単発 | ナノ



ジルベールのガスパール

(※首を絞めるなど痛々しい描写があるので注意してください)


自宅に到着すると、浮世離れしてきれいな人が防音室から出てくるところだった。

「あれ、かなたくん」
「ただいま」
「おかえり。今日は早いんだね」
「ん。午後の授業休講になってたから」
「そうなんだ。僕いまから練習しようかと思ってたんだけど」
「ああうん、邪魔するつもりないよ」
「だけど……」
「ん?」
「ちょっとだけ休憩しようかなあ……」

ぼそりと呟いたゆうくんは、首もとに甘えて絡みついてきた。ゆうくんはかつて神童と呼ばれたピアニストで、立ち姿にも知性がまとわりつくいわゆる才色兼備な人だ。それなのに自宅ではこんなに子供っぽくなってしまう。

「何時に起きたの」
「んー……さっき」
「じゃあまだなにもしてねぇじゃん、なにを休憩すんだよ」

きっとゆうくんは練習のために防音室に入り、なにかの用事でちょうど部屋から出てきたところだったのだろう。そこに俺が帰ってきたので、練習をするための意欲はそがれてしまったらしい。防音の練習スペースに閉じこもり練習をする時間は苦痛だろうが、俺は心を鬼にしてサポートしなければならない。

「大事な舞台近いんだろ?」
「近いって言ったって半年後だよ?」
「そ……」
「一カ月前からの調整で優勝する人だっているのに、どうして僕は……」

ふいに端正な顔にかげりが落ちる瞬間が、こわい。白い肌も、細やかな作りの、薄い顔立ちも彼の憂鬱を余計に大きく見せてしまう。答えに困る俺に気づいたゆうくんは、「どうして」と言ったときのきびしい目を強引に和らげて言った。

「ごめん、うそだよ」
「……」
「僕は一カ月でどうこうできる天才じゃないからね。そのぶん練習しなきゃ」

やわい言葉はきっと自分自身に向けたのだろう。ゆうくんはするりと離れていった。防音室のドアを開ける瞬間、肩越しに俺を振り返った。

「練習終わったら、いっぱいぎゅってするからね」
「はいはい。分かったから早く行け」

ドアが閉められてしまうと、どんなに強く鍵盤を叩こうと内側の音はこちらへはまったく漏れてこなくなる。俺のほうも気持ちを切り替え、静かなリビングで持ちかえってきた課題を進めていると、ふいに防音室のドアが開いた。

「あれ、どうした?」
「……」
「……紅茶、淹れるか?」

休憩が必要なほどの時間は、まだ経過していない。それでも思わず聞いてしまう。

彼の能力を褒め称えながら、同時に何を考えているか分からない怖い人だと言った人は今までたくさんいた。穏やかな笑顔で部屋にはいった数分後、まるで別人のような顔色で再び現れたりするからだろう。

「ちょっと……気分が」
「横になる?」

俺は立ち上がり、ふらつく彼を片手で支えながら寝室へ移動した。先ほど起きたばかりという話の通り、部屋はカーテンが閉まったままで起きぬけのにおいが残っていた。

年上のゆうくんが音大に入ってすぐ、俺たちは一緒に暮らすようになった。そのころ俺はまだ高校生で今以上にクソガキで、世の中にムカつくことや嫌いなものが500個くらいあって、ゆうくんの情緒不安定もそのうちのひとつだった。

「だめだよね、もっと根詰めて練習しなきゃ。こんなに自分を甘やかして上達するわけがない」

彼の尋常でない貪欲さは、常人の俺には強迫観念のように思えてしまう。そういうとき俺は、ゆうくんの背中をつかまえて強引にベッドへ押し倒す。ゆうくんは白いシーツの中で額に手を添えながら、そっと目を閉じていた。

「なあ」
「……」
「してやろっか、口で」

寄りそいながら顔をのぞきこむ。なるべく下品な表情をして。ゆうくんはそんな俺に、堂々と軽蔑の目を向けた。

「いい」
「……そうか」
「眠くなってきたから、寝るね」
「ん。おやすみ」

ゆうくんはこちらに背を向け静かになった。たまに死んでいる気がするのだけれど、背中に掌をあてるときちんと熱く、呼吸に合わせてすこし動いている。俺は安心して仰向けで手足を投げ出し、目を閉じた。瞼の内側で、ゆうくんがいつかに弾いていた夜のガスパールが流れていた。

