素直じゃない | ナノ

7. 渦巻く感情


朝食を一緒に食べて、手作りのお弁当を渡し、峯さんをお見送りする。
夕食も一緒に食べて、片付けてる間にお風呂に入ってもらって、明日の準備をしてからから帰宅する。
これは毎日変わらない。
変わらないけど、峯さんの私に対する態度にどこか違和感を感じていた。

最近の峯さんは、私にあまり触れてこない。

ボディタッチをする人が少ない日本で、尚且つそれが付き合ってもいない男女の間での事なら当たり前だろう。
だけど、事あるごとに私に触ってはからかってきたあの峯さんがボディタッチをやめると違和感でしかない。
以前の私なら安心してるかもしれないけど、峯さんに対して素直に好きだと思えるようになってからそれがなくなるともう女として見られなくなったのではと不安になってきた。
でもあの日の夜は眠ってる私の頬にキスをしたり、頭を撫でたりしてきた。
もしかしたらあれは女としてじゃなく、子どもにするような「よしよし」的な意味だったのかも……?
もしそうなら、あんなに浮かれていた私は馬鹿みたい。

混乱する頭をどうにか落ち着かせようと、洗濯物を干し終えた私は一旦座って休憩する事にした。
ぼんやり天井を見上げながら、今までに起きた出来事を振り返ってみる。
そういえば最近、峯さんのお家に出入りする女の人を見ていない。
それに、家の中に女の影もない。
私がいるからもう家に連れ込むのはやめたのかもしれない。
「て事は、外で……?」
綺麗な女の人が峯さんの腕に手を絡めて楽しそうに歩く姿とか、ホテルに入っていく後ろ姿とか、色んなことを想像して天井に向かって大きな声を出した。
「やだ!!」
その声は虚しく部屋に響き、私が叫んだところでそれが叶うこともないだろう。
目尻に涙が溢れてきて、それが頬を伝って耳に流れていく。
こんなにすぐ近くにいるのに、私はただ峯さんを見ている事しかできない。









夕食を食べ終えて食器洗いをしていると、玄関の方から何やら声が聞こえてきた。
峯さんは今お風呂に入っているから代わりに私が「どちら様ですか?」とドアに向かって聞くと、どうやら荷物が届いたみたいで「宅急便です」と言われた。
「ご苦労様で……キャア!!」
扉を開くとそこには宅急便の格好をした人なんかいなくて、私と同じくらいの歳の綺麗な女の人が扉を開けた私の手をいきなり掴んできた。
「アンタ誰?」
睨みをきかせて聞いてくるけど、聞きたいのはこっちだ。
「あ……あなたこそ、どちら様ですか?」
その人は私の質問を無視して中に入ろうとして来たから、思わず前に立ちはだかって侵入を拒否した。
「義孝が最近連絡くれないからおかしいと思って見に来たけど、やっぱり新しい女作ってたんだ」
どんどん私の手を握る力が強くなっていって、痛みを感じた私は思わず声をあげてしまう。
「痛い……! やめて!」
「じゃあそこどきなさいよ!」
「っ……どきません!」
峯さんと関係を持った女の人だと知って引き下がるほど、私のプライドは低くない。
私だって峯さんのことが好きな一人だから、負けたくないって気持ちが湧き上がって来た。
「何してんだ」
後ろから峯さんの声が聞こえてきて、私の腕を掴む手が一瞬にして解かれた。
振り向くとそこにはビショビショな頭の上にフェイスタオルを被せ、上半身裸でジャージ姿の峯さんが立っていた。
声が聞こえて咄嗟に出てきてくれたみたい。
「義孝! 何で連絡くれなかったの? 心配したんだからね」
私を押し退けてカツカツとヒールの音を立てながら玄関に侵入し、その女はなんと玄関先に立っている峯さんの胸に抱きついた。
そんな姿を見ていられない私は玄関のドアの方へ視線を逃がし、ぎゅっと自分の手のひらを握りしめる。
嫉妬心が渦巻いておかしくなりそうな私は、気付いた時には峯さんの家を飛び出していた。
後ろから私を呼ぶ峯さんの声が聞こえるけど、今は顔も見たくない。









