10. betrayer

大吾さんと会った二日後、峯さんから「今から会えないか」と電話があった。
私はタクシーで峯さんの自宅に向かうと、タクシーから家に入るまでの間は少しでも人目につかない様に小走りをする。
というのは建前で、私は峯さんに会いたくて堪らなかった。

「突然呼び出して悪かった」
インターフォンを鳴らすとすぐにドアが開かれて、中から出てきた峯さんは一言目にそう言って私を部屋へ通した。
なんか……今日の峯さん、いつもと違う。
お風呂に入ったのか、いつも綺麗に後ろに撫で付けられている髪は前に垂れているし、髪全体が少し湿っている。
見慣れない淡いブルーのシャツは前が少しはだけていて、チラッと見える鎖骨がとてもセクシーだ。
峯さんの醸し出す色気にドキドキしながらリビングのソファーに腰掛けると、背もたれに腕を乗せてこちらを見た峯さんが私をじっと見てきた。
「いつもより幼く見えるな」
あの日を境に、峯さんは私に対して敬語を使わなくなった。
「え? あ、メイクかな。電話が来る前にお風呂入っちゃったから、軽くしかメイクしてなくて……」
急いで準備して来たからメイクはいつもより薄いし、髪もストレートで下ろしているだけだから幼く見えるかもしれない。
指摘されると急に恥ずかしくなってきて、ちゃんとメイクしてくれば良かったなと後悔した。
前髪をペタペタ触りながら少しだけ俯く。
「悪くない」
峯さんはソファーに肘をつきながら、愛しそうにそう言って私を見つめてきた。
心臓のドキドキが一向に治らない。
一度落ちたらもの凄い勢いで峯さんの事が好きになってしまって、峯さんの容姿行動全てがカッコ良く見えてしまう。
綺麗だけどちょっと怖い顔も、顔に似合わずムキムキな体も、低い声も、高級ブランドで固められた気取った服も、余裕ぶってるけど実はちょっと子どもっぽい所も……全部が私を夢中にさせる。
私はどうしようもなく触れたくなって、隣に座っている峯さんの肩に寄りかかって腕に手を回した。
するとその腕はすぐに引き抜かれてしまい、私の後ろを通って肩を抱き寄せてくれた。
体がぴったり密着する。
頭を撫でられたり、髪を触ってきたり、手の甲をくすぐってみたり、指と指を絡めたり、見つめ合ったり、キスをしたり……。


『好き』


その言葉が出そうになって飲み込んだ。
いくらキスしても抱き合っても、それだけは口に出してはいけない気がするから。
同じことを思っているのか、峯さんの口からもその言葉が出る事はない。
「なまえ」
抱きしめられてそのままソファに押し倒されると、峯さんの手が私の服の中へ滑り込ませてきた。
するするとお腹を手のひらで撫で、着ている服を捲り上げると、峯さんは露わになった私の胸元にキスを落とした。
その時、キスが落とされた部分にチクッと痛みが走る。
「だっ、だめ!」
キスマークをつけられる事を恐れた私は咄嗟に峯さんの体を押し返し、思わず声を荒げてしまった。
驚いた峯さんの顔はすぐ眉間に皺を寄せた怖い顔になり、それを見て私は自分の行動を激しく後悔する。
「…………」
やっと消えてきたキスマーク。
それをまた増やされたら、また大吾さんに嘘をつかないといけない。
峯さんは私の上でソファーに手をついたまま、気まずさから目を逸らす私を顔をしかめて見下ろしている。
「見られたらマズイからか?」
「っ…………!」
峯さんの言葉は、私の心に重くズッシリとのしかかった。
こんな風に思い切り拒否してしまったら、まるで大吾さんとそういう事をすると宣言しているみたいだ。
私は何も言えなくなって固まってしまう。
すると峯さんは腕を曲げて私の上に体を乗せ、首元に顔を埋めてきた。
「……今のは取り消してくれ」
低く掠れた声で小さく呟いたそれは、私の耳にしっかり届いた。
私は峯さんの首に腕を回して抱きしめる。

