単発 | ナノ



神とバカ犬は縁側に




汗が首すじを流れて、白いワイシャツの内側へ入り込む。さて、汗はそのあとどこへ行くのでしょう。

「ただいまー」
「おま……嘘こくなよ一人暮らしって言ってたじゃねーか」
「え? 一人暮らしですよ?」
「大学生の一人暮らしでこんな立派な一軒家に住んで犬まで飼ってるわけねぇだろ」
「ここ、元々じいちゃんの家なんです。大学入るとき引っ越してきたんですけど、一年目にじいちゃん亡くなったんで」

玄関が開いた音に反応して廊下を渡ってきたのは愛犬だった。しゃがみこんで目を見ながらもう一度「ただいま」と頬を撫でていると、背後で革靴を脱いでいた平野さんは決まり悪そうに声をもらした。

「……ごめんな」
「あ、いや、そんな。こ、これ食べましょうよ」

平野さんから受け取った紙袋の中身はゼリーだった。変な空気を断ち切るため大げさに喜んでいると、ふいに平野さんが困ったような声を上げた。

「え、ちょ」
「うわああ! す、すいませんすいません!」
「びっくりしたぁ……」
「ほんとごめんなさいコイツどうしようもないバカ犬で」

振り返るとあろうことか、うちの犬が平野さんの足元にしがみついて腰を振っていたのだ。平野さんのスラックスから慌てて犬を引き剥がし叱り付けると、犬は拗ねて部屋の奥へ引っ込んでいった。俺は何度も頭を下げながら平野さんを畳張りの客室へ導き、改めて袋を開ける。

「色んな味買ってきてくれたんですね、すいませんこんなに沢山」
「はいじゃーんけん」
「え? え?」
「ぽんっ」
「え、あ」
「はい俺の勝ち、もも味貰うな。つーかお前後出しで負けるってなんだよ。お前何味食う?」
「……じゃ、じゃあぶどう味もらいます」
「ん。いただきまーす」
「……内定、おめでとうございます」
「はいどーもね」

麦茶とゼリーだけのひっそりとしたパーティーが始まる。背中を丸めてぶどうゼリーを食べていると、和室の入り口からこちらを覗いている犬と目が合った。

「はは、あいつかわいーな。物欲しそうな顔で我慢してる」
「ああ……じいちゃんが畳の部屋には入ってこないように厳しくしつけてたみたいです」
「へぇ。賢いんだな」

犬はしばらくおこぼれをもらえないものかと右往左往していたが、やがて諦めていなくなった。きっと風通しの良い部屋で昼寝しているのだろう。平野さんは器を空にして一息つき、改めて部屋をぐるりと見回している。

「いい家だな。……大変だっただろ、その時」
「え? あーいや、じいちゃんが死ぬってのは俺も本人も分かってたんで。ただいざその時になると何年も連絡とってないような親戚とゴタゴタしたり、遺産がどうとか……そっちのが面倒だったっていうか」

じいちゃんを悪く言われるくらいなら、俺が遺産目当ての金食い虫だとののしられる方がまだましだった。でもそれはあくまで比較の問題だ。葬式も諸手続きも済んで広い家と犬だけが残ったとき、俺は、もう何もする気が起きなくなっていた。でも単位はやっぱり欲しいから大学に通って、そうしたら平野さんに出会ったのだ。人生は唐突に変わる。

「……もう、版画やらないんですか」
「え? 今度個展やるよ? フライヤー渡さなかったっけ」
「それは今ある作品の展示でしょ? 俺は平野さんの新しい作品が見たいんです」
「……一人で生きていこうとしたらね、版画とかそういうオアソビが入る隙間なんかねぇの」

俺が平野さんの作品に焦がれて以来盲目的な熱を注ぐように、平野さんにもかつて憧れの師匠がいたらしい。その人は平野さんを夢中にさせたけど責任はとってくれなくて、平野さんは一人で生きることを決めてしまったのだ。
年下の俺に言われたかないだろうけど、たかだか22で人生を決めつけ、好きだった創作活動を諦めて生活する準備を始めた平野さんが寂しく、こんな日中にリクルートスーツの平野さんと向き合っていたらいてもたってもいられなくなる。


「平野さん、セックスしましょう」


平野さんの師匠は男だったらしい身体の関係もあったらしいと耳にした時は、低俗な噂に揺さぶられる友人たちを嫌悪した。はじめて裸の平野さんが夢に出てきたときは自分の脳みそを吸い出したいくらい自己嫌悪した。平野さんをそうした妄想の種にするのが日常となったときと自分に才能がないことを自覚したときは大体同じ頃だっただろう。