家の前のブランコと滑り台だけがある小さな公園は、毎朝通る度に見ていたけど足を踏み入れるのは初めてだった。
街灯の光だけで辺りは薄暗く、誰もいない。
ブランコに揺られながらさっき見た光景を思い出しては、はぁと大きなため息をつく。
あんな所、見たくなかった。
峯さんの素肌に他の女の人が触れる、それだけで頭がおかしくなりそうな私は意外と嫉妬深いんだと初めて知った。
今まで好きな人や恋人がいた事はある。
だけど、こんな気持ちになったのは初めてだった。
峯さんに偉そうに言ったけど、本当は私も本気で人を好きになった事がなかったのかもしれない。
ただこれが、本気の恋なのかはわからないけれど。

「なまえさん」
後ろから峯さんが私を呼んだ。
追いかけてきてくれたのは嬉しかったけど、振り向かずに前を向いたままブランコに揺られていた。
「急に家を飛び出したら心配するだろう。それに、そんな薄着じゃ風邪を引く」
そう言って手に持っていた峯さんの大きなジャケットを私の肩にかけてくれた。
私の好きな峯さんの香りがする。
「……邪魔かなって思ったから……」
ボソッと小声で呟くと、峯さんは隣のブランコに腰を下ろして私の方に上半身を向けた。
「面倒でうやむやにしたままだったからあんな事になってしまったが、もうちゃんと終わりにしてきた。変な所を見せてすまない」
「……別に、私には関係ないので謝らないで大丈夫ですから」
つい意地を張って、ツンと嫌な態度を取ってしまう。
あんな場面を見てすぐにニコニコできるほど、私は大人じゃないから。
「じゃあ何でそんなに怒ってるんだ?」
「おっ、怒ってないです!……ただ、手首が痛いだけです!」
掴まれた時は痛かったけど、今はもう全く痛みのない手首をわざとらしく撫でて言い訳にした。
峯さんに抱きついたあの女の人に手首を掴まれたことを思い出すだけで、モヤがかった黒い感情が込み上げてくる。
「大丈夫か? 見せてみろ」
「いい! いいです!」
拒否してるのに峯さんはブランコから立ち上がって私の手首を掴み、目の前に持って行ってまじまじと眺めだした。
お風呂上がりだからか、峯さんに掴まれている部分が凄く熱い。
「跡にはなってないみたいだ。まだ痛むか?」
「い、いえ……もう、大丈夫ですから!」
掴まれていた手首を振りほどき、峯さんがいる反対側に顔を向けて唇を噛む。
久しぶりに峯さんが私に触ってきた。
それだけで嬉しいし、さっきの女の人とは関係を終わらせてきたと言っているのに、私はなかなか素直になる事ができない。
「なぁ、何をそんなに怒ってるんだ」
「だからっ……! 私は怒ってなんかいないです!」
今は峯さんと普通に話せる気がしないから、これ以上話しかけないでほしい。
きっと何を言われたって嫌な態度を取ることしかできないから。
「もうほとんど片付けは終わったので、今日はもう帰りますね」
私は峯さんに背中を向けたまま走りだし、駆け足で明かりの灯るマンションへと駆け込んだ。
峯さんはそんな私に何も言わず、後を追ってはこなかった。









「家まで送る」
帰り支度を終えて玄関に向かうと、公園から戻ってきた峯さんが玄関に置いてある車のキーを指に引っ掛けて私を待っていた。
「一人で帰れますから」
さっと靴を履いて横切ろうとしたのに、肩にかけていた鞄の持ち手を掴まれて先に進ませてくれず。
「これは命令だ。車に乗れ」
「めっ、命令って……何様ですか?!」
振り払おうと鞄を引っ張ったけど掴んだ手は離れなくて、その間峯さんはずっと怖い顔で私を見下ろしてきた。
「雇い主の命令だよ。ほら、行くぞ」
力で敵う訳がなく、結局私は駐車場へと連行されてしまう。


車内は静まり返り、僅かに聞こえる音楽に耳を傾けながらずっと外の景色を眺めていた。
峯さんに家まで送ってもらうのは何回目だろう。
そろそろ家までの道のりもなんとなく覚えてきた。
「なまえさん」
家を出てから10分くらいは全く会話もなく車は走っていたけど、信号が黄色に変わってゆっくり車が止まると同時に峯さんから声をかけてきた。
「……なんですか」
相変わらず私は不機嫌なままで、峯さんに嫌な態度を取ってしまうのを心の中で後悔する。
「気を悪くしてすまない。お詫びとして何か奢るからどこか寄ろう」
「いいです。私お腹空いてないです」
「……どうせ甘い物ならペロッと食べるんだろ? ここでいいか」
信号が青になって車が発車すると、信号のすぐ先にあった黄色く光る看板のファミレスの駐車場へ車が入っていった。
いらないって言ってるのに聞いてくれなくてお店に入る事になったけど、帰ったら甘い物をやけ食いしてやると思ってた今の私には好都合かもしれない。
本当は一人が良かったけど。


