ルッチ [ 27/50 ]

気が付くと、ルッチは見知らぬ地にぽつんと立っていた。
ぎょっとして身構えたが、そこで彼はこれは夢だと気が付いた。
ベタな手段だが、頬をつねってみると、思った通り何も感じない。

たしかガレーラの仕事を終わらせた後、ブルーノの酒場で適当に酒を飲んで家に帰ったはずだ。
ハットリが眠りに着くのを見届けて、自分も目を閉じた。
なにやら、始終誰かのことを考えていたような気もする。
それが誰なのか何なのかが思い出せず、ぎゅっと眉を寄せたがやはり分からない。

そこでいきなりざあっと吹いた風に髪を煽られ、一瞬視界が黒に染まる。
髪を直して見渡すと、そこは小さな墓地のようだった。
いくつも飾り気の無い墓標が並び、たくさんの色がある中で無機質な絵画を思わせた。

その絵画の中に、自分以外の人間の姿を見付けた。

「お兄さん、おはようございます」

「ああ」

目の前には、小さな小さな子供がぽつんと1人。
自分ひとりだと思い込んでいたので、視界に入ったその姿に不覚にもルッチは少しばかり動揺させられた。
しかし、何の抵抗も無く口から出た返事。
そのことにも動揺させられながら、その子供に近付いた。

「お兄さんもお墓参りですか?」

「いや」

「なら観光の方でしたか?ここには博物館と農場くらいしか見るものも無い気がしますが…。とっても良いところですけどね!」

「そうか」

「あと西の砂浜が綺麗ですし、夜には東の岬に行けば毎日お祭り騒ぎですよ。それからそれから…」

「おい」

「それから、ぼくのおうちも喫茶店をしていて」

「おい」

子供は笑っていた。
その子供の前にあるのは、おそらくはその親族か何かのもののようで、白い花束が供えられている。きっとこの子供が持って来たものだろう。
こちらがほとんど何も言っていないのに、子供は島の説明を止めようとしない。

それは何かを吐き出すような、それでいて何かをせき止めているような。
その姿を、なぜかとても愛おしく思った。

変わらず笑顔で言う子供は、見たところ9・10歳といったところか。
真っ黒の短髪に、くりくりと見上げてくるダークブラウンの瞳が、不思議ととても心地良かった。
なんとなく見覚えがあるような無いような。
そんな曖昧な感覚を追い払って何度でも声をかける。

「おい」

「ああすいません、勝手にしゃべっちゃって…!」

「なぜ笑っている。それはお前の身内の墓じゃないのか」

自分には理解できない感情だが、普通一般は泣いて喚いて時には狂うらしい。
墓は見るからに新しく、子供も顔には涙の痕が分かりやすく残っていた。
それなのに、なぜこの子供は俺に笑って話す?
なぜ俺はその姿を抱き寄せたいと思う?
なぜその小さな手を握っている?

「そうですね、お父さんとお母さんが昨日からここに」

「なら勝手に泣くなり喚くなりしろ。俺には関係ないことだ」

そう言う割には小さな手を離さないルッチは、いつの間にかその場に膝を付いて子供の目を見ていた。
赤くなった目蓋や頬に指で触れると、乾いているが泣いたことが良く分かる。
そのまま何度も撫でるように触れたままでいると、くすぐったそうに子供がくすくすと笑った。

「たくさん泣きましたから、もう良いんですよ」

「嘘をつくな」

「嘘なんて言いませんよ。もう出なくなっちゃいました。ほら」

自分で頬をつねって見せた子供は、ね?と笑うのをやめない。
ルッチが黙ったままでいると、頬から手を離してまたへにゃりと笑って見せる。
それが無性に腹立たしくて、小さな手を握る腕に力をこめる。

どんどん強くなる力に、子供が不思議そうにルッチを見た。

「痛いか。泣け」

「お兄さん?」

「泣け」

ぎしっと手が軋む音がして、さすがに子供も逃げる素振りを見せた。
それを許さずに手を掴んだまま、もう一度命令する。

「泣け」

「お兄さん、手を…っ」

「痛ければ泣け。泣いて見せろ」

なぜここまで自分が腹を立てているのかも分からないまま、牙を剥いて子供を睨みつける。
そこまできて、やっと子供が目を潤ませた。
ぱたりと一粒地面に落ちたのをきっかけに、完全に子供の涙の堤防は決壊したようだった。

「ふ、うあああ、ああああああっ」

何かが切れたかのように泣きだした子供は、叫ぶように声を上げて涙を流し続けた。
もとからあった涙の痕を上書きしながら、ぼたぼたと服や地面を濡らしていく。

「おと、さん、おかあさん、あああ、ああああああ」

何度も墓の主を叫び呼ぶ姿があまりにも胸を刺すので、堪らず手を引いて抱き寄せた。
自分の肩に子供の顔を押し付けるようにして、ぎゅうぎゅうと体を締め付ける。
子供の声はいっそう大きくなり、あたたかい涙が肌を伝っていくのが分かった。
気付けば子供の腕が首に回されて、2人でお互いにしがみつくようにして風を受けていた。

「おとーさん、おかーさん、いやだ、やだあ…っ」

すぐ近くにある子供の体から香るのは、太陽と林檎の甘い匂いと色濃い死臭だった。
死臭を取り除きたくて、彼は何度も何度も震える背をさすった。
それでも微かに香る死臭に、泣き続ける顔にこれでもかといくつも口付ける。
止まらない涙を一滴残らず舌で受けて、泣けと言ったくせに今度は笑ってほしいと願った。

「お、にいさ、おにいさ、ん」

「聞いている。ここにいる」

「ありがとう、ごめんなさ、い」

やっと息も落ち着いてきた子供の最後の一滴らしい涙を飲み込んで、まだ何か言いたげだった唇を一瞬だけ塞いでしまう。
きょとんと見上げてくる真っ赤になった目を塞ぐように目蓋にもキスを落として、子供の名前を呼んだ。
声にならなかったそれは、子供にも聞こえなかったようで首を傾げられた。

「   」

もう一度呼んでみてもやはり声にならないその名前は、不思議と頭には浮かんでこない。
そもそも、見知らぬ子供の名前をなぜ呼ぶことができるのか。

だが、今まで何度も呼んだ気がする。
その声に何度も振り返ってもらった気がする。
それでも名前が思い出せない。

「お兄さん、もう大丈夫です」

そう言って笑う子供をまた愛おしく思って、もう一度名前を呼んでみようとルッチが口を開いた瞬間、開いたのは彼の両目だった。

「クルッポー!」

「…ハットリ」

なにやら肩が冷たくて起き上がってみると、びしょ濡れのシーツに転がったガラスの水差し。
ベッドサイドの小棚に置いておいたものをハットリがひっくり返したらしく、申し訳なさそうな目が見上げていた。
それを適当に拭いて、なぜか頭に浮かんだ単語を口にした。

「ハルア」

何か夢を見たような気がしないでもないが、今はあの小さな姿が見たくて仕方なかった。
あの子の名前が呼びたい。


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