リクエスト | ナノ



サド岡さんとマゾいせちゃん



敗因は二つある。

一つは共通の友人に「メシ食いいこーぜ」と声をかけられた俺と高岡さんが、二人とも何の疑いもなくノコノコついていってしまったこと。

二つ目はたどり着いた先がメシ屋ではなく大型コンパを兼ねたクラブイベントで、数合わせに呼ばれたのだと気付いた段階で帰らなかったこと。

この二つのせいで俺たちは長い時間を潰すハメになってしまった。ネタ晴らしをした友人は、本当にすまなそうに「いてくれるだけでいいから、会費とらないから好きなもの食って」と言う。

フロアでは男女が踊り狂っている。クラブも出会いも目当てにしていない俺たちは、喋るのも難しいほどの爆音が鳴るフロアを抜け出し、ブラックライトがともるブースに座っていた。

「俺音楽分かんねーからどういうノリが正しいのかよくわかんないんですけど……」
「俺もこっち系は詳しくないからなー」
「耳いってぇ……帰っちゃだめっすかね」
「いーんじゃね、どっかで目ぇ盗んで帰ろうぜ。でもせっかくだからメシ食いたいよな」
「そうなんですよね! とりあえずメニュー全部制覇しましょうよ!」

立食形式らしく、フロア外の長テーブルにフードが並んでいる。俺は肉も魚も普段は食べない野菜も片っ端から皿に盛り付け、せめてもの収獲を得ようと必死になっていた。

「それにしてもメシ豪華ですよね! ローストビーフとか肉系充実してるし、あっちにケーキみたいなのもいっぱいありましたよ」
「伊勢ちゃん甘いもんそんな食えないでしょ?」
「そうです。だからあの辺は高岡さんに任せます。俺はしょっぱいもんとからいもん攻めます」
「俺別にそこまで甘いもん食いたい気分じゃないんだけど」
「もったいないじゃないっすか!」

友人はさっそく女の子に声をかけ、ともにフロアへ消えていった。貧乏性の俺たちを置いてフロアは今も揺れ、合間に拍手と歓声が聞こえる。そのとき、ゆらりゆらりと近づいてきた影が一気に間合いをつめてきた。

「すみませーん、お隣いいですかあ? 私たちこのイベント初めてで……」
「あ、ごめんここ人来るから」

俺が手を止め、顔をあげ、露出の高いファッションに身を包んだ女性二人組を認知し、彼女たちに声をかけられたことに気付くまでの時間に、高岡さんはばっさりと言い切ってしまった。女性二人はアーソウナンデスカーと呟いて去っていったが、当然ながら人が来る予定などない。

「ほんとあしらうのうまいですよね」
「伊勢ちゃんがとられちゃったら困るからね。伊勢ちゃんひとりだとぼーっとしてっから」
「失礼な」
「実際そうじゃん。人疑うことをしないっつーかさ、長所だとは思うけどこういう場所だと怖いよねー」
「そんなことないです俺だって人並みの危機感はありますぼーっと生きてるわけじゃないです」
「今食ってるメシの代金後から請求されたらどうすんの? ローストビーフガンガン食ってたから8万円なー、とかって」

会話の最中もひたすら動かしていた箸を止める。高岡さんは俺の反応に吹き出した。

「うそうそ。冗談だよ。そんくらい人を疑うことを覚えたほうがいいんじゃないって話」
「……人を騙すようなことするのは高岡さんだけです」
「もしそういう悪い奴がいたら俺が守ってあげるからね。はいあーん」

高岡さんと話していると、こいつ話通じてんのかよ、と思うことがよくある。そういうとき高岡さんは同時に俺の思考を停止させる術も持っているのだ。現に今も、スプーンを唇に押し当てられたのでツッコむよりも目の前のスプーンを受け入れることを優先してしまう。二秒後、盛大にむせこむことになるとも知らずに。

