※ちょっと暴力的

「俺、この仕事やめる」
 部屋に呼び出されたかと思えば、ニクスから発せられたその言葉。耳を疑った。見やれば平然とした顔をしているから余計に。
 手を染めるなんて、きっかけがあればいくらでもできる。意図せずとも染まることだってあるくらいに。けれど、抜け出すのは簡単じゃない。とくに、お前なんか。抜けられないだろ。一生を縛られ、ずるずると、重く濁った自身の犯した罪を引きずり生きていくことができたなら上出来。もっと酷い有様になったっておかしくないだろう。それくらいのこと、してるだろ、お前。
「なんで?」
「結婚するんだ」
 眉ひとつ動かさずに告げられて。それを知った俺に、どうしろと。っていうか、そんなぬるい理由、理由になってないだろ。
「誰と」
「誰だろう」
 あくまで明かさないつもりらしい。それは、賢明な判断だと思う。身元が判ればいつだって殺しに行ってやる。ニクスが仕事をやめるなんて、そんな事。そもそも、結婚自体嘘かもしれないけれど。俺には確認のしようがない。そして、こんなくだらない嘘を吐くような奴だった記憶はない。
「本気?」
「まあ、多分? 仕事やめるくらいだから」
 事の重みを理解していないのか、しているけれど重視していないのか。ニクスはグラスを手に取り、残り少ない赤ワインを呷った。空になったグラスを戻し、口を開く。
「だからもう、会えないな」
 いかにも寂しい、と言いたげに白々しく少しだけ上げた口角。かっと頭に血がのぼった。言うより先にニクスの頬を引っ叩いて、乾いた音が響く。胸ぐらを掴むと、前髪の隙間からぎろりと睨みをきかせる瞳。
「ふざけるなよ、ニクス」
「……ふざけて、なんか」
「お前が、この仕事やめられるなんて思うなよ。今までしてきたこと、わかってんだろうな」
「それは、シャルも同じだろ」
「ああ、同じだ。だから、俺はそんなこと言わない。そんなぬるいこと言う気もない」
 ニクスは、じっとりとこちらを睨んだまま。口を開かない。動かない。ただその瞳だけで訴えかける。何を、何を言いたいんだよ。わからない俺が悪いのだろうか。
「何とか言えよっ!」
 大声で怒鳴ったって、微動だにしない。そのまま、ニクスを壁に押し付けた。鈍い音。整った顔が歪む。それでもまだ何も言わない。おかしいよ、お前。
「今更、どうこうできるって思ってんの?」
「……」
「なんとか言えって言ってんだろ!」
 す、と息を吸う音が聞こえた。
「……シャル、シャルと出会えてよかった。俺、すげえ楽しかった。ありがと」
 薄ら笑うニクス。何かを考えるより先にニクスの首を掴み、床に叩きつけていた。一切抵抗の素振りも見せずされるがままに倒れ、ぴくりと腕が動いた。その腕を踏みつけ、顔を隠す前髪を掴んでかきあげる。
「ニクス? 俺は許さない」
「……そう」
 感情のない、ぼうっとした表情。この状況に何を諦めたのだろう。何にしたって、早すぎないか。
「できるもんならやってみたらいいよ。この仕事やめてみろ。そんで、結婚、だったっけ。すりゃあいいよ。上手く行く筈がない」
「……寂しくなるな、シャルに会えないなんて」
 こいつ、人の話聞いてんのか。前髪を掴む手に力が入る。顔を近付けて言う。
「ニクスには無理だ。絶対に」
 こんなにも嫉妬に狂う俺はおかしいだろうか。出会った時からいつだって、こいつは俺のだった筈なのに。だって俺ら、何度愛し合った? 数えられないくらいだろ。なあ、そうだろう?
 結婚って、何だよ。相手いたのかよ。それで仕事やめる? ふざけるなよ。仕事が全てだって言ってたのはこの口じゃなかったのか。仕事が楽しいと、何度も俺に笑いかけた。あれは何だったんだよ。