ピアノを弾いているときのゆうくんは人間じゃないみたいだ。例えがまちがっているかもしれないけれど、何度見ても本当にそう感じてしまう。背が高くて色が白くて細くて手足が長くて浮世離れした彼が、正気じゃないほどのエネルギーを放出しながら鍵盤をたたく。


天才には天才の悩みがあって、それは俺には分かるはずもない。むやみな共感はまるで冒涜だ。


「かなたくん」
「あれ、起きてんの」

とつぜん声をかけられ目を開けると、背を向けていたはずのゆうくんがいつの間にかこちらを見ていた。とろりとした、甘えた目をしていた。

「ねぇ」
「……ん?」
「やっぱり、やって」

ゆうくんは低くかすれた丁寧な言い方をして、手を伸ばしてきた。俺の安物のTシャツに潜り込んだ指先が、わきのあたりをするする撫で、そして乳首のあたりをもにもにとつまみはじめた。

「いいよ」

俺は身体を起こし、仰向けのゆうくんの腰もとにうずくまった。まだくたりとしている性器を取り出し、丁寧に愛撫する。すこしずつむくむくと育ってきた性器を、慎重に口に含む。はじめは先端の、くぼんでいるところやつるつるしているところを舌の先で舐めていく。すこしずつ舐める範囲を広げ、舌も全体をつかって奥の方までくわえこんでいく。そうするとすぐにゆうくんの性器はかちかちに膨らんでしまう。こういう過程を丁寧に進めていくと、俺自身も勃起する。夢中になっていると、ゆうくんにそっと頭をなでられた。

「ねぇ、手」
「ん……?」
「つかわないでやって」
「いいよ」

言われた通り、根元をおさえていた手を離した。せき止めるものがなくなると、大きくなったそれが奥に入り込んでくる。喉は違和感に抵抗し、戻そうとするけれど涙を浮かべながら耐えてくわえこむ。

苦しさにもだえつつ、頭ごと動かし懸命に奉仕していると、ゆうくんの息がじわじわと荒れてくる。そしてまた頭をなでられた、今度はなだめるように。

「ん……もういい」
「んぅ……」
「おしりにいれたい」
「ん……いいよ。準備するからちょっと待ってて」

そう言って部屋を出るとき、待てない、とか、子供みたいにごねられたらどうしようかと思った。それ以上に、俺が準備しているあいだに不安が満たんになるんじゃないかと心配していた。表面張力でもってぎりぎりで、風のたびに揺れる水面みたいなゆうくんがひとりきりのベッドルームで限界に到達してしまうのではないか。

準備を整え部屋に戻るとゆうくんは、同じようにベッドに寝ていた。

「お待たせ」
「うん、待ったぁ」
「ごめんごめん」

しかし心配など必要なかったらしく、ゆうくんはむしろ先ほどより落ちついた状態にいた。今日の練習はきっとうまくいかなかったのだろうけれど、防音室へ消えていく前のように穏やかで、安心した。

シーツに背中をあずけ、ゆうくんの好きな正常位の姿勢になり足を開く。ゆっくり覆いかぶさってきたゆうくんは静かに微笑んでいた。不気味なくらいにきれいな表情だった。

「このままでも、いい?」
「……いいよ」

承諾すると、ゆうくんはコンドームをつけずに熱い性器の先を押し当ててきた。

「ん、あっ……!」
「はあ……中あついね……」
「俺も、っんあ、あっ、あ!」
「ふふ……」

内側の感想を述べたゆうくんはそのまますぐ腰を打ちはじめた。優しい表情に似つかわしくないくらい激しく、奥を突いていく。まずはゆっくり抱き合ってお互いに恥ずかしいことを囁きたかったのに、早々に喘ぐことしかできなくなってしまった。