「ごほっ、ちょ、ま」
「え?」
「なにこれ、なんかめっちゃからい」
「そうなの? これ何?」
「わ、わかんないチリビーンズみたいなやつ。むっちゃからいやばい!」
「へー?」

まとまりもない多国籍料理を片っ端からとっていったから気付かなかった。フードの中には、スパイスが効きすぎたメニューも何食わぬ顔で並んでいた。高岡さんだって知らなかっただろう、俺の反応を見てはじめてその味に気付いたはずなのに、突然うれしそうな顔を見せてさらにぐいぐいとスプーンを押し付けてきたのだった。

「んあ……っ! ちょ、まじ無理ですってほんと、これおかしいってなんなのこの辛さ、無理です、食えないです」
「いーじゃん、伊勢ちゃんからいもの好きなんでしょー?」
「いやいや無理だってば高岡さんだってからいもん食えないくせに何楽しそうにしてんの」
「ん? 楽しいから」

やっぱり話通じてないこの人! いつの間にか高岡さんに肩を抱かれた俺は、逃げ場を失った状態で高岡さんにチリビーンズ責めされている。っていうかなんだそれ、チリビーンズ責めってなんだよ。舌の先が痛い、口の内側がかゆい。高岡さんは笑っている。

「んあ……っ、ちょ、むり無理ですってほんとこれめっちゃからいくちびる痛い」
「ほんとだーなんか顔真っ赤になってきちゃった。そんな辛いんだ、はははっ」
「何笑ってんのほんと意味わかんないんですけど」
「ははは、涙目になってんじゃん。こっちこそ意味わかんないよなんで辛いもん食べて泣かされちゃってるの伊勢ちゃん」
「あんたがそういうことするからでしょ!?」

本当に、楽しくて仕方ないというようなうれしくてたまらないというような目が、眉が、口元が、またたく照明に合わせランダムに照らし出される。心の底から逃げ出したいと思うのに、高岡さんの前で俺はいつ弱者でなくなるのだろう。


「こんばんはあ、ここ座っていいですかあ? 二人ともすごいかっこいいすよねー、どこから来たんですかー?」


さっきの女の子たちではない、まったく別の二人組が近づいてきて、声をかけられた。良かった、水を差してくれてよかった。これで解放される。そう思っていた。


しかし予想に反し、高岡さんは振り向くことをしなかった。俺の肩を抱いたまま無理やり口に指をつっこむ。強引に口を開けさせスプーンを押し込む。高岡さんははじめから、彼女たちの対応をするつもりなどさらさらない。


「ちょ……っ!」
「……」
「んあ、た、たかおかさ!」
「……なに?」
「あ、ちょ、やめ、むいれす……!」
「なにが無理? ちゃんと言って?」
「も、食えないってそれ、無理ですからあ……っ」
「うん? 無理だからどうするの、どうしてほしいの?」
「もっ、くち、口ん中いれないで……っ!」
「なぁに?」
「くっ、口んなか、やめて、やめてください、おねがいしますからっ」

ようやく高岡さんのスプーンが離れていって、俺は息を切らしながら目をかっぴらく。短い爪でなぞられた舌先が痛くて背筋が震える。辺りを見ると、いつの間にか先ほどの女子たちはいなくなっていた。当然だ、なんだあの男二人キモチワリィ、と言われているに違いない。だって。

「……皿、空になっちゃったね。俺がとってきてあげるよ、伊勢ちゃん何食べたい?」
「……っ……」
「伊勢ちゃんどうしたの、まだ食べるんでしょ?」
「……ない……」
「なに?」
「も、もう食べないです……っ」
「じゃあどうする?」

公衆の面前で「あーん」なんかしてるし、片割れは辛いもの食べさせられて半泣きだし、もう片方はそれを見てにやにや笑っている。


「ふ……っ、帰ります……っ」


その上、厳しい目で深く見つめられて勃起までしてしまっているのだから、言い逃れる術なんてない。こんな風になるのなら、早く、早く帰っていればよかったのだ。敗因は、高岡さんを信じたことだ。





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