「覚悟したはずなのに、嫉妬でおかしくなりそうなんだ」

苦しそうに、今にも泣き出してしまうんじゃないかという声で峯さんは言った。
酷く胸が痛む。
峯さんが嫉妬深いのは、誰よりも私が一番良く知っている。
それなのに、そうさせているのは私。
もう、誰も傷つかずに終わらせる事はできないんだ。
私も峯さんも、覚悟を決めないといけないのかもしれない。













時計の針が午後六時を指す。
仕事を終えてデスクから立ち上がると急激に気分が悪くなり、視界一面が真っ白になった。
――やばっ、立ちくらみ……!
咄嗟にデスクに手をつき、そのまま椅子に倒れこむように座った。
「……はぁ……」
今朝から生理が来てしまい、椅子から立ち上がる度に貧血で立ちくらみがしてしまう。
生理痛はほとんどないから楽だけど、昔から生理中は貧血気味になってしまう私は鉄分のサプリが欠かせない。
なのに切らしていた事を忘れていて、最悪な事に今日は寝坊したから買う時間がさえ確保できず、一日貧血のまま仕事をこなしていた。
……でも、この間峯さんが避妊具を着けずにたくさん中に出してしまったから、生理が来た事に私は安心していた。
「サプリ買ってさっさと帰ろ……」
独り言を呟き、重い体を引きずりながら会社を出た。
「なまえ」
気分が悪いからボーッと下を向いたまま歩いていたら、横から聞き慣れた優しい声が私を呼んだ。
見上げるとそこには大吾さんがいて、不意をついたお出迎えに驚いて思わず大きな声が出てしまう。
「なっなな何でいるんですか?!」
大袈裟な私の反応に大吾さんはプッと息を吹き出した。
「そこまで驚かれると待ち伏せした甲斐があったよ。今日は仕事が早く終わったからなまえが出てくるのを待ってたんだ」
楽しそうに言う大吾さんに反して、私の気分は最悪だった。
仕事終わりに迎えに来てくれた事なんてないから嬉しいけど、今は体調が悪いしとにかく家に帰りたい。
タイミングが悪すぎる。
「どうした?」
周りをキョロキョロする私を見て大吾さんが不思議そうに言った。
「えっと……今日は一人なんですか?」
周辺には見当たらないけど、どこかに峯さんの待つ車が止まってるんじゃないかとソワソワしてしまう。
「ああ、今日はタクシーで来たんだ」
その言葉に安堵して、一気に体の力が抜けた。
またあの三人で飲みに行こうなんて言われた日には、気まずさで死んでしまう。
「腹減ってるだろう。飯食いに行かないか?」
そう来ると分かっていたから体調を理由に断ろうと思ってたけど、いざ大吾さんに笑顔を向けられながら言われるとそう簡単に断れない。
貧血のせいかまた気持ち悪さがこみ上げて来て、さすがにこれはちゃんと断らないと駄目だなと思った瞬間。
「なまえ?!」
視界が真っ白になったと思ったら私はいつの間にか大吾さんの腕の中にいて、とても心配そうな表情をした大吾さんが私の顔を覗き込んでいる。
私、貧血で倒れたんだ……。
ちょっと気分悪いなと思ったらその次の瞬間に意識が飛んでしまうから、貧血は本当に怖い。
「どこか悪いのか? 救急車呼ぶか?」
一瞬とはいえ意識を失った私を見た大吾さんはとても動揺している。
私は大吾さんの支えに頼って何とか体勢を立て直し、安心させるためにへらっと笑ってみせた。
「大丈夫です。実は今朝、生理が来てしまって……ちょっと貧血気味なだけなんです」
「……生理?」
「え?」
「いや、何でもない」
大吾さんは私の発言に顔を曇らせた。
だけどそれはすぐにはぐらかされてしまい、「家まで送る」と言って近くに停まっていたタクシーに私を乗せた。