「あ、あぅ、やぁ!」
「やだ? もっといやがらせてあげよっか」
「んあ、っあ!」

ゆうくんはいつも激しいわけではないし、いつも生でするわけでもない。ついばむようなやわらかいキスを繰り返し、抱きしめ囁き全身全霊で俺を甘やかしてくれることも多い。いや、そういうときのほうが多い。今日はタイミングが悪いのだ、仕方ない。

激しいピストンのたびに入り口が内側に巻き込まれ、思わず息を飲んだ次の瞬間に貫かれている。ゆうくんはいつも通りの涼しい表情のままなのに、息は荒れ性器が固くなっているから興奮する。

「んあ、はげし、はげし……っ!」
「激しい? うん、激しくやってるよ……」
「んあ、あっう、ぅあ!」
「はは……ごめん」

突き上げるような快感に意識が遠のきそうになっていたが、その中でも一瞬冷静になるほど、ゆうくんの「ごめん」は不穏に響いていた。なにについて謝っているのだろう、と覆いかぶさるゆうくんを見上げると、ゆうくんは眉を下げて笑っていた。そして、白く華奢な指先が首もとにかかる。

「ごめん、ごめんね」

か細く謝りながらゆうくんは手に力をいれた。絞められた首もとがぎりぎりと音を立て、自分の脈がわかるほどびくびく震えている。

はじめは痛い。すごく痛い。すぐ、全ての細胞がぐわりと目を覚ます瞬間がきて、身体中が熱くなり節々がどうにか生きるため懸命に痙攣する。意識が遠のいていく。快感によるものとは違い、冗談でなく生死にかかわるものだ。はじめてこの行為をされたとき、終わったあとで「あのときナカがすっごい動いてた」と淡々と語ったゆうくんをやっぱり正気じゃないと思った。

ふいに力をゆるめたゆうくんは、自由になった俺が身体をびくつかせながら激しくむせこむのを見て、とんでもないことを言った。


「かなたくん、だいじょうぶ?」


正常な呼吸を取り戻すには時間がかかった。そのあいだずっと、ゆうくんは、挿入したままごめんごめんと繰り返していた。目の前で起きた火事に、解決方法を見つけられず焦った無力な子供みたいに。

時間をかけようやく少し落ちついたあと、俺はじんわりと汗ばんだゆうくんの薄い胸板を撫でながら口を開いた。


「……いいよ」


俺は実はね、舞台に立つお前を見てるとあんまりかっこよくてあんまりきれいですきすぎて勃起する。だからとにかくお前の近くにいたいの、触れられたらしあわせなの。だからもっと俺をつかって、憂さ晴らしをしてもらいたい。そして健康になったお前が快活な笑顔で再び舞台に立ってくれたら本望だ。


そして俺の望みを叶える上では、ひとさじの同情が邪魔だ。謝ったり頭をさげたり、そんなものは求めていないから、思うさまはけ口にしてくれたらいい。


「ごめ……ごめんねぇ……」
「ぅわ、あっ、あ!」
「かなたくん、すき、すき」
「うあ、あ、あ!」


泣きながら喘ぎながらゆうくんが困ったようにイってしまうとき、ゆうくんにとって俺の存在はすごく大きくなっているのではないかと思う。それは信憑性のない憶測で、その上自分の希望も入り込んでいるからたちが悪い。

目を閉じて、内側で脈打つゆうくんを感じているととつぜん頬に滴が落ちてきた。目を開けると、すぐそこにぼたぼたと目から滴をこぼしているひどい顔のゆうくんがいた。

「愛してる、愛してるんだよかなたくん、ごめんね」
「うん、もう分かったって」

ゆうくんはイったあとも、挿入したまましばらく俺を抱きしめていた。慰めか償いか、よく分からないその行為は数分続き、ふいに終わってゆうくんは身体を起こした。

「……かなたくん」
「ん?」
「お腹すいたりしてない?」
「あー、空いた空いた」
「なに食べたい?」
「チキンラーメン」
「そんなもんでいいの?」
「うん」
「じゃあ作ってあげる」
「いいの?」
「いいよ。ちょっと待ってて」

処理を終えたゆうくんは部屋を出て行くとき、ベッドの上の俺をふりかえってすこし笑った。現実味がないほどに美しい笑顔を見ながら、俺はシーツに埋もれまぶたを閉じ、現実から遠ざかっていくのだった。








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