「ちょ……んっ」
「……平野さん、ももの味しますね。おいしいです」
「なに、お前マジなの? ちょっ……」
「まじです」
「あ、ばか、おま……」


日は流れた、今年の夏も暑い、俺は今年卒業していく先輩を見送りながらバカ犬になり下がる。


「スーツ……しわんなる……」
「クリーニング代出します」

ももの味がする舌を舐めまわしてボタンに手をかけたとき、平野さんが注意したのはそれだけで、つまり俺は消極的に受け入れられたのだ。シャツの前を開けると美しい鎖骨が潜んでいて、思わず舐めたらしおからかった。当然だ、部屋は暑い。俺も汗をかいている。でもすごく興奮した。神様が汗をかいていて俺はそれを舐めている現実にたまらなく興奮した。

「ふっ、ん」
「ここ好きですか」

平べったい乳首を舌先でつつくと身体が跳ねて、分かりやすい反応に嬉しくなった。俺は別にテクニシャンでもなんでもない、平野さんにとっての神様のほうがきっと何事も上手でスマートだっただろう。それでもやんわりと腰を揺らしてくれるのがうれしくてうれしくて、音を立てながら乳首に吸い付く。

「ん、んあ」

徐々に熱っぽくなる表情とともに声が大きくなっていって、俺の興奮もほとんどピークに達している。畳に転がした通学用のリュックを引き寄せ、中からピンク色のボトルを取り出せば平野さんはなぜだか笑った。

「は……っ、用意周到じゃねーか……」

その通り。なぜなら俺はもうずっと平野さんを抱きたい抱きたいとそればっかり考えていて、やり方を調べて必要なものは揃えて、あとはタイミングだけを見計らっていたのだ。内定のお祝いさせてください、に対し、じゃーお前んちで、と返ってきたのは予想外で、前日の晩用意しておいたちょっといいスーパーのローストビーフだスモークサーモンだはまだ冷蔵庫の中なのに俺の指はローションにまみれている。

「いっ……」
「痛いですかごめんなさい」
「もっとさ……優しくしろよ……」
「無理ですごめんなさい」

興奮を抑えきれず、前戯もそこそこに性器をあてがった俺を、平野さんはいつも通りの寛大さで受け止めてくれた。ごめんなさい、お祝いもうまくできないし、身体も奪うし、わがままでどうしようもなくて、でも平野さんのことが好きすぎてやっぱりどうしようもない、バカ犬でごめんなさい。

「あ……っ」

平野さんの中は熱くて、想像の何倍も気持ち良い。震える。これが平野さんなんだ。遠くから見ていた平野さんの中はぐちゅぐちゅで思ってたより柔らかくて、画面の中の二者を自分と平野さんに重ね合わせていた行為は体温というリアリティを持って無事成立。

「んあっ、あっ!」
「はあ……平野さん、きもちい?」
「あ、んあ、ぅあんっ」

よかった平野さんも喘いでいる。畳で背中も痛いだろうに身体をくねらせて喘いでいる。気持ちいいよね、うれしいよね。平野さんだって俺のこと好きだよね。ずっと見てましたと告白まがいを仕掛けてしまった初対面のときも笑っていたし、ご飯にも連れていってくれたし、俺の家に来てくれたし。そうだよね、かわいいね平野さん。

「かわいい平野さんすき、すき」
「んあ、あっ、もっ……うるせぇお前……、黙ってろ……っ!」

ごめんね黙れないです。平野さんは今、脳内で神様に抱かれているんだろうけれど、俺が声を上げたら平野さんは妄想にうまく浸れないだろうけれど黙れないです。平野さんはこんなに可愛くてえろくて俺をとりこにするのに、なんで俺たちの接点を捨てて現実なんて見ようとしてしまうのか、俺にはさっぱりわからない。

平野さんはかわいい。かわいいけど頑固。でもそこが好き。でも俺は寂しい。現実から逃げたい盛りの俺にとって、平野さんが提示するリアルは残酷すぎる。俺はじいちゃんと犬と平野さんと縁側に並んで、茶菓子でもつまんでいられたらそれで幸せなのに。

「あ、んあっ、あぁん!」
「あ、やば、あ、平野さんしめないで、ん……っ」

懸命に我慢したけれど結局平野さんより先に射精してしまった。肩で息をしているあいだに、平野さんは自分でこすって自分の手の中に吐き出した。最後までちゃんとできなかった、平野さんが精液撒き散らしていくところを見れなかった。そう思ったら途端に自分が情けなくて、情けないついでにいらないことまで言ってしまう。

「平野さん、版画やめないで」
「……は?」
「俺のもとからいなくならないで」
「はは、やっと本音言ったな」

平野さんはうれしそうにへにゃりと笑った。しかし俺が駄々をこねたってそれが本音だって、平野さんは内定を蹴るようなことはしないし二度と創作活動に励まない。いつだって俺は後出しで負けるのだ。








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