「だいぶ落ち着いたか?」
私が寝ているベッドの横で、大吾さんはペットボトルの水を手に持ちながら心配そうに私を見下ろしている。
「はい……心配かけてすみませんでした……」
「男で貧血ってあまり聞かないから、よくわからなくてすまない。とりあえず大丈夫なら安心したよ」
寝ている私の頭を撫でてくれた。
その時の私は、『この人と結婚したら絶対に幸せになれるんだろうなぁ』なんて呑気な事を考えていた。
次の瞬間、大吾さんの表情が突然曇り出す。
「でも何で嘘ついたんだ?」
「……嘘……?」
「この前会った時、生理中だって言ってただろ?」
ーーしまった。
私は何て馬鹿なミスを。
貧血で頭がうまく回らなかったからって、何でこんな大事な事を忘れてしまったんだろう。
「…………ごめんなさい……その……この前はちょっと仕事で疲れてて……なんだか言いにくくて嘘をついてしまいました」
私は更に、嘘に嘘を塗り固めた。
「……そうか。しんどい思いをさせてすまなかった。でも、これからは嘘をつかないで本音を話してほしい」
話し方や態度は優しいけど、さすがの大吾さんでも内心は私に対して少しは怒りを感じていると思う。
どことなく、表情が固い。
「分かりました。本当にごめんなさい……」
それを聞いた大吾さんは、ベッドで横になる私の手を強く握りしめた。
「どこにも行かないでくれ」
……え……?
それは……どういう……
「体調が良くなったら連絡くれるか? 仕事も無理しちゃ駄目だぞ」
ボソリと呟いたかと思ったら、大吾さんは何事もなかったかのようにそう言って部屋を出て行ってしまった。
私は何も言えず、ドアが閉まるのをただ見ているしかできない。









あれから一週間くらいの間に、私は大吾さんとも峯さんともほとんど連絡が取れなかった。
二人とも電話に出ないし、メールを送っても返事は遅いし、返事が来ても「また連絡する」などと短いものばかりだった。
ヤクザの抗争とか、何かがあったのかもしれない。
大吾さんはいつも仕事の話を私にしてくれないから、今回もきっとそうだ。
そして更に一週間経った頃、大吾さんからやっと連絡が来て、その日の夜に私の家まで会いに来てくれる事になった。

ヴーヴーヴー……
大吾さんに会う準備をしていると、ガラステーブルに置いてあった携帯が鈍い音をたてながら鳴り始めた。
「あ……峯さん……!」
久しぶりに来た峯さんからの連絡に胸が高鳴った。
大吾さんとほぼ同時に連絡が来たという事は、やっぱり仕事で何かがあったに違いない。
「もしもし……」
ドキドキしながら電話に出ると、ずっと聞きたかった峯さんの低くて掠れた声が耳をくすぐった。
『今すぐ会いたい』
そう言われ、思わず涙が出てしまいそうになる程嬉しさで飛び上がりそうだった。
……だけど、私はこれから大吾さんと会う約束がある。
「実はこの後大吾さんと会う事になってて……」
言いにくいけどそうハッキリ言うと、少し沈黙してから口を開いた。
『少しだけでいいから話したい。今から行くから、いつものコンビニまで来てくれ』
それだけ言って、一方的に電話を切られてしまう。
「……あと一時間……」
大吾さんが私の家に来るまであと一時間ある。
少しだけなら会える。
少しでいい、私も峯さんに会いたい。
私は大急ぎで準備を終わらせ、峯さんといつも待ち合わせているコンビニへ向かって走った。
急いで準備を終わらせたのと、走ったのとで、電話を切って十五分後にはコンビニに到着できた。
コンビニの駐車場を見渡してもエナメルイエローのスポーツカーはどこにも見当たらない。
大吾さんが来るまであと四十五分。
時間のなさに焦りを感じた時、見慣れない黒い車の窓からスーツを着た男性がこちらへ向かって手招きした。
「えっ、峯さん……?」
見た事のない黒い車の運転席に、峯さんが座っている。
どうしていつもの車じゃないんだろう。
疑問に思いながら急いで助手席に乗り込むと、峯さんを見た瞬間に私は叫んでしまった。
「そっ、その怪我どうしたんですか?!」
峯さんの額と手には痛々しく包帯が巻かれている。
「大したことない」
「何言って……大したことありますよ! 一体何があったんですか? 連絡全然取れないし凄く心配したんです」
「……すまない」
峯さんはヤクザの事をあまり理解できていない私に、この二週間にあった事をわかりやすく話してくれた。
東城会の六代目の座を奪い取ろうと裏で糸を引いていた人達が行動を起こして、今は東城会内部が混乱している、と。
大吾さんの側近である峯さんも狙われていて、警戒していたものの昨夜闇討ちにあい、応急処置だけしてもらってさっさと病院を出てきてしまったらしい。
峯さんを襲った人達の行方を聞いたら、『始末した』の一言しか言ってくれず。
その台詞に思わず身震いし、極道の世界の怖さを今更になって実感してきた。
「慎重に出てきたから追手の心配はない。しばらく会えなくなるかもしれないから、どうしてもなまえに会いたかった」
怪我をしていない方の手で、困惑する私の頬を包み込んだ。
今、しばらく会えなくなるかもって……。
「本当に大丈夫なんですか? しばらくって……どのくらいですか? もし、もしも峯さんに何かあったら私……」
「そんな顔をするな」
峯さんは切なそうに笑みを浮かべると、涙が溢れそうになってきた私にキスをした。
怪我で包帯が巻かれている箇所に触らないようにそっと腕を回すと、頬を触っていた峯さんの手が私の頭の後ろに回ってきた。
頭を固定されて、私達は何度も何度もキスを交わす。

