4話
試合はあっという間に終わってしまった。俺は複数回に渡って得点しチームに貢献できたけれど、結局負けてしまった。試合後、それぞれにシャワーで汗を流したり着替えたりしている友人たちの合間をとおりぬけ観覧席へ向かった。
高岡さんは下から見上げたときと同じ席に座ったままぼんやりと物思いに耽っていた。近付いていく俺に気づき、顔を上げた。
「おつかれ」
「あっちー、まじ疲れました」
俺は首から下げたタオルで、汗を拭いながら高岡さんのとなりに腰を下ろした。正直、すこしだけ期待していた。伊勢ちゃん大活躍だったな、すごいな! と、笑って言ってくれるのではないかと思っていた。しかし高岡さんは、誰もいなくなってしまったコートを見下ろしながらぼんやりしている。
「なんか体力年々落ちてる気がするんすよねー。昔はこんくらいじゃ疲れなかったんすけどね」
「んー……」
「今おれまじで汗くさいんで近付かない方がいいっすよ」
反応の薄い高岡さんを茶化すように、冗談めかして言ってみた。しかし高岡さんは、笑ってくれるどころかむっつりと不機嫌そうに眉を寄せたのだった。
「……でもあいつには近付いてたな」
「え? 誰ですか?」
「名前なんだっけ、さっきの長身」
「あー……黒部?」
「あいつ、試合中も休憩中もずっと伊勢ちゃんにベタベタしてたじゃん」
「いやベタベタって……普通ですよ」
「えーでも伊勢ちゃんだっこしてぐるぐる回したりしてた」
「誰かが得点したときはそういう喜び方するもんなんすよ」
まさかサッカーやフットサルの試合を生まれて初めて見たというわけでもないだろう。得点したFW選手を抱きしめ持ち上げぐるぐると回転し、大袈裟に喜んでみせる様だってめずらしいものではないはずだ。しかし高岡さんは、俺が誰かと楽しげに触れあっているというだけで不機嫌になってしまう。
「高岡さんが嫉妬深いの知ってましたけどちょっとひどいですよそれ」
「いや嫉妬っていうかさ、あいつあからさまに俺に対して……」
高岡さんは何か言いたげにくちびるを開きかけた。そのとき、底の厚い靴の音が聞こえ誰かが近付いてきた。振り返るとそこに、長身の影があった。
「あ、いたいた伊勢さん」
「お、黒部」
黒部はシャワーを浴びた後着替えたらしく、さっぱりと清潔感のあるシャツ姿だった。金色の髪はどこかしっとりと濡れたままだ。黒部はまっすぐに俺のとなりにやってきた。
「なんかこの後打ちあげ兼ねて酒ありでメシ食うらしいっすよ」
「あーそうなの?」
「んで出欠とってるんですけど、伊勢さんどうします?」
「あー……俺はいいや」
「高岡さんと一緒に帰るんですか?」
「え?」
思わずとなりの高岡さんを見てしまう。助け舟を出してくれるかと思ったが、高岡さんはさきほどまでの無表情のままなんの反応もない。この場はどうにか俺自身の力で切り抜けなければならないようだ。
「あーいや、えー……まあ……」
焦った俺はあいまいな相槌を打ってしまった。それは自分の耳にも不自然に届いた。
考えてみれば、高岡さんと一緒に来たのだから帰りも一緒になるのではないか、というのは至極真っ当な発想だ。自意識にかんじがらめになった俺は、その響きからも「付き合っていることを勘付かれているのではないか」と怯えてしまっていたのだった。
「伊勢さん今日大活躍でしたね!」
「え? あ、あぁ、うん」
しかし黒部は特に引っ掛からなかったらしい。とつぜんまったく違う話題を楽しげに引きだされたので、俺はむしろ安心してその話に乗っかった。
「まあ俺っちゃあ得点王だからなー。日本のロナウドだからなー」
「さっすが、かっこいー!」
ふざけて胸を張ると、黒部も笑いながら同調してきた。変にぎくしゃくした空気が流れるのよりずっといい。俺の不器用さを拭ってくれたようで、むしろ有難い。
しかしとなりの高岡さんは、いまだ感情の読めない顔のままグラウンドをじっと見つめている。グラウンドにはもう誰もいない。熱心に見つめるべき対象もない。けれどそうしていないと、感情に蓋ができないのだろう。そんな高岡さんに気をとられていた一瞬のうち、ふざけた黒部が腕を広げて身を寄せてきた。
「伊勢さんいっけめーん!」
「え、あ」
とつぜんのことで反応が遅れてしまった。一瞬、俺は確かに黒部の胸元に導かれ、抱きすくめられた。男同士でもたまにこういうふざけかたをする奴がいるのだ。抱きしめたり、撫でたり。いつもなら反射ではねのけられるのに、今の俺はその動きができなかった。
冷静になった俺はようやく黒部を突き飛ばした。硬直してしまった時間をごまかすために力をこめて拒絶をした。冗談にしてはきびしすぎるリアクションだったので、俺はふざけた言葉を付けたすしかなかった。
「痛いですよ伊勢さーん」
「俺いままじ汗くさいから他人に近付いてほしくないのーパーソナルゾーン入んないでくださいー」
「俺だって汗かいてんだからそんな変わんないっすよ。一緒に汗まみれになりましょ」
「い……いやだよばか!」
黒部の対応をしながら、おそるおそる高岡さんの横顔を盗み見る。高岡さんはもう無表情とは言えなかった。口角をぐっと下げ眉を寄せ、心底面白くなさそうにしていた。俺は黒部の背中を叩きながら声をかける。
「と、りあえず早くいけお前は」
「なんでですかぁ、お話しましょうよー」
「話すことなんかねーよ、ほらさっさと行け」
その後も黒部は何か言っていたが、拒絶の姿勢をつよくするとしぶしぶ去っていった。黒部のよく通る声が消えてしまった観覧席は、とたんに静かになった。高岡さんは腕を組んで座ったまま、じっと前を見据えている。空気が汗をかいた肌にびりびりと痛い。俺は小さく弁解の言葉をつぶやく。
「いやー……体育会系のやつってスキンシップ激しくて困りますよね……」
「いや、そういうんじゃなくて」
高岡さんはようやく俺を見た。久しぶりに視線が交わった気がした。不機嫌なときの高岡さんの目は、深く重く、感情をせき止めるために厳しい色をしている。
きっと、あんなやつに触られんなよ、とか言いたいのだろう。たやすく想像できる台詞は、正直聞きあきたものだ。高岡さんは俺の交友関係を単純にせばめたいのでは、と思うような頻度で、そういう言葉を口にする。なにか言いかえしたいという思いも、使い古されるうちに消えていった。俺はそっと俯き、高岡さんの不満を受け入れる体勢に入った。
「ほんとにさあ、気をつけろよ伊勢ちゃん」
「あー……はい」
「あいつ多分ゲイだから」
「……はい?」
思わず顔を上げた。高岡さんはふざけるときでも、うそをつくときでもなく、真剣に訴えるときの表情のまま言った。
思い描いていた台詞とは180度違う言葉は、耳に入っても脳に届いても、疲れ切った俺には理解できないものだった。
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