「お待たせいたしました。デラックスチョコレートパフェになります」
アイスやブラウニーが盛り盛り乗った大きなチョコレートパフェを見て思わず「美味しそう〜!」と満面の笑みを浮かべてテンションが上がってしまい、ハッとして峯さんを見れば思った通り二ヤッと笑みを浮かべながらこっちを見ていた。
「お腹空いてないって言ってた割に、随分とデカイパフェを注文したな」
「別腹ですから!」
峯さんはコーヒーだけだし私だけが大きなパフェを頼んでちょっと恥ずかしいけど、奢りなんだしと思って遠慮なく注文してやった。
冷たくて甘いパフェに口をつければ、口の中で溶けていくアイスとともにイライラしていた気持ちもスーッとなくなっていくように感じた。
大きなパフェを食べ終わる頃にはすっかり上機嫌になって、いつの間にか私と峯さんは普通にお喋りをして笑い合っていた。









「あの……すみません、ご馳走になっちゃって」
レジでお会計をして店の外に出た後、駐車場を歩いてる時に峯さんの斜め後ろから声をかけた。
「フッ、あれぐらいで機嫌が直るなら安上がりだ」
「ちょっと……、人を安物扱いしないでください」
「君の"はじめて"は随分と高そうだがな」
「なっ……何言って……」
久しぶりに処女をネタにからかわれて、私はうまく返せずに口をパクパクする事しかできない。
峯さんを好きだと思うようになってからの私は、いちいち本気で捉えてしまってうまくかわせないでいた。
まぁ、好きになる前もうまくかわせてなかったけど。
車が発車してしばらく走ると、そんなに時間はかからず私の家が見えてきた。

「本当にご馳走様でした」
「ああ」
もう家に着いたし、お礼も言ったし、あとは帰るだけ。
帰るだけなのに、私の体は助手席に座ったまま動いてくれない。
峯さんがどうしたんだろうと言った顔でこっちを見ている。
早く車を降りなきゃ。
降りなきゃなのに……
「あ、そういえば峯さんって何か好きな食べ物ありますか? いつも私が献立立てちゃってるから、たまにはリクエストしてください」
「リクエスト?……いや、今のままで満足してるから、これからもなまえさんが
決めてくれていい」
「そ……そうですか……」
話題を振ったものの一瞬で会話が終了してしまい、車内が沈黙に包み込まれる。
明日から二日間お休みだから、峯さんに会えない。
それが嫌で、少しでも長く一緒にいたくて、私はどうにかして盛り上がれる話題はないかと頭をフル回転させるも、悲しい事にいい話題が見つからない。

「…………期待してしまうんだが」
「え?」
いい加減帰らないと変に思われてしまう、そう考えていた時に横から峯さんの呟く声が聞こえてきて、パッと頭を上げて運転席の方へ視線を向けた。
眉間に皺を寄せながらこっちを見ていた峯さんと目が合って思わず逸らしそうになったけど、その眉間の皺は怒っているというよりどこか切なげで。
その瞳に吸い込まれそうになっていると峯さんの顔がゆっくりと近付いてきた。
思わず唾を飲み込む。
すると後方から車のクラクションが大きく響いてきて、静まり返った車内にいた私は大きく体を飛び上がらせて驚いた。
「え?! 何?!」
「……タイミングが悪いな」
後ろから私達にクラクションを鳴らしてきた車はどうやら同じアパートの住民らしく、峯さんの車が邪魔ですぐそこの駐車場に止められないから「どけ」という合図をクラクションで送ってきたらしい。
エンジンをかけて車を移動すると、駐車場に停めた車から降りてきた若い男の人がこっちを睨みつけながらアパートに入っていった。
「あのっ……ごめんなさい。帰りますね」
変な空気になって気不味い私はそれだけ言って急いで峯さんの車から降りた。
峯さんは何か言いたげにも見えたけど私が車から降りたら特に追いかけてくることもなく、私がアパートに入って行ったのと同時に発車したのか部屋の前から見下ろした時にはもう峯さんの車は姿を消していた。









あの日の夜は全く寝付けなかった。
クラクションを鳴らされる前、峯さんは私に何をしようとしたんだろう。
あれは私の期待している事だと思っていいのだろうか。
もしかしたら……、もしかしたら峯さんも私と同じ気持ちでいてくれているのかもしれない。
そんな淡い期待を持ちながら木曜日出勤すると、ビックリするくらい何事もなかったかのような態度を取られて呆気にとられてしまった。

「じゃあ、行ってくる」
それだけ言って家を出ていく峯さんの後ろ姿を見送り、しょんぼりしながらリビングに戻って椅子に腰をかけた。
あんなに普通に接してきたら、色々と考えていたのがあほらしく思えてくる。
やっぱり、私の勘違いだったんだ。
肩を落としながら部屋の掃除に取り掛かり、洗濯物を干し終えてお昼を迎えた頃に少し仮眠をとった。







プーーン……プーーン……

「ん……?」

耳元で不快な音が聞こえてきて、アラームが鳴る前に目が覚めた。
「あ!!!」
部屋の天井を見上げると、照明の所に大きなハエが止まってるのを目撃した。
なんで虫が……そう思ってベランダの方へ目をやると、洗濯物を干した時に網戸を閉め忘れてしまったらしく、窓が全開のままになっている。
「殺虫剤どこかで見た気がするけど、どこだっけ」
とりあえず窓を閉め、記憶をたどって洗面所の下の扉を開く。
すると私の記憶は正しく、奥の方からほとんど使っていないと見える殺虫剤が出てきた。
リビングに戻ってさっき止まっていた照明を見たけどハエの姿はなく、耳をすませながら部屋の中をウロウロしていると、少しだけ開いていた峯さんの寝室から不快なハエの飛ぶ音が聞こえてきた。
「最悪……よりによって寝室に行っちゃうなんて……」
気分悪いし放置する訳にはいかないから、恐る恐る部屋に足を踏み入れる。
前に峯さんが二日酔いで倒れていた時に一瞬入った事はあるけど、それ以外ではまともにこの部屋に入ったことがない。
峯さんはいないから別に入った所でバレやしないだろうけど、私自身が足を踏み入れる勇気がなかった。
――とは言え、虫は駆除しないと。
難しい本がたくさん並べられた本棚、デスクトップパソコンと座り心地の良さそうなオフィスチェア、そして、峯さんがいつも寝ているシンプルな白のシーツが敷かれたベッド。
特別なものがある訳じゃないのに、部屋に入った瞬間から私の心臓はドキドキと大きく鳴り始めた。
……とにかくハエを駆除しなきゃ。
そう思ってカーテンに止まるハエに向かってスプレーをひと吹きしたけど、それだけではコロリと行ってくれず再び部屋を飛び回り始めた。
「あーもう」
すると今度は本棚とパソコンの間の奥の方に入り込んでしまってなかなか出てこない。
隙間にスプレーを吹きかけてみたけど特に反応はなくて、私はその場に座り込んでしまった。
「なんでこんな所に入り込んじゃうの」
はぁ、と大きくため息をついて下を向くと、パソコンが置かれたテーブルの下に赤い紙袋がひっそりと置いてあるのに気が付いた。
部屋に入る事さえ禁止されているのに、勝手にものに触れるなんてもってのほかなのはわかってる。
だけど、一度気になってしまうともう自分を止めることができない。
赤い紙袋に手を伸ばして中身をそっと取り出すと、柔らかい何かが可愛いピンクの包装紙に包まれていた。
包装紙から見て、女性物の服か何かだろうか。

誰にあげるの……?

ぽろぽろと涙が溢れ、手に持っていたピンクの包装紙が少しだけ濡れてしまった。
「やだっ! どうしよう!」
慌てて着用していたエプロンで拭くと、何とか濡れた所は目立たずに済んだ。
触っているのが怖くなった私は、手に持っていた誰か宛のプレゼントを赤い紙袋にそっとしまう。
だから怖かったのに。
入らなければ、こんな物見なくて済んだのに。
自分の行動に激しく後悔しながら、メイクが崩れないようにそっと指先で涙を拭った。






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