「……かもしれない。それでも、俺は」
 言わせない。咄嗟に手にしたニクスが使っていたワイングラスを、思い切りニクスの顔に投げつけた。嫌な音がする。飛び散る破片と、ニクスの額から流れる血。
「っ……」
 歪められた顔に乗った破片を払う。血のついた手でそっと瞼を撫でれば目を開けた。
「ああ、ニクス、キズモノになったね。綺麗な顔なのに。そんなんじゃ誰も貰ってくれないよ」
 段々と赤く染まってゆくその顔を、頬を撫でるとぬるりとした。血がより濃くてのひらに付着する。
「セフレにこんなことされて、ニクス、可哀想」
「……」
「なんとか言いなよ」
 そう言ったけれど、言わせるつもりなんてないから唇を奪う。伝ってきた血の味がする。舌を突っ込んで、反応の悪いニクスの舌を煽る。ぢゅう、と吸って。それでもふてぶてしいニクスの舌。むかついたから、唇を離して、指で掴んで引っ張り出す。ぬらぬらと光る赤く小さい舌を、噛んだ。
「っ……!」
 涙目で舌を引っ込めるニクス。これくらいされなきゃ、わかんないだろ。
「うっ……」
「もっと酷くしたっていいんだよ。本当に誰も貰ってくれないくらいにしたって。何とか言いなよ」
 ニクスは、咳込んで言った。
「っ、しゃ、る」
「なに」
「シャルだって、結婚、すれば。すきなひと、いんだろ?」
 こいつは、ここまできてまだ煽るのか。俺が好きなのは、お前だけだよ。
「ばかにするのもいい加減にすれば?」
 ニクスの顔を殴る。音と、拳にいやな感覚。顔は血まみれ、口の中も血まみれ。今殴ったところは、後で腫れるだろう。
「……俺、こんなじゃ、結婚、できなくなるかな」
「そうだね。セフレにボコボコにされたツラじゃあ、結婚できないね」
「そっ、か。結婚、できない、か」
「そうだよ。ニクスは結婚できない。諦めろ」
 それで、ずっと俺の隣に居ればいい。
「ん……俺、も、ひとつ、貰い手、あて、あるんだぜ」
「は?」
「キズモノになっても、ぐちゃぐちゃになっても貰って、くれる、あて」
 複数相手が居たってことか? どこまで俺のことばかにするんだ、こいつ。ああ、このまま殺したい。
「その人さ、俺のこと大好きなんだ」
 ニクスが、にや、と笑った。
「その人、かっこよくて、つよくて、頭よくて。何より、誰より、俺のことが、好きでさ」
「……ニクス」
 何を言いたいか、察したのだろう。ぺっ、と血を吐いてまた笑った。
「俺のこと殺すなら、最後まで聞いてからにして。だって最後かもしれないんだから。
 本当に俺のこと、好きらしくて。どれくらいって、言われたって知らないけど、まあ、こんな風にされちゃうくらいに」
 舌を怪我したくせに、いつもよりよく喋るところがむかついた。殴った時に口内が傷ついてたっておかしくない。ニクスは、より笑う。
「俺、本当はその人と結婚したくて、たまらなくて。でも付き合ってすらなくて。でもさっき確信した。俺のことはもらってくれなくても殺してはくれる。俺それでいいや」
 言い終えて目を閉じる。唇だけが動いた。
「結婚なんて嘘。ちょっとふざけただけ。ごめん。愛してるよシャル」
 最初からそう言えばいいのに。唇にかみつけば、くぐもった声が漏れる。離せば瞼が持ち上がり、目が合う。
「……仕方ないな、ニクスのこと、貰ってあげるよ」
 照れ隠しにこんなにもくどいことをするこいつが、悔しいくらいに愛おしい。


20180827


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