『離れたくない』

そう言っているかの様に舌が絡み合う。
キスの最中に少し目を開けてみると、瞳を閉じて私のキスに夢中になっている峯さんが目の前にいて、それが堪らなく愛しく思えた。
「み……ねさ……」
キスの合間に名前を呼ぶと「ん?」と返事が返ってきて、深いキスによって息が上がってきた私達の間に少し距離が生まれた。
「私……大吾さんに言おうかと思ってるんです。私には他に好きな人がい……」
「駄目だ」
峯さんの顔が急に怖くなって、私の発言を止めるかの様に被せて言ってきた。
「今の大吾さんは精神的にかなり追い詰められている。そこで貴方がそんな話を持ちかけたら、今後の東城会に支障が出てしまう。今は絶対に話しては駄目だ」
そう言い切られた私は、わなわなと身を震わせて峯さんのワイシャツの胸元を掴んだ。
「でも私……もう……大吾さんに会うのが辛くて……」
私は二人を同時に愛せるほど器用じゃない。
この短期間で、身にしみて分かった。
中途半端にバレて修羅場になるくらいなら、ちゃんと私の口から伝えて謝罪をしたい。
もうこれ以上、大吾さんも峯さんも、私自身も傷付きたくない。

「駄目だ」
また、峯さんに言い切られしまう。
「なん……で……」
じゃあ、峯さんはこのまま私が大吾さんと会っていても平気なの?
嫉妬で辛いって言ってたのに……。
涙がどんどん溢れ、支えきれなくなった涙袋からポタポタと音を立てて峯さんのワイシャツに流れ落ちた。
すると、そんな私を峯さんは強く抱きしめる。
「これが終わったら……俺から大吾さんに言う。だからそれまで待っていてくれ」
苦しいくらい強く抱き締められて、私はそっと頷いた。
苦しいのは私だけじゃない。
峯さんも苦しいんだ。
抱きしめる腕の力強さで、それが伝わってきた気がした。
私達は抱き合いながらこれが最後かのようにひたすらキスをし、大吾さんが私の家に来るギリギリまで離れる事が出来なかった。
別れ間際もなかなか繋がれた手を離せず峯さんを困らせてしまう。
「終わったらこっちから連絡する」
それだけ言って、峯さんを乗せた見慣れない黒い車は私の前からいなくなってしまった。









