海の中にいた。空が遠のいて、最初は、きらきらと光が反射する、例えるなら七色の入江に溺れていくような感覚。息苦しさはなく、ただその綺麗さに見惚れていた。次第に光は届かなくなり、冷たい海の中。ただ、浸かっているという感覚には程遠い張り付くような冷たさ。
すこし周りを見渡しても何もなく、本当にここはどこなんだろう。

「ニクス」

水中であるというのに、透き通り響くその声はアルスのものに酷似していた。今のは聞き違いであってほしい。ここが夢であれ狭間の世界であれ、それは少し酷いのではないのか。どんな心情で別れを告げたのか知らないだろう。いや、知らないからこうして呼びかけてくるのか。

「アルス?」

自分の声も水との界面で反射することなくしっかりと聞こえた。しかし、いくら待てども返答はなかった。呼び出しておいて応えないなんて、ずるい。会いたいと、少しでも願ってしまったから神様がいたずらでも仕掛けたのか。会えないのなら、いつまでここに居ればいいんだ。

「ニクス、ありがとう」

アルス、間違いなく、アルスだ。気持ちが溢れる。どうしてお礼なんて言うんだよ、俺、何もしてない。何もしてやれなかった。アルスが望んだ最期だとは知っていながら、アルスのことを責めた。こんなところで俺に話しかける暇があるのなら、両親のところにでも行ってやれよ。ああ、どうしよう、涙が止まらない。

「アルス、アルス、おれ、まだ忘れられない」

そう、忘れられない。幾日も、アルスの夢を見る。全てにおいてアルスは話さない。全てにおいてアルスは死んでいた。なにひとつ教えてくれなかったし、感情さえ読み取れなかった。
元気に交わした会話はもう随分と昔の事で、鮮明に思い出すのは困難だった。声すらもう自力で思い出すことができなくて、あまりにも早すぎる。
アルスのいない世界に適応するのが怖かった。マリベルは、きっと泣いているだろう。あの子は、良くも悪くも切り捨てるのが早い。強がりだから人前では泣かないだろうしあっさりと振る舞っているだろうが、こんな短時間で断ち切れるわけがないし、一生忘れることはないだろう。それは俺も同じ。

「忘れられないならそれで構わない。ただ、悲しい顔はしないで」

悲しい顔なんてしたかな。どちらかと言えば焦った顔はしていたかもしれない。向き合えない。いつまでも、わだかまりが残ったまま。それを、消しに来てくれた?アルスが望むのなら、それも、悪くない選択なのかもしれない。俺は、嫌だけど。

「ほんとは、忘れたくない。受け入れたくない」
「僕はニクスが悲しんでるのは嫌だ」

悲しませてるのは、アルスじゃないか。

「なんでだよ!アルスがいなくなったから俺は悲しい。どうしてそんなこと言うんだ!アルスが、アルスがいなくならなかったら俺は……」

悪者は俺じゃないか。アルスを責めてる。アルスの想いを認めていない。もしかしたら、憎く思っているかもしれない。仕方のない事だと諦められない。いつまでも引きずったまま、どうしても許せない。

「ごめん。こんなことに、なるはずじゃなかった」
「違う、違う、悪いのは、俺なのに……」
「ニクスは悪くない。僕がいけない」
「やめろよ、そういうの……やっぱり、忘れたくないんだ」

はっきりと目を開けているつもりでも、たゆたう水の光しか視認できず、アルスの姿はない。

「それなら、僕のことを忘れずにいてほしい。わがままだけど。悲しい顔はしないで、それこそ、永遠に」
「え……?」
「ニクスが描く永遠の果てよりも早く、僕がニクスを迎えに行く。どうか、それまで待っていてほしい」

死ぬまで、待っていろということか。

「意地悪になったなあ、アルス」

これがアルスに今できる最善の事なのだろう、そう、思う。けれど長すぎやしないか。与えられた時間を自ら短縮していまいそうで、それほどの存在だったのかと改めて思う。

「少しでも自分を傷つけたりしたら、迎えに行かないからね」

本当に意地悪だ。なにも認めてやくれない。それでも、嬉しさがどこかで芽生えた。

「仕方ないな……待ってる」

それを言うと、アルスが微笑む声がして、自然と意識は浮上した。

明け方より少し前。まだ日は昇っておらず薄暗い静けさが辺りを包む。着用していた長袖の服は肌にぺったりと張り付き、不快感を覚える。

夢の内容は明確に、そして鮮明に覚えていた。アルスが迎えに来るその日を、どのような心境で待てば良いのだろう。そして、途切れた想いをどう抱えていけば良いのだろう。未だ悩み思うところはあるがそれでも、ほんの少しは気が晴れたような気がした。

20140716


← →
back


「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -