんわたしであって欲しいのだけど、信じられない気持ちと半々だ。ちら、と腕時計を見るとお昼過ぎのコーヒーをお出しする時間が迫っている。ぐるぐると混乱する頭で、とにかく給仕室へと一歩踏み出すと手足が同時に出て、思わず笑ってしまった。

一段飛ばしのプロポーズ?

控えめなノックの後に、失礼します、とこれまた控えめな声が響く。ちらと見た時計の針は午後二時を示していて、いつもおれが給仕にコーヒーを持ってくるように言い渡している時間だ。音を立てずに扉を開いて長官室に入ってきたのは、おれがこれからプロポーズをしようとしているまさにその相手。「コーヒーをお持ちしました」いつも通り丁寧にお辞儀をした後、彼女がおれのところに近づいてくる。一歩、踏み出した彼女が動きを止めた。「どうした」これからするプロポーズを考えて早くも上ずりそうになりながら聞くと、彼女は何かを堪えるようにきゅっと唇を真横に結んだ。「手と足を、同時に出してしまった気がして」そう言って、申し訳ありません、と彼女が頭を下げた。なんだか今日は彼女の様子がおかしい。「そうか」と答えて改めて歩き出した彼女を見る。両手でトレイを持っているのに、どうやって手と足を同時に出したというのか。はたまた、気持ちの問題だったのか。……きっとそうだったのだろう。これからプロポーズする女のことを理解出来なくて、良き夫になれるはずが無い。――良き夫。噴き出してしまいそうなくらい、自分には似合わない響きだ。「あー、今日は、話があるんだが」彼女がいつもの位置にカップを置く。その手が微かに震えているように見えたが、おれの視線に気づいたのかサッと引っ込めてしまった。「なんでしょう」どこか不安そうな、泣きそうな表情で彼女が首を傾げた。つられておれも胸をぎゅっと掴まれたような、そんな気持ちになる。気持ちを落ち着かせるためにコーヒーを飲もうとカップに手をかけると、先ほどの彼女以上に震えた手がうまく取っ手を掴めずカップが皿の上で踊った。「だ、大丈夫ですか?」「大、丈、夫、だ」あまりに自分が動揺していることに驚き、更に緊張が高まる。自分の心臓の音が外にも聞こえるんじゃ無いかと思うくらい、高鳴っていた。プロポーズ、というのはこんなに緊張するのか。たかが、おれと結婚してくれ、と。そう言うだけじゃないか。そこらへんの海兵も、司法の塔の門番も、親父だって通り抜けてきた道だ。おれはCP9司令長官のスパンダム様だぞ?それなのに、どうして。どうしてこんなにも怖いんだ。「すまん、ちょっと、待ってくれ」せめてこの全身を支配するかのような鼓動を、どうにかしなければ。まず、深呼吸。吸って、吸って吸って吸って吸って吸って、「スパンダムさん!深呼吸するなら、吸ったら吐かないと」「っ、はぁ、ゲホッ。そうだ、な」うっかりしていた、そうだ吸ったら吐かねば。気持ちが落ち着くどころかもっと暗い気分になった。クソ、こんな状態でプロポーズなんて出来るか!無意識に左手で頭を抱えると、机に投げ出した右手に細い指が添えられた。驚いて見上げると彼女はやっぱり困ったような顔をして、けれど笑っていた。「プロポーズ、するんですか?」ドキリ、心臓が口から飛び出しそうなくらい大きく跳ねた。「なんで、知って」一昨日あたりから悩んではいたが、そんな相談は誰にもしていない。話を聞いていたとすればファンクフリードくらいだ。横目でちら、とファンクフリードを見ると慌てて否定するように鼻を振った。「ファンクじゃないですよ」くすくす、その笑い声に救われたような気分になる。彼女の挙動、言葉にこんなに一喜一憂するとは、自分は恥ずかしくなるくらい彼女が好きなんだと実感する。「ところでそのプロポーズのお相手って、わたし、ですか?」「へ?」彼女が真剣な顔で、右手に添えた手を握った。驚きで漏れた自分の疑問詞がやけに間抜けに聞こえた。「お前以外に誰がいるって言うんだ」手を握り返して、立ち上がる。必然的に彼女がおれを見上げる形になり、少し安心した。「だって、スパンダムさん。わたしたちまだお付き合いも何もしてないです。突然プロポーズ、と言われても自分にだなんて思えなくて、」そう彼女に言われて、気づく。ああそうなのか、すっかり忘れていた。好きだと気づいてから今日までの期間があまりに長過ぎて失念していた。「……すまん、忘れてた。おれはお前が好きだ、付き合ってくれ」「忘れてたって、そんな」衝撃を受けたように彼女が目を見開く。しかしすぐ、笑ってくれた。「わたしもスパンダムさんが好きです」目元に薄っすら涙を滲ませ、照れたように。腹の底からむずむずと暖かい気持ちがせり上がるようで、ああ、もっと早く気持ちを伝えれば良かったと思う。「これなら、良いだろう?」「……?」おれの言葉にきょとんとした表情が返ってきた。握ったままの彼女の左手を少し持ち上げ、机の引き出しから用意していたそれを取り出す。特注で作らせた最高級のダイヤをあしらった、けれど決して派手ではない、彼女の為の結婚指輪。それをそっと左手の薬指に収め、「俺と、結婚してくれるか」そう告げると彼女は笑いながらぽろぽろと涙をこぼした。「も、勿論、です。スパンダムさん、大好き」思わず身を乗り出して抱きしめると、遠慮がちに背中に手を回され、ああ、おれたちはここから始めないといけなかったんだなと笑った。

愛してるを始めよ

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