何も知らない大吾さんは峯さんと同じようにここ最近にあった出来事を私に説明してくれたけど、既に峯さんから話を聞いていた私は初めて聞いた風に頷くしかできない。
大吾さんも峯さんと同じように見た事のない車で私を迎えに来て、家に上がる事なく車内でずっと話をしていた。
「あまり連絡取れなくて悪かったな」
会えなかった期間は半月くらいなのに、大吾さんは大分痩せてしまった様に見える。
目の下のクマや、あまりちゃんと手入れされていない髭のせいかもしれない。
「私は大丈夫です。それより大吾さんは私なんかに会っていて大丈夫なんですか?」
「私"なんか"なんて言うんじゃない。俺はなまえに会えなくて辛かったんだ」
グッと腕を引っ張られて、大吾さんに力強く抱き締められた。
私を支えてきてくれた、優しい胸と腕。
「なまえ……好きだ」
愛おしそうに囁かれ、私は一瞬戸惑ってしまう。
だけど、同じ様に言い返すしかない。
「私も……好きです」
大吾さんの背中に腕を回して、疲れ切っている大吾さんをあやすように背中をぽんぽんと叩く。
上から唇が降りてきたからそれを受け入れると、大吾さんは私の頬を両手で掴んで何度も何度もキスをした。
呼吸が徐々に乱れ、頬に触れていた右手が下に降りていやらしく二の腕を撫で回す。
そして頬に添えていた左手は私の髪を耳にかけ、姿を現した耳元に大吾さんの唇がそっと触れた。
「……ん? 右耳だけピアスがないぞ」
…………嘘。
峯さんが買ってくれた、大事なピアスなのに。
「やだ……どうしよう……」
車内の電気を点けて探してみたけど、いくら探しても見つからない。
かなり小さいから家でも絶対失くさない様にいつも同じケースにしまっていたし、さっき峯さんに会う前は確かに着いていた。
急いでいたとはいえ、家を出る直前に鏡はきちんとチェックしたから。
一体いつからないんだろう。
もし落としたのだとしたら……峯さんの車か、ここに来るまでの道のどこかだ。
「もし見つかったらすぐに連絡するよ」
「……はい」
私はショックが大きくて、明らかに落ち込んでいる態度を取ってしまった。
たかがピアスごときでそんな落ち込んで……と思われてしまったかもしれない。
そんな時、車内に携帯のバイブレーションが鳴り響いた。
どうやら呼び出しがかかったらしく、大吾さんは電話の相手に「今から行く」と言ってから電話を切った。
「本当に短い時間しか確保出来なくてごめんな。また連絡するから」
大吾さんは申し訳なさそうに何度も私に謝まった。
そして車を降りる直前に、「念のためあまり神室町はウロウロしない方がいい」と忠告してから私の元を去っていった。

きっとしばらくは会えないだろう。
峯さんに会えないのは辛いけど、大吾さんに会えないのはどこか安心してしまう。
もう、嘘をつき続けるのは精神的にかなり辛い所まで来ていた。
帰り道や家の中でピアスを探したけど見つからなくて、きっと峯さんの車に落としてしまったんだろうなと思った。
でも帰り際に『終わったらこっちから連絡する』と言われてしまったから、こんな事で連絡するのは迷惑なんじゃないかと躊躇してしまう。
もし峯さんが見つけたら私のピアスだって分かるし、拾ったら取っておいてくれるだろう。
そう思って結局私は峯さんに連絡するのをやめた。
当分連絡はないと覚悟していたのに、翌日に何故かまた大吾さんから連絡が入った。
『ピアス見つかった。家まで取りに来てくれるか?』
このメールを見て私は大きく息を吐き出した。
やっぱり大吾さんの車で落としたんだ。
良かったぁ……。
すぐに『今から行きます』とだけ返信して、私はタクシーで大吾さんの家に向かった。











インターフォンを鳴らしても応答がない。
トイレにでも行ってるのかな?と思って試しにドアノブに手をかけてみたら、鍵はしまっておらずドアが開いた。
廊下を抜けてリビングに足を踏み入れると、トイレに行ってるかと思い込んでいた大吾さんはソファーに座って私に背を向けている。
「大吾さん……?」
寝ているのかと思って声をかけると、「ああ、来たか」と低い声で言ってゆっくり私の方へ振り向いた。
疲れてちょっと寝ちゃってて、音に気づかなかったのかもしれない。
「わざわざ連絡くれてありがとうございました。見つかって安心しました」
ふとテーブルの方へ目をやると、そこには私が失くした片方のピアスが置いてあって、キラリと蛍光灯の光を反射させた。
「あっ、これです!」
それに手を伸ばそうとした瞬間、立ち上がって私の方へ歩いて来ていた大吾さんが私の手首を掴んで動きを止めてきた。
「これがどこで見つかったか分かるか?」
その質問に最初は意味がわからなかったけど、見上げた先の大吾さんの表情を見て最悪な展開が頭をよぎった。
「……分かりません」
しらを切って頭を傾けると、私の手首を掴んでいた大吾さんの手にグッと力が込められる。
「峯の車だよ」
聞きたくなかった台詞が大吾さんの口から出てしまった。
――勘付いている。
大吾さんから滲み出るオーラや声のトーンに、私の体は酷く動揺して固まってしまった。
力を抜いたら、体が震えてしまう。
声を出したら、声が震えてしまう。
動けない。
どうにか冷静を保とうと息を整えていると、大吾さんはテーブルに置いてあったピアスを手に取ってそれをじっと眺めた。
そして、壊れてしまうんじゃないかという程に強く握りしめる。
「俺に隠れて昨日峯に会ったんだな」
その言葉を言われた瞬間、わたしの心臓が激しく鼓動した。
"俺に隠れて"
密会している事を大吾さんに知られてしまっている。
ピアスが落ちていただけで……
いや、ピアスが車に落ちていたらそれだけで私達の関係はある程度予想できる。
送り迎えをしてもらうのを辞めたし、昨日峯さんはいつもと違う車に乗っていた。
そんな中、あの車でこのピアスが見つかったらもう言い訳できない。
私が何も言えないでいると、後方から玄関のドアがガチャリと開いた音が聞こえてきた。
リビングに向かって歩いてくる足音が響いて、私の心臓はドクンドクンとどんどん大きくなっていく。
後ろを振り向けない。
そして、その足音がリビングの入り口辺りで止まった。
「……よう、峯」
リビングに入ってきた峯さんに、大吾さんが声をかける。
それに対して峯さんの返事はない。
彼は今、どんな顔をしているんだろうか。
「何でここに呼ばれたか分かってるな?」
大吾さんが話しかけると、峯さんは短く「はい」とだけ言った。
峯さんも分かってるんだ。
大吾さんに知られてしまったと。
「昨日の夜、峯の車に乗った時このピアスを見つけた。なまえの反応を見て、これがなまえのピアスだとさっき確信した。そこでだ、これが何で峯の車から出てくるんだろうな」
大吾さんは握りしめていた私のピアスを指先で摘んで眺めながら言う。
私と峯さんはただ黙って大吾さんを見ていた。
大吾さんは持っていたピアスをテーブルに置き、そのままテーブルに手をつきながら私達の方へ体を向けた。
「隠し事されるのは嫌なんだ。正直に話して欲しい。昨日、俺の知らない所でお前達は会ったのか?」
そう言う大吾さんの顔はとても苦しそうで、お願いだから何かの勘違いでいてくれ、とでも言っているかのように見えた。
でも、今ここでまた嘘を言えば、私達はこの先もずっと隠し続けなければいけない。
大吾さんをもっと深く傷付けてしまう。
どうやったってみんなが傷付く結果になるのは目に見えてるけど、今またここで誤魔化して『あの時言えば良かった』って後悔するのはもっと嫌だった。
震える体を押さえつけるかのように手のひらを強く握り、意を決して口を開く。
「大吾さん……ごめんなさい。私、峯さんと……」
「なまえ!」
峯さんの大きな声が部屋に響いた。
『それを言ってはいけない』
そういう意味を含んだように、峯さんは私の名前を呼んだ。
すると私の前にいた大吾さんが近くにあったテーブルを突然思い切り叩いて、その大きな音に私の体がビクッと大きく縦に揺れる。
「何で峯がなまえって呼んでるんだ!!」
そう叫んだ大吾さんは峯さんを睨みつけると、大きな足音を立てながらリビングの入り口に向かって歩き出し、黙ったまま立っていた峯さんの胸ぐらを思い切り掴んだ。
そして峯さんは思い切り大吾さんに殴られてしまい、その勢いで床へ倒れこんでしまった。
「きゃぁ!!」
派手な音を立てて倒れた峯さんを見て私は思わず叫び声を上げてしまう。
大吾さんはそんな峯さんの胸元をまた鷲掴みし、無理やり立ち上がらせて壁際へ背中を押し付けた。
背中を向けられていたからどんな怖い顔をしていたか分からないけど、聞こえてきた低い声だけで怒りと悲しみに満ちているのが伝わってきた。
「峯……お前の事は本当に信用してた。だからこそなまえを紹介したんだ。なのに……何でお前……」
それでも峯さんは口を開かない。
それにイライラしたのか、大吾さんは大きな声で叫んだ。
「何か言ったらどうなんだ!!」
そう言うと峯さんの口角が上がり、やっと口を開いた。
「大吾さんは人の事を安易に信用しすぎなんですよ。だから俺みたいな人間に簡単に裏切られる」
「お前……!!」
大吾さんが再び峯さんに殴りかかろうと腕を上げた。
峯さんは続いて口を開く。
「でもそんな大吾さんに、俺は心底惚れ込んでいたんです」
それを聞いた大吾さんの右腕は一度ピタリと止まったけど、グッと握り拳を作るとまた峯さんの頬を容赦なく殴り飛ばした。
「……ふざけるな。そんな事言って俺の大事なものを奪ったのには変わりないだろ」
「大吾さん……もうやめて……」
勇気を出して止めに入ってみたものの、冷めた声で「少し黙ってろ」と言われてしまう。
大吾さんは壁際にもたれかかりながら座り込んでいる峯さんを冷たい視線で見下ろしている。
「……お前、なまえを抱いたのか?」
大吾さんのこの言葉に、一瞬私の心臓が動きを止める。
息がうまくできない。
ドクドクと信じられないスピードで脈が打ち始め、震える体を抑えられなかった。
「なぁ、抱いたのかって聞いてるんだ」
峯さんは何も言わない。
これじゃまるで肯定しているようだ。
だからと言って私も口を開く事が出来ず、室内は重苦しい空気が流れたままだ。
「もういい」
ため息をついたあと大吾さんはそれだけ言い、ポケットから取り出した携帯電話の画面に何かを打ち込み始めた。
メールだろうか。
するとその数秒後に玄関のドアが勢いよく開かれ、その激しい音に私の体がビクついた。
スーツを着た強面の男四人がズカズカと部屋に侵入してきたけど、大吾さんは何も言わない。
私は峯さんの身に何か酷い事をされるのかと思い、駆け寄ろうとするも大吾さんに止められてしまった。
峯さんは強面の男達に無理やり体を起こされると、一人の男が広げたパイプ椅子に座らされて腕を背もたれの後ろで縛られた。
容赦なく力の限り殴られたのだろう、峯さんの頬は赤黒く腫れ、口と鼻から真っ赤な血が流れ出ている。
頭に巻いてる包帯と相まって、その姿はかなり痛々しい。
腕だけじゃなく体全体もグルグルと頑丈そうな紐で椅子に巻きつけられて、峯さんは身動きが一切取れなくなってしまった。
そして男達は何事もなく部屋を出て行った。
「俺に何をする気ですか」
こんな状態になろうとも峯さんの声は冷静で。
それが余計に大吾さんの怒りを掻き立ててしまっている気がしてならない。
「お前には何もしない」
大吾さんは冷たくそう言い放つと、近くにいた私の肩を掴んでテーブルに押し倒した。
「いたっ……!」
硬いテーブルに背中と頭を叩きつけられて痛みが走った。
何事かと思って見上げると、大吾さんが見た事のない怒りに満ちた表情で私を見下ろしていた。
「なまえは俺のものだ」
私の両腕を固定して足の間に体をねじ込むと、覆い被さってキスをして来ようとした。
それを私は反射的に避けてしまう。
すると手を固定していた大吾さんの手が私の顎を掴み、嫌がる私に無理やりキスをしてきた。
「んっ……、んーっ……!」
必死に抵抗してもなかなか唇が離れない。
何とか舌の侵入は止められたものの、体は拘束されたままだ。
唇が離れて、ぷはっと息を吸い込む。
「峯には渡さない」
大吾さんの手は私の両腕を固定するのに十分な大きさで、空いたもう片方の手でブラウスを無理矢理脱がしてきた。
バチバチッと嫌な音を立てながらボタンが外れる。
足をバタバタさせるもそれだけじゃうまく逃げられず、露わになった下着も勢いよく剥ぎ取られてしまう。
そして、大吾さんは私の胸を揉みしだきながら膨らみの頂点に吸い付いた。
「やだ……! お願い辞めて!」
必死にお願いするも聞き入れてくれず、手と舌の動きは激しくなるばかりで。
私の叫び声とテーブルのガタつく音が虚しく部屋に響き渡る。
いくら私が浮気をしたからと言って、峯さんが見ている前でこんな事するなんて酷すぎる。
こんなの……強姦だ。
身動きが取れないから必死に叫ぶも、それはすぐにキスで塞がれてしまう。
そして、下の方から聞こえてきた金属音に体が硬直した。
背筋が凍る。
荒々しくスカートを捲りあげられ、まだ潤っていない私の秘部にスラックスから現れたモノが一気に侵入してきた。
「いやぁぁーーっ!!」
痛みで叫ぶと、「辞めてください!!」と峯さんの悲痛な叫び声が聞こえてきた。
拘束から逃れようと試みる椅子の軋む音が聞こえてくるけど、あんなに頑丈に拘束されて逃げられる訳がない。
峯さんが私の名前を呼ぶ度に私の心は酷く痛み、大吾さんはそれに対して怒鳴り返しながら腰を打ち付け続ける。
泣きながら辞めてと頼んでも、目の前の人は耳を傾けてくれない。
打ち付ける腰の動きは激しさを増すばかりで、そこに愛情なんて微塵も感じられなかった。

ーーこの人は誰?
こんな恐ろしい大吾さん、私は知らない。
そんな風にさせてしまったのは……
紛れもなく私だ。

「ごめっ……さな……ごめんなさい……!」

涙がボロボロ流れ落ちる酷い顔で、私はひたすら「ごめんなさい」と言い続けた。
大吾さんは止まらない。
きっと、聞こえてなんかいない。
「うっ……み……ねさっ……」
微かに峯さんの名前を呼ぶと大吾さんの腰の動きが更に速さを増し、私の中に精を吐き出した。
ドクンドクンと脈打っているのが、密着した肌から伝わってくる。
部屋には酷く乱れた大吾さんの息遣いと私の泣きじゃくる声だけが響いていて、もう峯さんの声は聞こえなかった。
大吾さんに犯される私を見て、一体どんな気持ちなのだろう。
怖くて峯さんの方を見られない。
助けて欲しいのに、助けを求められない。
大吾さんは床に落ちたスラックスを履き直して私を抱き抱え、そのまま峯さんを放置して家を出てしまった。
そして車に乗せられて、放心状態な私はただひたすら窓の外の景色を見ながら涙を流し、隣にいる大吾さんの方は一度も見なかった。
気付いたらいつの間にか私は自宅のベッドの上にいて、「また来る」と言い残した大吾さんの背中をぼんやり見送った。

この日を境に、私は峯さんの声を聞く事ができなくなってしまう。






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